07:人魚

歌が終わるとノエは優雅な一礼。

登場する時に羽織っていた自分のストールを雪椿に掛け、今度は彼の身体を隠して寄り添いながら退場。

先程まで虐げていたその手で労る。


つい困惑しながら見守っていたので、そこに偽りない気遣いを感じたヴィヴィアは何となく安堵した。

たったあれだけで単純かもしれないが。

何しろ、去る時も首に縄を付けて引っ張って行くかと思ってしまったものだから。


「大丈夫だよ、Мには鞭が飴みたいなものでどっちもご褒美だから」

「嫌がって泣いてるのに散々鞭で痛めつけておいて、愛してるから飴与える……てのは違うよ、それDVのハネムーン期だよ」

「痛めつけてスッキリしたから優しく出来るってだけの話ね」

「ね、鞭が甘いことを教えられないならその人はSの才能ないよ」


ふと溢したら、薄荷とカミィから思いのほか長い返答が来てしまった。

比較的温厚そうに見えてもここの住人。

分かるような、分からないままにしておいた方が良いような。



続いて、今度の演目には少し準備が必要らしい。

数人のスタッフが運び込まれて来た大道具を手際良く素早く並べていき、着々と舞台は整っていく。

丸いステージには広い敷布、真っ白な猫足バスタブ。

何に使うかはお楽しみ。


しばらくして正解発表の時間。

演奏と共にカーテンが開き、そこに立つ影は歪な形。


ランウェイからゆっくりと歩み寄ってくるのは一人の青年。

照明の所為だけでなく褐色の髪が陰を落とし、憂鬱で彩られていた。

質素な淡いグレーの服がますます物悲しい印象。

彼も目元周りだけを隠すアイマスク。

晒された顔半分、左頬には蜘蛛の巣と蝶々が描かれている。


歩く影は青年の物で一つだが、床に伸びる形は歪。

というのも小柄な少女を横抱きにしている為。



「男の人が蜘蛛蘭クモランさんで、女の子が白蓮さん」

「……ん?」

「あれ、知ってるの?うちのNo.1歌姫」

「……んん?」


「白蓮」の名は聞き覚えがあった、確かに。


今朝の庭先、雑草を毟っていた少女を思い出す。

ツバの広い帽子を始めとして全身包み隠されていて、ヴィヴィアはお手伝いさんかとばかり思っていた。

脱ぎ捨てた下、まさかこんな姿だとは。


青年の腕の中、滑らかで長い黒髪が水のように揺れている。

眠そうな潤んだ目に、果実めいた艶やかさの唇。

頭部や手などどのパーツも華奢で、こうして遠目では精巧な人形にすら見えてしまう。

純白のマーメイドドレスは両足首を裾ごとリボンでキュッと結わえており、まるで魚の尾鰭。



恭しく少女をバスタブに降ろして曲が始まる。

男声と女声、互いに紡いでいく歌劇。

ヴィヴィアも初めて見聞きする作品なので全くの未知だったが、徐々に輪郭が見えてきた。


あれは殺人鬼と人魚の歌。


遺体を海に捨てたある夜のこと、人魚が現れて残さず食べてくれたのが出逢い。

青年は人魚を連れ帰り、風呂場で飼いながら餌を与えていく。

一度は真っ当になり人魚との幸福を夢見るも、もう悦楽の血に染まりきった心は戻らない。

懺悔室となった風呂場で、数え切れない罪を人魚に打ち明ける日々。



「後戻りなんて出来ないわ、お馬鹿さん」


No.1とまで呼ばれるだけあって、白蓮の歌声は甘やかに伸びやかに。

まるで瓶からとろり流れ落ちる蜂蜜の声。

人によっては虜となり毒ともなる危うさすら潜んでいる。

そして今は見えない海の世界を作り出す。

溺れる側は鼓動の早さで呼吸が苦しくなるのに、包まれていることに安心するような。


「死ぬまで離さないと言われたから、殺して解放してくれって僕には聞こえたんだ」


これは青年に身勝手な情念を募らせてきた女を殺した後の一節。

腰に差していたナイフを胸元で掲げながら。

蜘蛛蘭という青年も声の領域が広く、切なく掠れた低音など男性特有の色香。

歌という形で苦しみの激情を泣き叫ぶ。


本気で音楽の道を志していたヴィヴィアの耳は確かだ。

ピアノといい歌といい、ここはあまりにも高品質。

彼らは何者なのだろうか。



「それなら私が解放してあげましょう」


ナイフを握ったままの骨張った手に、人魚は指先を絡めた。

キスを求める甘さで引き寄せる顔。

そうして突然、青年の喉元を喰い千切った。

客席からは思わず小さな悲鳴。


牙を剥き、刃を突き立て、魔物の本性を曝け出す。


血糊と玩具のナイフと分かっていても白熱した演技。裂かれた服と腹の下には、作り物の臓物まで仕込む徹底ぶり。

敷布はこの為、無数の飛沫が散っていく。

やがてバスタブには血が満ちる。

神秘的な少女が容赦なく肌もドレスも真紅に染め上げていく惨劇。


そして何よりも飼い主だった青年を見下ろす、その目。

凄まじさは呼吸すら忘れる観客達を戦慄させた。


「結局誰でも同じ味、お馬鹿さん」


今まで一度も感情を見せなかった人魚は初めて唇を綻ばせる。

あの狂気を見せた後、なんて無垢な微笑みか。

斯くしてバスタブから抜け出すと、するりとステージ下へ降りて暗闇に消えていく。

哀れな青年をその場に残したまま。



ただの観劇ならばヴィヴィアだって幼い頃から幾つも経験があり慣れている、人が死ぬ場面だって。

けれど、こんなにも生々しく描かれている舞台なんて初めてだった。

何もかもが別物で、常識が引っくり返る感覚。


撤収もまた手際良く素早く。

青年の沈んだバスタブには布を被せ、客達の目から隠してしまう。

男性陣もご丁寧に喪服姿という凝りよう。

二人掛かりで運び去れば、もう後には何も残らない。

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