06:夢魔
兄妹に導かれた渡り廊下の先。
階段を降りて行き、半分地下に埋まった形なので店の天井は高く洞窟めいていた。
そこは例えるならば、魔物の巣。
全体的に漆黒で纏められて差し色は鈍い赤と金。
シャンデリアの吊り下がる空間は少しばかり薄暗く保たれ、無数の丸いテーブルにランプの火が揺れている。
入口の横には落ち着いたバーカウンターも。
ナイトクラブなんて初めてなのでこんなものだろうかと思いきや、異界じみているのは何も装飾の所為だけではない。
談笑する客は正装しているのに揃いも揃って仮面。
中には人外めいたマスクで頭を覆い隠している者すら。
仮面舞踏会ならヴィヴィアだって知っているが、そんな格調高いものではない。
人間に化けて日常生活を送っていた魔物達がここでは安心して正体を曝け出しているような。
そんな底知れない雰囲気を肌で感じてしまう。
スタッフの方は顔を晒している者もちらほらと居るので尚更である。
人間が魔物を
何より目を引くのは奥の壁際、ピアノを悠々と二台は置ける大きさのステージ。
その中央からランウェイが伸び、床は薄っすらと反射するほど磨かれている。
行き止まりは広くて丸いステージ状になっており、客席から間近で楽しめる造り。
それだけならファッションショーも出来そうである。
ただし、金属の細い柱と頑強そうなフックが妙に存在感を持っているが。
その柱こそポールダンスの為の物。
薄荷とカミィが絡まり、回り、踊る場所。
ショータイムは休憩や準備を含めて約二時間。
キャストが入れ替わり立ち替わり披露していくので目まぐるしい。
二人の出番は序盤で終わったそうで、今日はもう休もうかと戻ったらヴィヴィアと鉢合わせしたという。
食事と着替えを済ませて途中からでも、まだ幾つか演目は残っているので間に合った。
さて、今はというと。
客が数人ステージに連れて行かれ、女王様に鞭打ちされる公開調教の真っ最中。
立派な身形の男性陣が拷問されているのは何とも倒錯的で傍目からすると可笑しみすら。
思わず声を漏らしてしまう者まで居るが、意外とバラ鞭はそこまで痛くないらしい。
悲鳴を上げると気分が出るので自己暗示もあるのだという、薄荷とカミィの解説付き。
「ところでさ、本当にその服で良かったの?」
「ええ……変装ですので」
「好きな服って言ったんだから良いじゃない、カッコイイよ」
後方のスタッフ専用出入り口近くにある席に三人は居た。
ショータイムは誰もがステージに目を向けるので、彼らを気にする者は居ない。
薄荷とカミィも今は客だからと、揃ってベールで顔を隠して正装。
ヴィヴィアといえば吊り目にはシンプルな白い仮面。
小さな時計の飾りで遊び心のあるシルクハットに、品の良い真っ黒なコート。
背が高く細身の彼女が男装すると、一見ではあまり違和感が無かった。
長い髪は纏め上げて帽子の中へ。
パンツスタイルは長い脚をますます美しく見せる。
顔を隠すことが決まっている場とはいえ、もしもに備えて性別まで偽っての万全体制。
ここには貴族も集まるのだ。
誰に遭うか分からず見つかる訳にはいかない、決して。
それに今朝あんなことがあったばかり。
不特定多数の中で女性として意識されるだけで、少し怖い。
鞭打ちが終わるとステージは無人になり、しばらくはお喋りの声が散らばっていた空間。
突然始まるピアノの旋律が彼らを黙らせた。
閉じられたカーテンの向こう側、耳どころか全身までも貫いて鳥肌が立ってしまう。
美しい嘆きにも似た、何とも重い響き。
他人の演奏でこんなにも胸が震えてしまうのは久しぶりのことだった。
それもクラシックコンサートのホールなどではなく、花街の酒場で。
カーテンの切れ目に突き出されたのは、蝶のように閃く細い手。
幕が開けば、じっとりと仄暗い色香を持つ若い女性が登場する。
「あれはノエさん」
薫衣草、クノエソウ、ラベンダーの和名。
カミィと同じく、ここの皆は愛称でノエと呼ぶ。
羽を広げた蝙蝠形の小さいマスク。
アップスタイルにしたミッドナイトブルーの髪に、編み込まれたラベンダー色のリボンが少女じみたアンバランスな甘さを一匙残す。
大判のストールを巻き付けて肌を隠しており、靴を鳴らしながら歩くたびに覗く脚が艶めかしい。
そうして丸いステージの手前、するりと脱ぎ捨てる。
ストールの中は革のビスチェと豪奢なレース仕立ての短いペチコート。
上下揃えて深紫を纏っているグラマラスな肢体。
