02:追放

和やかな夜を照らすシャンデリアのホールには全校生徒が集っていた。

下級生から上級生、別け隔てなく歓談する交流会である。

これも礼儀作法を学ぶ場であり授業の一貫。


社交会ならそれぞれ好きに着飾るところだが、学校行事なので制服が正装。

それに輝くばかりの白いデザインは燕尾服やドレスにも劣らない。

容姿の整った生徒に至ってはまるで荘厳なる天使。

自分と同じ服装でも、普段交流のない生徒は見惚れてしまう。


定期的に行われる交流会は「黒薔薇」に近付くチャンス。

ヴィヴィアは女生徒達に囲まれて困った笑み。

見覚えのない顔まで増えている。


今思えば、少しだけ妙だとは思っていたのだ。


いつもなら学園側からピアノの演奏一つも頼まれるところなのに、今日は何もなし。

お陰で「演奏の時間だから」と離れる口実が使えず。

それなら適当に小さい嘘の一つでも使えば良い。

分かってはいるが、どうしても気が咎める。



そして目玉であるアンデシン王太子の婚約発表。

婚約発表でどちらが選ばれるかなんて周知の事実。

けれど、そこから先は誰が予想できるか。


「この場を借りて告発したい事があります」


どことなく芝居じみて王太子は言葉を続ける。

擬音を加えるなら、そう、「キリッ」のような。



「ヴィヴィア・ナイト、この魔女め!」


は?


