15:分岐点

あれから数年、学生のうちに花街のショーパブを手に入れたトワは多忙な毎日を過ごしている。

親からの勧めに大人しく従い、卒業後は王立ディアマン・ブラン学園の非常勤講師の職を得た。

商会のお嬢様というコネもあるが、十代のうちに幾つか翻訳や出版の実績を持っていたお陰。


教えるのも育てるのも得意分野だった、昔から。

前世でも緊縛師の傍ら、英会話やフランス語の講師をしていたこともある。

歴戦のサディストやマゾヒストも、通常なら昼は全く別の顔を持っているものなのだ。



確かに幾つか小さなトラブルも起きたものだが、乗り越えて今日に至る。

SМは沼、貴族の顧客も複数付いて何だかんだ花街での成功は儲かるものだ。


花街の頭であるリナの支援ありきで改装も済ませ、事務などに関しては専門家を雇い、表向きの主人は金手毬ということになっていた。

貴族の客も来るので対する教養やマナーも指導するとすぐ身に付き、やはり彼女は人一倍賢いようだ。

社交辞令や営業スマイルも今やお手の物。

経営についても勉強中と頑張ってくれている。



トワもSMの経験値は数十年分。

日常と非日常を繋ぐアーティストとしての腕は完全に復活し、まだ若い女の身体だけに体力もあり調子が良い。


定休日でも週に六日は月華園、授業の前日だけは準備の為に王都にある一人暮らしの家へ帰って早寝早起き出勤。

鴉面の緊縛師である鳥兜と東洋文学講師のトワ。

こうして二つの姿を使い分ける生活を続けながら、22歳を迎えた時のこと。



「恐れていた事態が起きた」


ある日、月華園に出勤してきたトワは溜息と共に一言吐いた。

頬杖をついてどことなく疲れた顔。

最初に言っておくが、緊縛師に関することではない。


学園長から見合い話を持ってこられたのだ。

これは困った、前世でもそんなものしたことない。



勘違いされがちだが、見合いと政略結婚は違う。

贔屓で目が曇っていない限り仲人はお互いの保証人なので、何か問題があれば本人や家でなくそちらに伝えれば良いのだ。

間に立つ人間が居るなら角も立ちにくい。


なので誠実に断れば良い話。

それはそうなのだが、気が重いのはどうにもならず。


相手はオパール伯爵のご令息の三男。

彼もここの卒業生であり学園長とも家族ぐるみで懇意だとか。

国内最高の名門校なので、そこの講師となればトワは見合い相手の肩書として確かに立派だろう。

平民に貴族との見合い話が舞い込むなんて本来なら光栄ではあるが、貿易商で潤っているスギイシ家としては金に困っていないので別に魅力的でもない。

トワ個人が稼いで自由になる分も、表と裏の稼業を合わせると相当。


ちなみに、ディアマン王国は平民でも二十代前半が結婚適齢期。

以前から薄っすらとトワが恐れていた理由。


貴族が集まる学園でも既に家同士での婚約が決まっている生徒は多い。

そうした場合は卒業後すぐ結婚となり輿入れ自体も早いが、出産は数年後と決まっている。

堅い家柄であればこそ、新婚時代は甘い時間よりも婚家のことを学ぶ為に忙しかった。



これは解決法の相談ではなく、飽くまでも愚痴。

開店準備の合間にそれまで黙って聞いていた金手毬は手を止め、初めて口を利いた。


「前から思ってたけどさ、アンタって前に彼女とか居たでしょ?」

「何故そう思う」

「なんかこう、女の扱いに手慣れてる感じ。これは友人じゃなくて恋仲だろうなっていう」

「まぁ、そうだな……」


前世では彼女どころか「妻」まで居た。

声には出さず、口の中だけで呟く。


緊縛師として駆け出しの若い頃すぐ意気投合し、男性として生きることに違和感のあった妻は既に女性へ身体を作り変えた後だった。

緊縛はやはり乳房のある方が映える。

思えば、慕ってくれる奴隷を持ったことで立派なサディストになれたようなもの。