背中にもマスクと似た飾りが生えていた。
腰まであるビスチェに包まれた乳房は瑞々しい果実を二つ並べたかのような豊かさ。
ストッキングの脚も肉感的ながら、腰や足首はしっかりと括れている。
重々しいネックレスが巻かれた首筋も対比で細く美しく際立つ。
下着姿だというのに無防備どころか、まるで武装状態。
艶やかさもここまで攻撃的では、好色な男性ですら息を呑んで気圧されることだろう。
長い前奏はここで終わり、ノエの一呼吸が合図。
ローズに濡れた唇から歌が生まれ出す。
初めて聴くというのに水のように沁み入ってくる。
これは、夜毎に男を淫夢へ誘う夢魔の曲。
旋律も歌詞も暗く艶めいているのに、ノエの声は透き通っていて不快感は無い。
冴えた闇が立ち込めて、心地良く底へ沈む錯覚。
格好や曲こそ挑発的ながら見事なもの。
ピアノと歌だけでもヴィヴィアは満足だった。
しかし、それだけでは終わらない。
ふと、一人の給仕がステージに歩み寄る。
見覚えのあるアッシュシルバーの髪を束ねた後ろ姿。
ああ、あれは雪椿か。
トワに叩き起こされ寝惚けていた気の毒な青年。
何の為かと思えば、シャツの襟に両手を掛けたのが答え。
給仕の制服のボタンはスナップ式。
勢い良く左右へ開くと、一気に肌蹴てしまう。
上半身だけとはいえ裸の異性など見慣れてない。
なので目を逸らそうとしたのに一瞬遅く、そして奪われてしまった。
シャツを脱ぎ捨て、客席に向けて曝け出された背中。
大きな傷跡でもあったのならばまだ理解が出来た。
それよりも、もっと奇妙奇怪。
傷口に関しては小さく、しかし数は幾つも規則正しく、リング状のピアスが並んで埋め込まれていた。
そこを通して背中に直接リボンの編み上げ。
ノエの髪を結ぶラベンダー色と同じ蝶々結びが留まっている。
しなやかでありつつも、骨っぽさのある男性の身体。
今朝逢った雪椿とは全くの別人だった。
客席に向ける目は、ノエと同じく仄暗い艶を浮かべて薄く微笑む。
こんなにも色男だったのか。
長い髪を掻き上げたところで気付いた。
隠れていた耳にも小さな穴と、通された同色のリボン。
「あれ本物……ですの?」
「そうだよ、コルセットピアスって知ってるかな」
「あんなところに穴開けて大丈夫なんですか?」
「雪椿さんはもうダメだよ」
客の目の前で針を突き刺していくショーもあるが、穴だらけの肌を晒すだけでも見応えはあり。
要は活かし方によるもので、そこは女王様の腕。
ステージ上で雪椿を膝立ちにさせると、子猫を愛でる指先で顎を持ち上げる。
額にキスを落とす流れでノエが眼鏡を咥えて外した。
レンズを奪われて見上げる、その顔。
なんて純粋な目をするのか。
誰にも有無を言わせず、完全に飼い主とペットとしての空気を作り出していた。
一房に纏められているアッシュシルバーの髪はまるで尻尾。
次に、突き出した長い舌を摘まれて涎が一筋。
通常ならば、唾液まみれの柔らかい部分なんてうまく掴めない。
ただし彼の場合は留め金があるので可能だった。
舌の真ん中を打ち抜く銀色の光、丸いピアスがノエの指先に引っ掛かっている。
短い間奏は息を整えるだけの時間でなかった。
ノエが片手でネックレスを外すと、雪椿の手首に巻き付ける。
胸の前で拘束されてはもう動けない。
頭を押されれば膝立ちのまま上半身も床に着いて、背中がよく見える体勢。
ノエの細い指は編み上げのリボンを握り、時折千切るように摘んでみせる。
そうして酷いことをしながらも平然と歌い続けるのだ。
引き攣れる痛みで悲鳴が音楽に混ざり合う。
見ているだけで痛々しいのに、やはり奇妙奇怪。
雪椿の声は甘く掠れて情交じみた熱を持つ。
「お二人から見て、雪椿さんはどういう方?」
ここで質問、同僚視点から回答どうぞ。
「飛び級で医師免許取ったくらいめちゃくちゃ頭良いのに、ここに来ちゃったんだよね……」
「そう、ノエさんの奴隷になりたくて」
「でも付き合ってないんだよね……」
「こうしてペア組めるくらいは信頼あるんだろうけど、あの人達の関係は私よく分からないや」
「ショーで怪我する場合もあるから、確かに僕もこの店にお医者さんは要ると思うけどさ……」
「他人に注射で針刺すより、自分が好き好んで刺される側になっちゃった訳よ」
ありがとうございました、もう結構。
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