悪役令嬢がS嬢って、天職なのでは?
タケミヤタツミ
握り潰された黒薔薇(ヴィヴィア視点)
01:開演
お姫様として選ばれなかった女の子は、舞台の隅で膝を抱えるしかないのだろうか。
新しい朝の太陽はいつだって、希望に満ち溢れた顔をする。
憂鬱を抱えた者にはそれこそ憎らしいほど。
晩秋の朝は物悲しくなるほど澄んでいて、冷たい空気が胸に沁みるものだった。
冴えた空の赤がやけに目に痛く、ヴィヴィアは鋭く吊り目で睨みつける。
ほとんど八つ当たりのようなもの。
それほど荒れ果てた今の彼女には目に映る全てが棘になってしまう。
背の高い建物ばかりで、ここから見る空はなんと狭いことかといつも思っていた。
それも今日で見納めか。
密かに確かにと動き出している筈の王都。
しかし石畳の大通りは静まり返り、ヴィヴィアの視界には馬車どころか人の姿も無し。
世界に一人だけになってしまった錯覚すら。
そんなヴィヴィアの耳に、小走りの足音が転がり込んだ。
「ヴィヴィア嬢」
追い出されて堅く閉ざされた門の前。
持っているのは大きな鞄一つと、荒んで途方に暮れた心だけ。
こんな彼女の名を慈しみで呼んでくれる人など、もうこの学園には彼女一人だけだった。
「トワ先生……」
朝陽で薄く染まる黒のショートヘア。
ヴィヴィアに向けられた目は悲しみの苦さで細められていた。
三十代半ばの年齢にしては髪も肌も滑らかで、凛と背筋が伸びた立ち姿。
加えて東洋人ということもあり、この国では年齢よりも随分と若く見える。
数日ぶりに恩師に会えて、強張りが解ける。
これはきっと幼い迷子が母親を見つけた時の気持ち。
しかし、震えた胸はすぐに痛みで締め付けられる。
ああ、気付いてしまった。
もう自分は彼女を「先生」とは呼べないことに。
西の大陸に属するディアマン王国。
アンデシン王太子の婚約者候補として選ばれたのは、三大公爵家であるナイト家の異母姉妹、ヴィヴィアとロードの二人だった。
それは国と人生を賭けた対立。
幼い頃から王妃の座を巡り、貴族の集う学園生活での優秀な結果で決着をつけることとなった。
この王立ディアマン・ブラン学園は国で一番の名門。
全寮制かつ数々の厳しい校則により長き伝統と規律が守られてきた。
王族であろうとも使用人の一人も付けず、自分の身の回りのことは自分で行う。
これだけでも相当だが、他にも一例を挙げれば毎週ごとに軽い試験や提出物があり、合格しなければ週末の外出すら許されない。
そういう訳で、入学出来てもまず一年生の段階で音を上げて退学していく者が続出する。
男女交際も禁止されており、それは婚約者同士だとしても対象だった。
距離が近過ぎれば容赦なく教師から咎められる。
今年度は同い年の三人共に成人の18歳。
長きに渡ってきた競争も決着をつける時だった。
そして来年の卒業から、どちらか一人は本格的に城での王妃教育が始まる手筈。
とはいえ、もう王太子の心は決まっていたが。
ナイト公爵の正妻の娘であり、二ヶ月差の異母妹はまさしくお姫様だった。
薔薇色の柔らかな髪と愛らしい大きな青い目。
学園では飛び抜けて優れている訳ではないが、決して劣等生ではなく地道に堅実な結果を出す。
隙だらけで庇護欲を誘い、幼い頃から王太子に守られるようにして過ごしてきた。
そうして付いた呼び名が「白薔薇のロード様」である。
片や、姉のヴィヴィアは真っ直ぐ流れるダークグリーンの長い髪。
大人びた吊り目は冷淡なグレー、通った鼻筋と引き結んだ唇。
同性の中ではすらりと背も高く華がある容姿なのだが、一見すると酷薄そうな印象だった。
例えるなら、物語に登場する美しい魔女である。
太陽よりも月の方がよく似合う少女。
「黒薔薇のヴィヴィア様」なんて呼び名も、妹あっての物。
別に薔薇なんて好きじゃないのに。
お姫様などと贅沢は望まないから、せめて普通の女の子に生まれたかった。
惨めさを押し殺して姉として接してきたつもりだが、この世界は彼女に厳しい。
妾だった母も早くに亡くなり、公爵家の跡取りには兄らが居る。
既に実家には居場所も後もない。
父からは「王妃になれなければ家を追い出す」とまで言われているのだ。
嫁ぐにしろ追放されるにしろ、もう家に居られないという点に関しては同じじゃないか。
そう思ってもヴィヴィアに口答えは許されず、ただ俯くだけだった。
勉学から立ち振舞いまで死ぬ気で己を磨いて走り続けていた。
心身共に擦り切れる寸前まで。
お陰で「優秀な孤高の令嬢」という評判は得たが、ヴィヴィア本人も王妃に選ばれるとは思っていなかった。
だったら何の為に頑張るのだろう。
我慢して、努力して、その先にあるものは?
