12:命名

開店準備で午後の月華園は俄に慌ただしくなる。

全体の掃除に始まって施設の点検、在庫確認や注文、メニューの仕込みなどやることは山のように。

花形は舞台のキャストでも、支えるスタッフは他に何人も居るのだ。


現在、壁際の大きなステージだけはそこから切り離されて別世界。

ここで働くなら裏方仕事の覚悟もしていたので眺めているだけなのは何となく落ち着かない。


「私、何かお手伝いしなくても宜しいのですか?」

「そういうところが貴族らしくないな、確かに」


恐る恐る申し出たらトワに笑われてしまった。

それよりもピアニストとしての仕事に集中しろと。



反対意見が出なかったとのことで仮採用は決定。

「別の仕事を見つけるまで」とトワから建前を付けられたが、認めてはくれたようだ。

後で花街や寮でのルールも懇々と教わることになっているので、覚えることが山積みではあるが。

他にも新生活は何かとやることが多い。


ピアノを前にして、広い舞台に立っているのは三人。

音楽担当ならまずは直属の上司の紹介。

彼女もまた経歴の長いピアニストであり、これからのヴィヴィアの指導者であり、昨夜胸を震わせた曲を生み出した作曲家だという。


「はいこちら、君の師匠になる蛇苺さんです」

「初めまして……そこ、ご自分で仰るのですね」


感情の読めない真顔のままポーズを取ってのご登場。

第一声の自己紹介がこれである。

親世代の人がふざけていると反応に困ってしまう。


アジアンエスニックの衣装を華やかに纏った姿はステージ衣装かと思えば、私服だという個性派。

あの耽美な世界観とは一致し難い人物像だった。

「蛇苺」という名は可愛いのか物々しいのか。

ひっそりと頭の中で植物図鑑を捲って、ヴィヴィアは赤い実を思い浮かべる。

有毒と誤解されがちだが無毒、美味ではないだけ。

花言葉は「可憐」という意外性。


ちなみにトワの鳥兜は幾つかあるが「栄光」と「復讐」の花言葉。

流石、植物界最強の猛毒とも言おうか。



それはそうと、蛇苺の作り出した音楽に感動したのは紛れもない事実。

何か印象に残った曲はあるかと訊ねられれば。


「その、白蓮様と蜘蛛蘭様が歌っていらした……」

「様は要らない、君は彼らの奴隷じゃないんだから」


様付けは誰にでも付ける敬称に過ぎないのに、何故か途中で遮られてしまった。

あまりにも唐突な「奴隷」という言葉の強さにヴィヴィアが固まる。


しかし月華園での場合は「彼らを主人とするマゾヒスト」の意味。

そうだ、ここはただのショーパブではない。

異界であることを忘れてはならない。

加虐と被虐を好む生き物が正体を曝す場所だと。



「それはさておき、良かったら弾いてみる?」


戒めの空気は適度なところで打ち切って、蛇苺に楽譜を渡される。

受け取る瞬間に思わず手が震えそうになった。


MurderマーダーMermaidマーメイド


シンプルながらタイトルも韻を踏んでの言葉遊び。

最初は幻想的で哀しい美しさの音色。

儚さと不条理が混じり合って、聴く者をゆっくりと世界へ引き込んでいく。

浴室で行われる懺悔はどこか不気味さを纏った憂鬱と海の青い旋律。

そうして最後は血の溢れる赤、酔わせたままで奇妙な後味を色濃く残す。


真剣に音楽の道を目指していたのだから、初見でも問題なく指は動く。

鍵盤を叩きながら蘇る昨夜の衝撃と感動。


「ありがとうございました……」


終わりの一礼にも思わず胸が詰まってしまう。

自分で描けることにヴィヴィアは軽い目眩すら覚え、余韻はなかなか醒めやらぬ。

ここに白蓮と蜘蛛蘭の歌声が加わったら完璧。

早くまた聴きたいなんて、つい欲張りも。



「ん、でも他所では悪趣味って切り捨てられるだろうね、この曲」

「そんなこと……」


否定しかけたヴィヴィアも、そこから先は言い淀んでしまう。

残念ながら蛇苺の言うことは正しかった。

確かにこの曲は独自の暗さを持ち、人によっては理解しがたく不快に思うかもしれない。

そしてまた、人によってはそこが魅力なのだが。


「あるさ。だから、うちは"この曲はダメ"なんて言わないし君も自由に好きな曲弾いて良いんだよ。ショーパブ的にアレンジはしてもらうけどさ。」

「はい……っ、ありがとうございます」

「何だったら"ビスケットどこいった"でも良いし」

「それは流石にちょっと無理あるのでは……」


ちなみに「ビスケットどこいった」は貴族も平民も国民ならば誰でも知っている童謡の一つ。

消えてしまったママの手作りクッキーを探して、動物達に在り処を訊ねていく内容である。


