14:革命
この世界で緊縛を広めるという野望は出来たが、実現には問題が幾つもあった。
まずは何よりも道具と技術。
麻縄一本さえあれば何でも出来る訳ではない。
使う前には数分煮てから引き伸ばして乾かし、毛羽を焼いて油を塗り込む。
命を預けることもある上、素肌に触れる物ならなるべく丈夫で滑らかでなければ。
技によっては何本も必要なので手間も掛かる。
場合に合わせて色も大事。
白い肌には赤や黒が映えるし、わざと無骨さを求めるなら天然色の方が雰囲気を作れるのだ。
前世からブランクが長いので腕の衰えも気に掛かる。
自縛も出来るのでまずは試しに脚から。
絡まってしまうと非常に厄介なので、結んだ数だけ解けなくてはいけない。
一人遊びで鍛錬しながら、トワは十代後半まで時を待つ。
それにしても、この世界にはまだSМが気軽に楽しめるクラブやバーが無いのは一番の問題である。
どんな優れた技術があっても、人前で披露する場が無ければ意味も無いのだ。
まず秘密倶楽部のサロンには招待されなければ参加資格なし。
主催者だって人を選ぶ上に、よほど親密にならねば。
刺激的で禁断のものだからこそ、敷居が高い世界であれという面もあるが。
前世から人見知りせずに話し掛けるので友人は多かった方でも、まだ学生のトワでは噂を掴むことすら苦労してしまった。
幾ら焦れたとしても、色仕掛など出来やしないし。
となると、もう一つの手。
トワ自身がそういう場所を造れば良い。
運の良いことに戦えるカードは手元。
これを使って、家業の手伝いと翻訳の仕事でトワが作ってきたもの。
自由になる金とコネは既に準備出来ていた。
そして悪巧みを相談する宛てもあり。
スギイシ商会で一番の上顧客であるライト公爵家。
領地には花街も含まれており、その分家であり長年ここで「女帝」として君臨するリナ・ライト女伯爵とは昔から懇意的。
トワの中身と同年代ということもある所為か話が合い、その奇妙なところを気に入られていた。
だからこそ今生ではまだ小娘にしか過ぎないトワの案に乗ってくれるかなんて、一つの賭けだったが。
入念に内密にとプレゼンした結果、反応は上々。
そこで教えられたのが一軒の寂れたショーパブである。
早速その夜、厚底の靴と身体のラインを隠す男物のコートで視察に向かった。
白っぽい煉瓦造りで頑丈な外装。
半分地下になっている店内は天井が高い。
設備も整い歴史もあり、昔から歌と酒を楽しむ店として親しまれてきた。
しかし経営不振から落ちぶれ、今は裏で歌姫達に売春をさせて何とかギリギリで保っている。
それはそれは都合が良い。
何も無いゼロから始めるよりも、既に危ういところを好き勝手に作り変えた方が手っ取り早いのだ。
あと一押し、乗っ取るには丁度良かった。
とはいえ、さて攻略するにはどうする?
秘密裏に手を回して追い込み、更なる経営不振に陥らせたところで買い取ってしまうか。
よくある手段、トワにも出来なくもない。
きっと悪党ならそうするだろう。
その前に、見ておきたかったのだ。
自分が奪おうとしているのはどんな店なのか。
夜は帽子の陰が濃くなり、顔を隠すには最適。
味見程度で酒を舐めてみる。
前世では強かったからといって調子に乗ると後が怖い。
成人前から隠れての飲酒はしてきたので、この身体の容量は弁えているつもり。
思考能力が鈍らないくらいに抑えてステージを見る。
ショータイムで繰り広げられるピアノ、歌やダンス。
アーティストの端くれである目や耳でトワが評価するならば、何というか全てがいまいちだ。
歌姫達は確かに美人揃いだけに、パフォーマンスとしては拍子抜け。
要するに、手段と目的が逆転してしまっている。
売春客は音楽を味わいに来ている訳でなく、今夜の相手を品定めする為としか思ってないだろう。
仕事なのだから、彼女達も生活や金だけの為に歌っているとしてもそれは致し方ないが。
そうして何度か通っては、数人の歌姫を買った。
とはいえ店外での会話と食事のみ。
同性であることを知ると皆一様に安堵半分、妙な顔を半分。
ベッドに行くどころか手すら握らないので当然か。
店ごと買い取る前の懐柔。
それから声を掛けるのは、被虐の才能がありそうな者のみ。
長年SМ業界に居ただけあって見極める目はある。
ここに来た大きな理由は、もう一つ。
緊縛の相棒探しである。
勿論自縛も可能だしアートとしての質もそれなりに自信あるが、やはり他人を縛る方が得意。
緊縛とは、まずマゾヒストの為の奉仕でもあるのだ。
それに魅せるには出来れば女性的な曲線を持つ身体が良い。
そんな時、淡い金髪を持つ歌姫は舞台に現れた。
照明で煌めく緩めの巻き髪と白い肌の透明感。
トワと同年代くらいだろうか。
憂いを含んだ伏し目がちで、品のある顔立ちや佇まい。
そこに口許のほくろが艶を一滴。