そんなヴィヴィアの足を止めさせたのは音楽だった。
あれは五年ほど前のことだったか。
思えば入学したばかりのヴィヴィアは肩肘張って、硬く冷たくまるで氷のごとく。
遅くまで勉強しているのだからベッドではぐっすり眠りたいのに、勝手に目は覚めてしまう。
かといって気を抜いたら二度寝してしまいそうだ。
寝不足の苛立ち混じりに支度を済ませて、早朝の学園にふらふらと。
そうして寝惚けた頭に、真っ直ぐ流れ込む。
澄んでいて楽しげなピアノの旋律。
ヴィヴィアは惹かれ、誘われ、無意識に音楽室のドアを開けていた。
「ピアノ弾けたんですね、スギイシ先生」
「……おはようございます」
独り言のつもりが会話になってしまった。
突然の訪問者に驚きつつも、ピアノから顔を上げたトワとの繋がりの始まり。
思えば、授業以外で言葉を交わすのは初めてだったか。
トワの受け持ちは週に一度の東洋文学。
教養を深める為の授業なので成績には大きく響かず、非常勤という雇用形態。
校内で出会すこと自体が少し珍しい。
トワ・スギイシという女性は集団の中に一人は居るタイプだった。
物静かで目立たず、いつも輪から少し外れてマイペースに過ごしている。
実際、ヴィヴィアもその日まで彼女を特に意識することはなかった。
本人も着飾ったりせず、さらりとした中性的な雰囲気。
一重瞼で切れ長の目をした涼しい顔立ち。
短い黒髪、薄い体にシンプルなパンツコーデ。
本を開けば文学青年といった風貌だった。
ハイレベルな他の教科と比べれば休憩の読書に近い授業とはいえ、ここは名門校。
通常こうした授業は高名な研究者を招くものなのだが。
そこはトワが貿易商スギイシ商会の三女ということもあるだろう。
ディアマン王国ではまだ東洋からの貿易を行っている商会は少ないが、三十年以上かけて和食や伝統工芸品などが日常に浸透してきた。
そして広めた第一人者であるのがスギイシ商会。
長年贔屓にしている貴族達という後ろ盾があるのだ。
特にナイト家と同じく三大公爵家の一つ、ライト公爵家御用達ともなれば強力。
勿論トワ本人も何冊か出版したり翻訳などでそれなりに実績はあった。
授業自体も質は高く、丁寧で分かりやすいと生徒達からも評判が良い。
好奇心旺盛な年頃は、遠い異国に憧れて思いを馳せる。
文学は暮らしや価値観を知る入口として最適。
悪い言い方をすれば成金とはいえ、トワもお嬢様。
ピアノの心得くらいあってもおかしくないか。
無意識に偏見を持っていたことをヴィヴィアは密かに恥じた。
教養の一つとして習わされたピアノだが、ヴィヴィアは前から好きだった。
最近は鍵盤に触ることはおろか、曲を聴いて楽しむような時間すら無かったが。
それは例えるなら、砂に降り注いだ雨水だった。
潤してくれた曲につい興味が湧く。
「綺麗な曲ですね……初めて聴きました」
「そうだな、私もそう思うよ」
「この曲、歌詞はあるんですの?」
「……知りたいか」
疑問を口にしたら、何故かぎくりとした様子を見せた。
東洋の曲か何かだろうか。
国が違えば文化もまた違って、価値観も同じく。
そんなに遠慮することないのに。
こうして少し迷いつつ、鍵盤の指先は軽やかに踊る。
再び聞き惚れた音を繋げてからの一呼吸。
「泥棒はー滅多に来ーっない、大学教授と旅をするー」
綺麗な声の珍妙な歌詞に、その場で転びそうになった。
思っていたのと違う。
「いや、今朝の夢に出てきた曲で……変な歌詞なのに、メロディラインが綺麗だからつい弾きたくなって……」