思わず間抜けた声が舌先を離れそうになった。

慌てて呑み込み、扇子で口許を隠す。



「魔女」とは昔からヴィヴィアの蔑称として王太子が使ってきた言葉。

懐かしさすらあるが、長年蓄積された腹立たしさに火種を投げる。

もうお互い大人だというのにまだ言っているのか。


こういう時は大抵、ロードを虐げただのなんだのと勇者になりきっている。

ごっこ遊びもいい加減にしてほしい。


「貴方達を祝う席です、反りが合わない私のことなど放っておけば良いではないですか。何か申したいことがあるなら後にして下さいませ」


またか、とヴィヴィアは飽くまでも落ち着いている。

それどころか「子供の喧嘩がしたいのか」と嫌味を言いそうになった、危うく。


しかし冷静なのは彼女だけで、周りは晒し上げられた令嬢に対して俄かに騒めく。

王太子に名指しで罵倒されたことで流石に取り囲んでいた女生徒達も思わず後退った。

普段から散々持て囃しておきながら薄情なことだ。



「お前が女生徒達を食い漁っていたという訴えは複数集まっている」


今度はそう来たか。


相変わらず王太子は勇者になりきりながら。

どうしてこんなにもヴィヴィアに対しては子供になってしまうのだろうか。



「まるで私を人喰いみたいに仰いますのね」

「常日頃から女生徒達を侍らせていておきながら白々しい……」

「それなら被害者が居ますわね、何年生のどなたですの?」

「被害者を晒し上げに出来るか」


妙な熱気を感じ、顔を動かさないまま視線を移す。

涙目でこちらを伺う女生徒達にはどの顔も見覚えがあった。


ああ、やられたと思う。


この正直者には悪事なんて何も身に覚えがない。

ただ一つだけウィークポイントがあるとすれば、ヴィヴィアを囲んでいた女生徒達とのことである。

それが例の「妙な拗れ方」だ。


学園は男女交際禁止。

それならばと同性に心置きなく黄色い声を上げられる。

思春期は勘違いが起きやすく、憧れは暴走しがち。

距離感がおかしな者も複数居たのだ。


最初は黙っていても子犬のように纏わりついてきた。

お人好しの世話焼きの性分。

無下にも出来ず、先輩として友人として接してきたつもりだが。


ある女生徒はヴィヴィアに憧れて入学を決めたと言っていた。

またある女生徒は「妹にして下さい」と言ってきた。

またある女生徒は想いを綴った詩集を書いてきた。

またある女生徒はヴィヴィアとお揃いや似た物を持ちたがった。

またある女生徒はやたら手を握ってきた。

またある女生徒は二人きりの時に迫ってきた。

またある女生徒は……


こうした手合が後を絶たなかった五年間。

男子の方は遠巻きに見ているだけで、話しかけてくることすら少なかったが。

同級生は「大変ですね」と他人事で笑っていた。


恋心は片方だけじゃ結ばれない。

その熱量がどんなに強くても、真実の物でも。


応えられないのは苦しい、しかし嘘も吐けない。

なるべく穏便にと、やんわりと制してきたのが却って良くなかった。

皆一様に傷付いた顔で離れて行き、憎しみの目で避けていく。



「お姉様に弄ばれたという被害者の方をこれ以上辱めることは許しません!」


もう一人、正義として張り上げる声。


王太子に寄り添い、彼の制服の裾を握るロード。

まるで勇気ある姫君かのように。



ああ、そういうことかとも察する。


ロードも頑張ってはいるようだったが、名門校ではあくまで平均。

これといって目立つ評価もなく最後の年を迎えた。

前はもっとバイオリンを弾いたり意欲的だった筈なのだが、壁に当たってしまったのか。

その上「君はそのままで良い、何の役に立たなくても傍に居てくれ」と全肯定で甘やかす王太子が居たら、もう足を折られて立ち上がれまい。


王妃争いの座から降りるとは伝えたが、それでも成績優秀かつ華々しくピアノで活躍してきたヴィヴィアを手放してまで選べばどうなるか。


王家や貴族社会からロードへの批判は避けられず、王太子が守るにしても限りがある。

というか、既にそうした陰口はヴィヴィアの耳にまで届いていた。


そうしてロードを王妃にする為、対立候補であるヴィヴィアを「相応しくない」と蹴落とすつもりか。


別の見方をすれば、結局のところロードに最も失礼極まりないのは王太子なのだが。

果たして気付いているのやら、盲目になっているのか。



「そうしたお誘いは全てお断りしました。私と何も無かったことは、その女生徒達こそ一番知っている筈ですが?」


遊ぶどころか、キスの息継ぎすら知らないのに。


嘘を吐けないし、嘘を吐かれるのも嫌い。

ヴィヴィアは屈せずに氷の視線と声。



密やかに熱を持った批難の騒めきで更にホールが揺れる。

ヴィヴィアの言葉を信じるか信じまいか、もはやそれは関係なかった。

「そうであった方が面白い」という下卑た笑いも確かに感じる。

普段から厳格な校則で抑圧されている反動。

色事の話題には飢えているのだ、常に。


失恋してしまった女生徒。

ヴィヴィアに心を奪われた彼女らの婚約者。

そして、都合の良いお姉様像を勝手に築いていた生徒達。


「私があなたを好きだから、あなたも私を好きになるべき」とでも言うのか。

応えられない憧れは重く、煩わしさすらあったのに。


こうして崇拝は反転して、逆恨みが渦を巻く。

薄暗い負の感情はホールを呑み込むほど大きくなる。

折れないまま押し問答もしばし続いたが、所詮は茶番。

ヴィヴィアには退学が言い渡された。


ああ、なんて下らない。


頑張っても結末はこれなのか。

馬鹿馬鹿しい言い掛かりを決して認めたりはしない。

だというのに、やったことを前提で話を進められる。

教師達は止めもせず棒立ちで何をやっているのだろうか。

名門校の指導者が揃いも揃って嘆かわしい。

ただ厳しいだけで何も寄り添ってはくれないのか。


貞節に厳格な学園で淫乱のように触れ回られた。

事実であろうと無かろうと、元の学園生活は望めない。


全てに疲れてしまった。


追い出されるなら結構。

もうこんな腐った場所に居たくない。




こうして波乱の交流会の夜は明ける。


