運命に鳥兜を盛れ(トワ過去編)

13:十和

そろそろ昔話と、この世界の話をしようか。


誰にでも子供の時代はある。

かつて杉石スギイシ 十和トワは文学少女だった。



貿易商の両親と乗った船が遠い西洋の異国へ辿り着いたのは、まだ子供の頃。

兄弟揃って十二人、そのうちトワは十人目で三女。

故郷を離れたくないと残った兄や姉も居たが、彼女は前向き。

この国の本が読みたいからと言葉の勉強に精を出し、習得は大変早かった。


真面目で規律に厳しく、本にしか興味がない変わり者。

文字の並ぶ物なら何でも読み、噛み砕き、味わって。

しかし遊び盛りの年頃の娘が家の中で本ばかり読んでいたら、親から心配の一つもされる。

乗馬を教わることになったのが13歳の頃。


初日から派手に落ちてしまい、大騒ぎになったが。



無事に目覚めた時には「引き込もってばかりだから陽射しに弱いんだ」なんて笑われたが、どうでもいい。

彼女は思い出してしまったのだ。


かつて自分が何者だったか。


蘇った遠い遠い前世の記憶は赤と黒。

老若男女を縄で啼かせ、昭和の頃から日本のSM界に身を置く緊縛師だったこと。


高度な技である吊りが見事で「重力をも支配する」とまで言われていた腕前。

SMバー勤め、国内から海外まで公演の主催、成人向けゲームや映画の監修まで活動は手広く。


私生活ではどうだったかといえば、長年のパートナーだったМとも結婚して仲も良好。

相手は女性として生活していた男性。

前世の自分にとってパートナーは「妻」だった。

こちらの身体が同性でも異性でも。


花火のごとく激しく燃え尽きて悔いもなし。

やりたい放題の人生を終えて、何故か今この異世界に転生してしまった。



そうやって思い出すほど、この世界のおかしなところばかりが目立ってきた。

文明は大体1900年代前後といったところか。

進み方が違うのか、前世の世界だったらまだ存在しない物や学問などが既にあったり無かったり。


テーマパークの中で生活しているような薄気味悪い違和感。

この世界丸ごと一つが誰かの手で造られた箱庭か何かではないかと、妙な錯覚をしてしまう。

前世でそんな漫画や映画を見たことある所為かもしれないが。

主役は自分じゃないと思いつつも。


ただ、水回りを始めとして生活環境は至って清潔で安全なことには大変感謝しているが。

昔のヨーロッパの悲惨さは日本育ちからすれば身震いしてしまう。



何よりもおかしな点は、どうもこの国は鉱石に関連したネーミングばかりだとすぐ気付く。

例えば国名のディアマンはダイヤモンドのこと。


そして国民の名前にまでもルール有り。

貴族は姓名で一つの鉱石、平民は姓だけが鉱石と同じ。

王家を始めとして貴族の姓はサイト、ナイト、ライト、アイト、タイト、カイト、バイト、ダイト……


イトウさん多過ぎない?


何より自分の「スギイシ」という姓も含まれる。

前世の世界では、発見者である日本人の杉博士の名を付けたという紫の石。

ラリマー、チャロアイトと並ぶ世界三大ヒーリングストーン。


どうもこの世界の住人達は、名前の石と同じ色の髪や目を持つものらしい。

東洋人にも関わらず、スギイシ家も皆一様に濃紫の目。



さて、ここにもSМの概念は既にあった。

それもそうだ、どんな世界だってサディストもマゾヒストも存在しているのだ。


誰でも両面とも持っている、気付かないだけ。

トワ自身だって年中サディストでいる訳じゃない。


今は舞踏会が廃れ、サロン文化が中心になった時代。

共通の趣味を語り合う集まりで多種多様な枝分かれ。

中にはひっそりとした特殊な趣味も。

SMというのは好色貴族の為の秘密倶楽部として成長していた。


現代日本ではSMの代名詞となる品物も、ここではまだ日常のアイテムとして活きている。

女王のコルセットは下着、奴隷を叩く鞭も乗馬に必須。

乗馬鞭を手にすると握り心地は非常に懐かしい。

奴隷の肌を打つたび上がる嬌声まで鮮やかに思い出してしまう。



かつての自分が手や腕の代わりとして使っていた縄の遊びも既にあり、だからこそ危惧していた。

縄は死ぬし殺す、どんな熟練であっても事故や怪我はつきもの。

命を奪う物でもあることを忘れてはならないと、緊縛師だからこそ胸に刻んできた。


縄の正しい使い方を教えなくては。


敬意を払えばこそ、そこに元々あった文化は尊重しなくてはならない。

この世界のSМは前世の世界とは違う独自の進化を遂げるかもしれない。

けれど命が懸かっているのなら話は別だ。

芽生えた義務感が勝手な物であることは承知の上。


それに決意に理由があるとするならば、別にお節介だけではない。

前世の記憶を思い出してしまった意味を探す為。

だって流されるまま生きるだけでは退屈じゃないか。

トワの投げた石でどこまで水面に波紋が広がるか、これは実験でもある。

この世界の違和感に逆らおうじゃないか。




ああ、だけど一つだけ分からないことがある。


あの目覚める直前の話。

前世を思い出した後、そこはまだ夢の中だったのだ。



どこだろうか暗い部屋の中であることに気付く。

片手には何故か縄を持っていて塞がっていたので、もう一方で探り当てた出入り口。

ドアノブを掴んで扉が開けば、一転して明るい空間。


そこに彼女は居た。


知らない女性だがどこかで見覚えがあるような。

引っ詰めた黒髪に眼鏡、地味なワンピースを着込んだ三十代から四十代。

昔の言い方だが、漫画などで分かりやすく「お局様」と呼ばれるようなタイプ。

こちらに怪物を見るような目を向けて、腰を抜かして怯えていた。



彼女はトワの中にもう居ない。

この手で殺したのだ。


夢の中は何でも思い通りなんて言うが、これを含めても明晰夢なんて数える程度しか経験がない。

自分の行動を制限できた例があらず、不条理な行動を取ったとしてもその時には何も思わないのだ。


凶器は持っていた縄だった。

最初から立ち上がれなくなっていた女性の首に易々と巻き付け、馬乗りで喉を踏みつけながら力一杯に。

こんな使い方をするなんて、誰よりも前世の自分なら許さなかったろうに。


どうしてなんて、そんなの、わざわざ訊きたい?


こうしなければこちらが消される。

何故か、そんな強迫観念に支配されていたのだった。



ああ、そうか、分かった。

強いて言うなら母や姉らに似ている顔立ちなのだ。

苦しむ表情を冷静に見下ろしながらそう腑に落ちたところで、女性も息絶える。

もう何も映さない白目に酸素を求めて開いた口。

恐ろしい形相なのに、動かなくなったことに対して妙な安堵を覚えた。


途端に、背後で瓦礫が崩れ去る派手な音。

隔てていた壁とドアは無くなり「あちら」と「そちら」が繫がる。


それなら今居るここは、どこなのか。

こんな疑問が浮かんだ瞬間に目覚めてしまった。

肉体の瞼を開けた時、今度こそ杉石十和としての記憶を引き継いでこの世界に降り立ったのだ。



誓って言える、あれは前世の記憶ではなかったと。

その答えを持っている人間が現れることを、今のトワはまだ知らない。


生々しく残る絞殺の感触を両手に、ただ時を待つ。

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