05:夜光花

「まず……ヴィヴィア嬢は、SМが何だか知ってるか?」

「…………ごほっ」


唐突に投げかけられた単語で、つい咳き込んだ。

年頃のご令嬢の腹には重く命中。

いや確かに、先程のトワと店主の一幕を思い出せば意外でもないが。


脳裏に浮かぶのはハイヒールと黒いコルセットの女性。

鞭を振るい、蝋を垂らし、残酷に命じる。

こうして奴隷を痛めつけながら高笑い。

笑ってしまうくらいくらい貧相なイメージしかない。

とんだ羞恥プレイである。


「まぁ良い、大体合ってるか……次、そうした物はどこで行われる?」

「秘密倶楽部とか、ですわね」



舞踏会が廃れ始めた時代、社交場はサロン文化へ移っていった。

流行するに従って語らいの場はそれぞれ共通の趣味の集まりなど細分化する。

その中で、好色貴族の秘密倶楽部としてSМは存在していた。

意外と愛好家は数多く居るものらしい。


成人しているヴィヴィアもそれくらいは分かる。

あくまでも知識の上で。


誰がサディストかマゾヒストかなんて分からない。

ただ言わないだけ、隠しているだけ。

むしろ社会的地位が高い者ほどマゾヒストの割合が高い、なんてことも。



そして、ここ月華園は完全会員制のSMショーパブ。


夕刻の装いに仮面がドレスコード。

好色貴族だけでなく、王都も近いのでそれなりに裕福な平民も訪れる。

店に行くだけなので、サロンよりもずっと気軽に楽しめるのだ。

秘密倶楽部としては足を踏み入れる敷居が低い。


ただし鉄の掟を幾つも守ってもらう。


まず始めに、当然スタッフも客も未成年はお断り。

会員になるには身分証明書も必要。

そこを越えたら客は誰もが顔を隠し、本名も明かさないことになっていた。

また店の独自の趣向として、ここでの呼び名は皆一様に植物から。

猛毒の鳥兜、清らかな白蓮、忍耐を司る雪椿。


彼、彼女らは夜光花。

太陽から隠れて、月に咲く。



酒や煙草、会話を楽しみパートナー探しする者が集う場だがメインは何よりショータイム。

週に一度、歌ったり鞭や縄を使ったりと華やかなステージが開かれるのだ。

それ以外では出演者が接客することも。


「あの店主さんも……?」

「そう、何年も私に縛られに来ている。仮面してなくても分かるくらいにはな」

「そういうご関係……?」

「いや、本当に縄だけで営業」


何よりも大事な点として、性行為は一切無し。

そこはくれぐれも誤解なきよう願いたい。


客同士やスタッフに触れることも、卑猥な言葉をかけることも厳禁。

ショーで服を脱ぐこともあるが下着で隠れる場所は晒さず、露出が高くなるのは男性の方になりがち。

ここはいつもと違う自分になりきる遊び場。

だからといって羽目を外せば黒服に追い出される。

"そういう"店も花街には勿論あるが、ここではお喋りとショーがメインなので“そうした“行為はお断り。


月華園は紳士淑女の社交場。

欲望から品性を失ってはいけない。



「それで、私は……緊縛師やっている」


ようやく観念して、後半は溜息混じりで一呼吸。

トワが鳥兜と名乗り始めてから約二十年。

緊縛師というのは、人を縄で華麗に縛り上げる技術職のことである。


そもそもの話をすれば、緊縛とは東洋からの技術なのだ。

罪人を捕縛する技術がアダルト業界で進化し、独特の文化として発展していった。

この国で緊縛師を名乗っているのは鳥兜の弟子ばかり。

貿易商の娘だけに、彼女もまた故郷からのものを持ち込んできた訳だ。


そうか、それで随分と扱いに慣れていたのか。

縄は彼女にとって腕の延長線上。

結ぶも解くも自由自在。

人間なんて不定形で可動域の高い物を縛るには、押さえるべき点が要るのである。


そうして、ここは月華園のスタッフの住み込み寮。

昼は別の仕事をしていたり家から通いの者も多いが、行き場のない者は纏めて生活している。

夜の住人なので事情は様々。



けれど、ふと妙なことに気付いた。


まだトワは三十代半ば。

その彼女の二十年前とすると、既に十代の時から故郷で緊縛を完全に習得していたことになる。

それもディアマン王国に移り住んだのは確かほんの12か13歳頃だと前に聞いていたのに。


どこかに嘘がないとするならば、誰に、どうやって教わった?

そもそもトワは一体何者なのだろうか?