いつも涼やかなトワが珍しく恥ずかしそうに。
歯切れの悪い言い訳。
それを聞いて、ヴィヴィアは思わず俯いた。
「……っ、ふぐぅ」
何だそれ、あまりにも下らない。
だというのに、どうしてこんなにも腹の底から震えてしまうのだろうか。
苦しくなるまで笑うなんて貴族としてはあるまじき姿。
ああ、思い出した、私は笑い上戸だったと。
おかしな切っ掛けだが氷が溶けた瞬間。
それからのヴィヴィアはゆっくりと変わっていく。
トップ争いから降りただけで随分と気楽になった。
一位でなくとも成績が上位であることには変わりない。
己にも他人にも厳しく律してきたが、元来は世話焼きのお人好し。
妙な拗れを幾つか経験しつつも、気の合う友人や慕ってくる後輩も出来た。
抑えようとしても音楽は溢れてくるようになる。
元から基礎がしっかりと出来ていて、素養も十分。
本気で取り組めばどこまでも伸びた。
この五年でピアノの腕を磨き、学園内で度々演奏を務めては万雷の拍手。
思えばヴィヴィアの心は痩せ細っていた。
余裕が出来たことで芸術は栄養となって沁み渡り、満ち足りて肉付きが良くなる。
「黒薔薇」ではなく一人の生徒として接してくれていたトワの存在も大きい。
早くに母親を失っていたことも要因か。
似ていた訳ではないのに、無意識で重ねていた。
交流は東洋文学の授業がある日の早朝か放課後。
ピアノはあくまで趣味で師事するほどではないと首を横に振りつつ付き合ってくれる。
息抜きになる短くて簡単な曲や、故郷の曲を教えてくれたものだ。
こうして来年は音楽学校の受験も勝ち取った。
王立学園の生徒なら推薦も強力、渋々ながら父からも「学園を卒業すれば音楽の道に進んでも良い」という許しも得ている。
ただし成績上位は保ったままという条件付きだが。
既に妹と王太子にも「王妃の座を争うことから降りる」と伝えたのだ。
何より正直なところ、あの王太子と人生を共にするのは無理だった。
王妃になりたいか、という点を別にしても。
赤い髪に眼鏡、優秀にして傲慢なアンデシン王太子。
現国王フランクリンファーネ・サイト、六子の一。
彼の脳内には「愛らしい妹を傷付ける意地悪な義姉」というストーリーが出来上がっているらしい。
そして自分は颯爽と駆け付ける勇者の役。
当然の話、ヴィヴィアも王太子のことを心の底では嫌っていたのだ。
悪役にされるたび、きつく扇子を握り締めて耐えた。
妹に対する嫉妬からではない。
これは後ろ頭を引っ叩いてやりたい衝動。
「眼鏡割れろ」と念じながら。
こっそりとトワが言っていた。
好きな子を苛めたい奴は厄介だが、実は好きな子を守りたい奴も同じだと。
勇者になる為には常に「敵」を必要とするのだ。
そして風車すら巨人に見えて突っ走る。
もし好きな子が悪いことをした時、その間違いを指摘する者まで悪魔扱い。
周りからすれば迷惑この上ないだろう。
この言葉が腑に落ちてからヴィヴィアは気付いた。
「あれさえなければ」と目を瞑ってきたが、彼は王になる器でないと。
泥舟に乗る権利など要らない、どうぞご自由に。
晴れ晴れとした気持ちで別れの手を振れる。
そうして春を待ち望んでいたのに。
手が届くところまで来ていたと思っていたのに。
一昨日の交流会で王太子と妹は婚約発表を行った。
それと共に公の場で叫ばれた一つの嘘。
積み上げてきたヴィヴィアの全ては壊されてしまった。
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