歌声は意外と大人びていて耳の奥に強く残る。
その夜の指名が決まった瞬間。
後に思えば、運命とでも呼ぶべき日だったか。
「ヤりもしないくせに女買うって、アンタの方がよっぽど変態だと思うわ」
「変態は否定しないが、お前口悪いな」
舞台を降りて一対一、口を開けば嫌味ばかりだったが。
ドルチェと呼ばれていた彼女は物怖じしない、嘘や世辞を言わない、故に買い手を落胆させることが多々。
一方で、気が強い女を好む客からは熱を上げられているという癖の強さ。
それでも何故か気が合って急速に親密になり、自然と昼も会うようになった。
口も頭も回るのでなかなか賢いようだ。
言葉の棘も慣れれば痛くない、それどころかいつもの調子で心地良さすら。
顔も性格も違うが、意地悪な笑い方が前世の妻にどこか似ていた。
いきなり縛り上げたりはしない、流石に。
SМは信頼関係が大事。
友達と呼び合える頃には堅かったガードも緩み、あちらから身の上を話し始めた。
「ドルチェ」は通り名で姓も正式な名前も無いこと。
花街の孤児同士で徒党を組んで生活の為に悪さもしていたが、自分以外が亡くなってからパブに身を寄せたこと。
それが嘘でも、全てが真実でなくても構わなかった。
トワの方なんて前世の記憶があるなんて話から始めねばならず、切り出し方すら分からない。
「頭おかしいと思われるから、お前にも言わない」
「秘密くらい誰でもあるわよ」
「ただ、信用してないって訳じゃないことは分かってほしいんだが……」
「だからさ、その秘密ごとアンタ一人くらい受け入れてやるって言ってんのよ」
これは初めて寝室へ行った時の会話。
何しろ、緊縛の練習なんてプライベートな空間に行かねば出来ない。
まずどんなものか自縛をやって見せてから。
始めてみると、思った通り興味は示してくれた。
縛り方によっては苦しい、恥ずかしい。
何より少しも動けなくなるので身を任せてくれるだけ頼りにされる必要があった。
それは恋人と同等でもある深い関係。
また、酔ってしまうほど気持ち良くて病みつきになる。
ドルチェが伏せがちな紫の目を蕩けさせれば、噎せ返る色香。
冷酷無比なSが哀れなMを弄ぶ、なんて図は正しくない。
有識者ほどSМは
結局のところ主導権はマゾヒストにある。
この関係性に於いて、きっと奴隷はトワの方だろう。
恐らく、声を掛けた時点で最初から決まっていたこと。
こうして入念に準備を重ねて数ヶ月、時は来た。
ドルチェの出番、靴を鳴らしながらステージに近付く影が一人。
赤い縄を持ったトワは堂々と。
ショータイムの横っ面を叩くように、飛び入りで上がり込んだ。
「受けなかったら、お前の✕✕✕✕舐め回してやるよ」
喚く店主の煙草を奪って一口だけ吸い、静かに響く声。
正面から啖呵を切った。
格好を付ける時に煙草はなんて便利なアイテムか。
実のところ今生で吸うのは初めてだった。
決して噎せてはいけない、目に沁みても涙を見せてはいけない。
どうせ粋がるなら最後まで余裕を崩さずに。
「救う」なんて正義感に溢れた言葉は決して使わない。
最初からトワは潰しに来たのだから。
この廃れてしまった店の息の根を止める、最後の一花。
縄を使うSМ自体はこの世界でも下地が出来ている。
でも、こんなのは?
誰もが息を呑んでしまう気迫、魔法じみた指さばきによる縄、甘い熱を帯びた艶。
ドレス姿の歌姫に絡まっていくのはまるで真紅の蛇。
さあ皆の衆、目を見張れ。
歴史に残る夜になる、この世界で初めての緊縛ショー。
水を打つ一瞬の後、斯くして二人は喝采を浴びる。
吊るす技ならやはりフックが必要。
高揚する頭で、トワは既に次のショーを考えていた。
後の取引は文句を言わせない額で。
緊縛ショーを成功させ、店主を屈伏させること。
これこそリナが協力する条件だった。
花街の頭の後ろ盾があるのだ、ここで生きてきた者は引き下がるしかあるまい。
店を買い取るということは、そこに属する歌姫や従業員達の人生にも責任を持つということ。
腐った部分は丸ごと捨てて、一から変えなくては。
まず売春どころか性行為は禁止。
そんなことしなくてもショーは出来る。
とても付いて行けないと訴えるのなら、それも結構。
昼の仕事を紹介するまでは面倒見よう。
そして、SМは非日常を味わうもの。
会員制にして顔と名前を隠してはどうだろうか。
「アンタは鳥兜ね、毒気強いから」
「お前は金手毬だな、棘だらけだから」
紫の美しい花と、柔らかな金の棘に包まれたサボテン。
運命共同体は悪い顔で笑い合った。
喧嘩も晩酌も相談もお祝いも、これから沢山しよう。
きっと長い付き合いになる。
こうして生まれ変わった店の名は、月華園。
夜行性の花が咲く場所。
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