04:月華園

バギータイプの小さな馬車は馬一頭に二人乗り。

箱型でなく屋根付きの椅子を引くようなもので、外からは剥き出しになる。

返してもらった荷物を抱いてヴィヴィアは腰を落ち着ける。

店主が直々に馬代わりで馬車を引きそうな勢いだったので、トワが流石に制止した。


送り届けるという流れになった。

でも、どこへ?



「鳥兜様、月華園までで宜しいですか?」

「……そうだな」


月華園ゲッカエン


碌な薬や用具がなかったので治療は応急処置のみ。

額に白い布だけ巻いて、血は程度でもう止まっていた。

痛々しげなのに滲んだ赤はトワの横顔に艶を混ぜる。




店主の馬車に揺られながら頬を撫でていく冷えた風。

顔を上げれば、思いがけない形で初めて来た花街は意外なほど平穏な空気だった。

というよりも、なんて閑散としているのだろうか。

枯れ葉が舞う季節柄とはいえ寒々しく、人の気配を感じない。


考えてみれば、それもそう。


夜は妖しく明かりが誘う店ばかりであろう街並み。

一日中ギラギラと欲望で彩られている訳ではなく、昼は人目につかない。

午前中はどこも店仕舞いしており、住人達は寝静まっている。


見上げる太陽は高くなり目に眩しい。

立ち並ぶ店の素顔、傷みも汚れも容赦なく曝け出す。




訊きたいことも沢山あったが、口を開くタイミングを逃した。

そうこうしている間に目的地に到達したらしい。

店主はトワの命令により引き下がり、早々に立ち去る。


あの娼館から馬車で数分。

こうして辿り着いたのは、白っぽい煉瓦造りの建物だった。


建物自体はそれなりに古く無骨ではあるが、他の店と少し違って立派な印象。

ちょっとした門から建物までは敷石が導き、小さな庭まである所為か。

芝生は秋の色になりつつも、きちんと刈り取られている。

地に根を張る花々に混じり合って素焼きや陶器の鉢も。

伸びっぱなしの緑は廃墟じみた無機質さで彩るものだが、綺麗に手入れされていると豊かさの象徴。



白蓮ビャクレン


トワが口にしたのは庭の主の名。

雑草を抜いていた人影がゆっくり立ち上がる。


白蓮と呼ばれたのは小柄な少女だった。

日除けの帽子と動きやすい服装、土で汚れた手袋。

長身のヴィヴィアからすると少女を見下ろす形になってしまい、陰で顔はよく見えない。


「あら鳥兜さん、今日はプライベートでプレイする人でも連れてきたのかしら?」

「違う。何だ、そのハハーンみたいな感じは」

「失礼、その怪我だとよほど激しいプレイでもしたのかと」

「そういう時はまず「大丈夫か」と訊け」


また聞いちゃいけない単語を耳にしてしまった気がする。

少女からは軽く頭を下げられたが。


「それはそうと、雪椿ユキツバキは居るか?」

「そうねぇ、寝てると思うけど」



それだけ訊くと再びトワは芝生を踏み越えて行く。

煉瓦造りの建物の正面玄関を素通りして、ぐるっと回った裏にはもう一つ宿屋を思わせる建物があった。

頑丈そうな木造の二階建て、屋根裏部屋付き。

こちらは宿屋を思わせる造りだ。

煉瓦造りの方と渡り廊下で繋がっており、間には小さな中庭も。


トワはここでよほど偉い立場か何かだろうか。

裏口から鍵を開けて我が物顔。

「寝ている」という人の部屋の扉を蹴り、遠慮容赦なく叩き起こした。




「まぁ、医者に寝不足は付き物なんよ……」


眠気覚ましの熱いカフェオレを啜り、雪椿という二十歳前後の若い男性は赤くなった目を擦った。

力のない笑みはいっそ哀れみすらある。

ヴィヴィアの方が「大丈夫か」と訊きたいところ。



軽く束ねられた長い髪は冷たいアッシュシルバー。

下がり眉に穏やかな垂れ目、眼鏡は細めのスクエアタイプ。

やや頼りなさげな柔らかさの整った顔立ちをしている。

女性の中では長身のヴィヴィアより少し背が高いくらいで、男性にしては骨も華奢なので少し中性的な印象。


それと、先程の「医者」という自称は伊達じゃないらしい。

鳥兜を治療は慣れたもので手早く済ます。


「ところで鳥兜さん、今日その顔で出るん?」

「隠すから問題ないだろ」

「でも学校もあるんに」

「そっちも来週まで授業ない」

「はぁ、それまでに治るとえねぇ……なんかもう、喧嘩した後の不良みたいなんよ」

「失礼な奴だな。学校じゃ清純派なんだよ、私は」


ヴィヴィアはつい吹き出しそうになったが、雪椿の方は無反応。

会話の後半はもう瞼が落ちかけていた。

そういえば、最初から客人のヴィヴィアには軽い会釈だけ。

もう眠くて限界なのかもしれない。


「じゃ、もう僕はこれで……お大事に」


それだけ言うと雪椿はブランケットを羽織った。

片手にカップ、片手に壁伝いで去って行く。


おやすみなさい、良い夢を。




さて、本題に入ろうか。


あのまま男性の寝室に入る訳にもいかず、治療はリビングで行われた。

トワとヴィヴィアの現在地は吹き抜けの下。

空間の中央にはテーブルが置かれ、正面の壁際にはキッチン。

ヴィヴィアのすぐ後ろでは燃える暖炉。

空間を形作る艶々した木目には清潔感と温かみがあり、差し込む光も柔らかい。

ここに住まう人々の生活が見えてくる本棚や観葉植物まで。


やはり宿屋なのではないか。

リビングに並ぶテーブルは大きく、椅子も複数。

階段の先にある長い廊下には同じような扉がずらり並んでおり、客室にしか見えない造りだった。



「もしかして先生の家って、こちらのことでしたの?」

「いや、王都の自宅はある……ここで寝泊まりすることも多いが」

「そろそろ教えて下さいませ、色々と」

「どこからどこまで?」


不意に、はぐらかされそうになって顔を上げた。


暖炉側の席を譲られたのでヴィヴィアの背は少し熱いくらい。

その向かい側、トワの目には火の色が小さく揺れる。

まるで狂気を宿すかのごとく。


踏み込もうとするのは思わず躊躇った。

ヴィヴィアの足の爪先は今、正体不明の何かに触れている。

ここから先はきっとトワの闇。

最も敬愛する恩師がずっと隠していた一面。


けれどヴィヴィアは引き返すつもりはない。

人間ならば誰しも闇くらい持っている、自分だって。

巻き込んでしまって、助けられて、ここまで来てしまったのだ。


もう何も知らなかった頃には戻れない。



「その前に、せめて着替えをしようか」


いつもの涼やかな顔でトワは促した。

逃げる訳ではないようだが、確かにそうだ。

埃はある程度払ったものの汚れた格好のままでは落ち着かない。

危機を脱してここはとりあえずの安全地帯。

食事もお茶も好きなだけ。


身支度を整えたら、またここで。

私の知らない貴女の話を教えて欲しい。

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