ほほう、と今度は蛇苺がピアノを弾き始める番。

よくよく聴いてみれば聴き慣れた曲。

ゆったりアダルティなアレンジで変わり果てた、件の童謡だった。


「ねぇねぇ、ビスケットどこいった?」


歌い始める声までも、しっとりセクシーな別人で。

ここでトワもヴィヴィアも吹き出した。


この場合のママは恐らく酒場の女主人、ビスケットはワインのおつまみか。

燕尾服のペンギンやドレスのウサギに訊いて回る絵面を想像してしまい、二人の肩が小刻みに震える。

動物によって裏声まで使い分けるのは狡い。

指を置いたところで耐え切ったと思ったのに、またも真顔のポーズで蛇苺にとどめを刺された。


もう負けで良いです、師匠。




さてさて、お遊びはここらでおしまい。

今日からでも店に立つのなら大事な儀式があった。


「名前、どうしようか」


異界で本当の顔と名を握られてはならぬ。

貴族もお忍びで訪れるのだ、ただでさえ王妃候補の公爵令嬢なんてあまりにも広く知られ過ぎている。

やはり昨夜と同じく仮面に男装が必要か。


月華園のスタッフ達は二つの名を持ち、金手毬に名付けてもらうのが習わし。

好きな花を訊ねてそのまま命名されたり、イメージで選んだり。

ちなみに鳥兜と金手毬はお互いに付け合った結果。

猛毒とサボテンだなんて、仲が良いのか悪いのか分かりゃしない。



「どうせなら私も先生に名付けてほしいです」

「え?まぁ、構わないが……」

「貴族間ではずっと黒薔薇と呼ばれていましたけど、本当に嫌でしたし」

「あぁ、それは分かっている」


呼び合う名前は大事、少し時間が必要。

どんな植物をヴィヴィアに選び取って贈るのか。

考えて、考えて、やがて顔を上げる。


何故か、こちらを伺う目で。



「ヴィヴィア・ナイトというのかい?贅沢な名だね」

「え?は、はい……」


今更何なのだろうか。

初めて名前を知ったような口振りで、嫌味も込めて。


「今からお前の名前は狐薊キツネアザミだ」


せんせい?


「良いかい、狐薊だよ。分かったら返事をするんだ、狐薊」


せんせい??


異界で生きていくヴィヴィアに名を授ける大事な場面。

だというのに、やたら威圧的で迫力のある態度。

訳が分からず呆然としてしまったのも無理はなし。


これは、何?



「どうしたの鳥兜さん、急に女王様モード出して」

「不勉強で申し訳ありません、こういう時は私どうすれば……」

「いや、別に、何でもない……」


蛇苺に心配されて、また少し気恥ずかしそうな顔をする。

ただ、こちらの反応を見る静かな目をしていたのは何だったのだろうか。

それは兎も角として聞かねばならぬ。


「由来を教えてくれますか?」


鳥兜に蛇苺に狐薊だなんて。

偶然にも巧い具合に動物が揃ってしまったものだ。


頭の中の植物図鑑で狐薊の項目を探せば、春から初夏にかけて野原で咲く紫の花。

確かに自分が狐顔という自覚はあるのだが。

家畜を食べてしまう獣として、世間一般的にイメージは良くない。

童話の中では魔女と同じく悪役になりがち。


「棘がありそうで全然無いところ。花言葉も"嘘は嫌い"だし、正直者には丁度良い」


薊といえば棘だらけだが、狐薊は姿が似ているだけ。

黒薔薇でないヴィヴィアの新しい呼び名。

人柄まで見抜いてくれていたのは、素直に嬉しい。

少し照れ臭いような、誇らしいような気持ちがくすぐったかった。



「……それから、君を受け入れる前に言っておきたいことがある」


あれだけで話は終わらなかった。

名付けの儀式の後で、恩師から前置きを一つ。


「狐薊、君には人を支配する才能がある。自覚と覚悟を持て、さもなければ自分も相手も破滅するぞ」


この突き刺すような視線と言葉の強さには覚えがあった。

思い出すのは、今朝の金手毬と同じ鋭さ。


聞き返す為に「トワ先生」と形作ろうとした唇が途中で止まる。

ふと気付いてしまったのだ。

もう今度こそ、彼女をそう呼ぶことは許されないと。



その後も鳥兜の言葉は頭の中でずっと刺さっている。

時折よく分からないことを口にするのは確かに知っていたが、これは違う類だとは感じていた。

正面から向き合って考えてみなければいけないこと。

本当は、ずっと前から。


月華園の住人である限りSМと無関係ではいられない。

加虐に被虐、独占欲に支配欲。

ただ単に痛みを楽しむだけではなくて、信頼の上で成り立ち強い感情が絡むもの。


ヴィヴィア、否、狐薊がそのことを知るのはもう少し先の話。

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