しかし、退学になっても即刻出て行ける訳ではない。

正式な手続きとして念押しで書類の数々、実家への手紙。

寮生なので生活用品だけで山積みで大きな荷物は郵送、手放したくない物は旅行鞄一つ分、帰省の時は使用人が来てくれるものを全部一人で行うのだ。

済ませる頃、ヴィヴィアは精神的に疲弊しきっていた。

もう金を払ってでも早く済ませたい。


猶予の一日は寮の個室に軟禁された状態。

お陰で生徒達からの悪意を直接浴びることはなかった。

教師が付きっきりだったのは最後の配慮。


後で聞かされたところ、ヴィヴィアがよく弾いていたピアノが酷いことになっていたらしい。


学園で崇拝されていた「黒薔薇」を穢せる絶好の機会だ。

正義感は暴走して、王太子公認とばかりに矛先が向かう。


が、ピアノは別にヴィヴィアの私物ではない。

器物破損が正当化される訳でなく、しかも学園の備品。

それとこれとは罪が別なのだ。

自慢気に話していた犯人の生徒達は漏れなく御用。

こんなにも阿呆揃いだったのかと頭を抱えた。


なんて可哀想なピアノ。

しかし、今となってはもうどうでも良い。


この学園での評価は貴族社会での評価。

無実の罪でも地の底に落ちてしまったら這い上がれない。

間違いなくナイト家はヴィヴィアを捨てるだろう。



交流会で不在だったトワが全てを知ったのは翌日。

もう呆れで目眩がしたそうだ。

流石におかしいと訴えても、コネ就職の独身女性一人の声なんて届かず。


告発したのが誰も逆らえない王族なのだ。

何より、もうヴィヴィア本人が退学の意思を固めてしまっては致し方ない。



音楽学校の推薦どころか受験も取り消された。

絶望するところなのだろうが、もはや涙も出やしない。


泣けば可愛げもあるものの王太子はそこが気に入らないのだ、昔から。


大変優秀でリーダーシップはある王太子。

素直に下や後ろで守られる者にとっては確かに頼もしいだろう。


けれど、決して誰も並び立つことを許さないのだ。

立場上は仕方ないにしても、精神で支配下に置かれることを拒むヴィヴィアは媚びない。

互いに親愛や敬いを持てば、好敵手としてパートナーとなる道もあったろう。

けれど、嘘で陥れるほど一方的に憎むような王太子には無理な話だったか。


ロードに関してはよく分からない。

あの嘘は大方、王太子の入れ知恵に乗ったのだろうが。


確かに昔は人としての尊重だけで気遣かっていたが、ヴィヴィアの角が削れて数年は心から姉としての親愛を持って接してきた。

困っていた時に助け舟を出したことだって何度もあったのだが。

王太子から「近付くな」と警告されていたので、確かにここのところはすっかり接点がなかったものの。


本当は鬱陶しかったのだろうか。

それなら自分の言葉で拒絶すれば良いものを。



途方に暮れたヴィヴィアだったが、捨てる神あれば拾う神あり。

スギイシ商会に来ないか、とトワからの申し出された。

また下手に騒がれても面倒なので秘密だが。


ここ数十年で大きく育った商会は働き口として安泰。

衣食住の保証付き、悪いようにはしないという。


もう自分は未来の王妃どころか、ナイト公爵家の娘ですらないのに。

泣きたい気持ちでトワの手を取った。

こうなれば何でもやるつもり、必ずや恩を返そう。



「その節は力になれなくて済まなかった」


この件で謝罪したのはトワだけだった。

改まって頭を下げられて、つい慌ててしまう。


「いえ、トワ先生が悪い訳では……でも良いのですか?本当に?」

「良いも何も、行き場のない生徒を放置は出来ないだろう……それも女の子一人で」


そう言いながら、さり気なく大きな鞄を持ってくれた。

相変わらず女の子扱いしてくれる。

逢ったばかりの頃と違い、頭半分ほども背丈を越しているのに。

つい先日、成人の18歳を迎えたというのに。

義務感だとしても守られている実感で包まれる。


ヴィヴィアの方も、これはあくまで敬愛。

不純な感情を向けるなど恐れ多い。

こんな世界でも信じられる者が居れば生きていけた。



もう遠くなってまった学園の鐘が聴こえる。


何にも変わらない、平穏なる監獄。

自由になったヴィヴィアは振り向かずに行く。



スギイシ商会の本拠地までは列車の距離。

二人でこれから旅に出る。

しかしまだ時間は沢山、寒さも空腹も沁みてきた。

とりあえず休憩する為トワの自宅に移動中。


トワの実家に行くので縁が切れる訳ではない。

それでもしばしのお別れ。

小さく吐かれた溜息は白く溶けていく、何も残さず。


「折角の門出なんだから、これからの話をしよう。何がしたい?」


顔を上げて、未来を見ろとトワに促された。

感傷に浸るのはまだ少し早い。


「ストレスのない人間関係を築きたいですわね」

「切実だな」

「いつかピアノ置ける家に住んで、何かペット飼いたいです」

「良いな、それ」

「あと、あの王太子の眼鏡いつか割りますわ……」

「応援する」


ああ、やっと笑うことができた。



それは一時だけの休息だったのに。

近道だからと選んだ小道、建物の死角。

彼女らに襲い掛かった不幸は突然のことだった。


背後からの影と、鈍い音。



最初、トワが派手に躓いただけかと思った。

咄嗟に手を差し伸べようとしたが、握り返されることはなく。

空振るとそのまま石畳の上で動かなくなる。


意識を失った生気のない顔。

額を濡らすのは、血の赤。


後ろから寄ってきた男性に殴り倒された為だった。



「せ、先……生……」


逃げなきゃいけない。

しかしトワは置いていけず。

そもそも震えるばかりで手も足も出ずにいた。


怪物に襲われる物語はヴィヴィアも幾つか読んだことがある。

そうして痛感する、立ち向かえるのは英雄だけだと。

ただの人に出来ることなど何もない。


捕まれば悲鳴すら上げられない口を布で塞がれて、為されるがまま。

恐怖で既に白くなりかけていた意識。

急激に薄くなる酸素が止めを刺し、目の前は闇に包まれた。

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