適度に暖かな部屋と飲み物。

天井に回る扇風機をぼんやり見つめながら、共にぐるぐるし始める思考。

朦朧と首が垂れたところでトワに支えられた。


ああ、もう限界まで秒読み。


ずっと心身が擦り減っていたところに、あまりにも多過ぎる情報が詰め込まれたのだ。

回復するには深く安らかな眠りが必要。

連れられるまま階段を上って、空き部屋に着くとベッドに倒れ込んでしまう。




まだ訊きたいことは沢山あった筈なのに、全然足りないまま終わったことをヴィヴィアは悔いた。

夢も見ずに心地良く眠った後、一人で反省会。


建物の雰囲気と同じく、やはり部屋もベッドも清潔で温かみがあり居心地が良い。

普通に生活するには十分な広さで、この後また朝までここで過ごすのも悪くないだろう。

学園の寮の個室とは比べるものではないのだが、今思えばあれはまるで豪華な牢獄だった。


ただでさえ日暮れの早い季節、もう窓の外は宵の色に染まっている。

あの寝静まっていた店の数々もまた目を覚ましたようだ。

空は曇り始め月も切れ切れだったが、花街の光で毒々しいまでに賑やかな夜が来ていた。



それにしても一昨日からヴィヴィアの人生というテーブルゲームには逆転に逆転が重なり、もう今どこに居るのやら。

朝から軽くしか食べてないので再び空腹。

無防備な気がしてブランケットを羽織り、ドアノブを握る。


扉の前の通路は手摺に囲まれ、真下にある吹き抜けのリビングから丸見えのバルコニー状。

少し顔を出しただけなのに目敏く見つかってしまった。


「あっ、鳥兜さんのお客さん?」

「おいでおいで、ご飯あるよ!」


自分とそう変わらない年齢だろうに、子供相手のように接するのは何故なのだろう。

下から明るい声を掛けてきたのは二人の男女だった。

毒気を抜かれて思わず苦笑。

そう呼びかけられたら素直に降りるしかなし。



「初めまして、僕は薄荷ハッカ。ここではポールダンサーやってるよ」

「同じく、その妹の加密列カミツレでカミィね」


薄荷、加密列、ミントとカモミール。

どちらもハーブの名か。

重ね付けしたチョーカーとピアスで飾り気のある兄と、揺れるツインテールが尻尾を思わせる妹。


男女の差はありつつも顔立ちなど共通点が多い。

ふわふわと柔らかい癖があるハニーブラウンの髪。

明るい色の大きな垂れ目で甘い印象に、尖った牙の覗く口許が引き立つ。

女性の中では長身のヴィヴィアだが、兄妹二人揃って並の男性よりも背が高くて驚いた。

それから何というか、あまり夜の匂いがしない。

印象としては人馴れした大型犬。


ポールダンスとは支柱を用いた体操などの一種。

柔軟性と筋力、リズム感を鍛えて回転や登り降りなど様々な技を組み合わせて披露する。

両腕の力だけで掴まって身体を水平に保つことだって出来ると、大きく硬い手を見せながら教えてくれた。

前はサーカスの軽業師だったからこそ活かせる芸当らしい。


一方のヴィヴィアも自己紹介は簡単に。

もう公爵令嬢ではないので、そこは伏せておいた。


共に食事しながらの会話は和やかに進んで行く。

初対面だというのに、驚くほど話しやすい二人に警戒心を解かれてしまった。

並々盛られた温かいシチューが沁み渡る。


ああ、そうか。


公爵令嬢や黒薔薇などではなく、何も持たなくてもヴィヴィアを一人の人間として見てくれているのだ。

だから尚更に善意が嬉しい。

背負っていた物はトワと交流を持ってから軽くしてきたつもりだったが、まだまだ重かった。

やっと自由になったのだという実感。


それにどうせなら、もっと冒険してみたい。



「私も……お店、行ってみたいです」

「なら、お洒落したなきゃだね」

「衣装部屋あるから好きなの着て良いよ」



先程までヴィヴィアの居た寝室は空っぽ。

灯りも点けずに起きぬけからそのまま部屋を出て行ったので彼女は知らない。

ベッドの脇のテーブルにあった、置き手紙の存在。

差出人は他ならぬトワから。



今日はもう列車に間に合わないから、商会への出発は明日にする

今朝の件は然るべき場所に通報しておいたので、もう何も心配しなくて良い

私は席を外すがすぐ戻る

食事の用意は下にあるし、他に要るものがあるなら後で持ってこさせるのでベルを鳴らせ


なるべく部屋から出るな

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