トワ自身は今も昔もバイセクシャルであるが、相手が男性の時代に出逢っていたら恋仲になっていたかどうかは分からない。

そんな結婚生活だったので前世でも子供は居らず、現世に関しては願望すら無い。



それはそうと、SMに於けるルールを一つ。

Sは自分が受けたことない攻めをМにやってはいけないことになっている。


加減を知る為には自分の身で痛みを把握しなければ。

蠟燭でも鞭でも縄でも、どの道具でも同じ。

なので見習いの方が先輩からプレイをしてもらえる。

自分が基準になりがちなので痛みに強いSほど攻めが厳しくなることもあれば、S志望がМに転じてしまうことも多々。


月華園の歌姫達もそうしてS嬢М嬢に成長していった。

誰しも両面を持ち合わせているもので、それぞれの素質に合った役割を店で演じている。

なりきるならいっそ楽しんだ方が良い。

中には、自分でも驚くほど馴染んでいるという者まで。

泣きながら身体を売っていた歌姫が背筋を伸ばし、喘ぐ客の尻を鞭で叩いている姿は何となく感慨深い。



ところが、通常の性行為でそのルールは適応されない。

異物を受け入れる感覚を知らないままでは、受け側が痛みや苦しさを訴えても「大袈裟」だと攻め側に笑い飛ばされることもよくある話。

男性だって一度は受け身をやってみれば良いのに。


その点をトワは不公平じゃないかと思っている、ずっと。

前世でも男女どちらとも付き合ったので、受け攻め両方の経験くらいある。



ふと、もしも前世を思い出さなかったらどうだったろうかと考える。


言われるままに見合いをして結婚を決めたかもしれない。

確かに子供の頃は「そういうもの」だとあまり疑問を抱かなかった。

とはいえ勿論、結婚や出産だって考え無しでは出来ないことだが。



兎に角、月末に一度相手と逢うことになってしまった。

仲人同伴の食事だけで軽いものとはいえ強引な決定。


もう服装を考えるだけで既に面倒臭い。

というか完全な時間の無駄。

断る時は「私には勿体無いお話ですが」を添えて、しおらしくすれば済むとはいえ。


「という訳で、今度の月末は休む」

「はいはい、面白いことになったら教えて」



さて来る月末、結果はいかが?

金手毬が尋ねたところ、出勤してきたトワは咥えた煙草に火を点けた。

やっと息が出来たかのような深呼吸。


「ヤベェ男だった」

「どの種類?」

「対人能力というかコミュニケーション面というか……あと、あんなに鼻毛が出てる人間は初めて見た」

「それはヤベェわ」


根掘り葉掘り聞きたいところだろうが、これで勘弁してほしい。

この一本を消したら、もう話は終わり。



その後は伯爵令息との見合い話がもう一人の同僚に流れて、そちらは纏まりトワも半分安堵した。

しかし、どうもめでたい話ではなかったようだ。


それまで真面目で几帳面で面倒見の良さが評判の教師だったが、明らかに結婚してから次第に顔付きも態度も刺々しくなってしまった。

生徒に対しても校則違反に厳しく、やがて格好も変わって引っ詰め髪に地味な服装。

それは俗に言う「お局様」と呼ばれるようなタイプ。


誰に似ているか?

そう気付いた時、幽霊を見たように爪先から冷えた。


あれは、まるで、前世を思い出した夢でトワが絞殺した「彼女」だ。



いいや夢は夢、そんなものは思い込み。

再び血の気が巡り出した手で打ち払って、トワはもう考えないようにした。

学校での仕事に、月華園の経営やショーの練習。

下らない妄想に現を抜かすより、やらなければいけないことは山ほどあって忙しいのだ。


そうしてトワは顔を背けたが、向き合わねばならない真実は足音もなく近付いていた。

ただしそれはまだ早い、あと十年先の話。

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