第18話 名刺交換してください!

 絵里子が泥酔して、ホテルに泊まった翌朝。

 目を覚ました絵里子は、頭を抱えていた。


「うぅ…頭痛い…」


「昨日はかなり飲んだからなぁ。 水、持ってくるよ」


 俺は水を用意し、絵里子に手渡した。


「ありがとう、ハルくん。 昨日は迷惑かけちゃってごめんね… ダメなところ見せちゃった…」


 彼女は申し訳なさそうに言った。


「気にしないで。 絵里子も仕事大変そうだね。 俺で良ければいつでも聞くから」


 俺は絵里子を気遣いながらも、心の中では昨夜のメッセージが気になって仕方がなかった。

 かなり頭が痛いのか、お水を飲んだ後も頭を抱えている絵里子を見ながら、昨日の事を思い出す。



 絵里子が寝息を立てる部屋で、省吾という相手からのメッセージ通知を見た俺は、しばらく固まっていた。


(省吾?誰だ?男…だよな?次はいつ会える?という事は会ったことがある相手で…こんな時間にメッセージで会えるか聞いてくるような相手?いや、絵里子の事だからただの友達という可能性も…)


 少し考え込み、迷いながらも、スマホに手が伸びる…

 そして、スマホに手がかかる瞬間。


 スマホの画面が暗くなった…

 もう、画面のロックもかかってしまっただろう…


(いや、これでいいんだ。 俺は絵里子の事を信じてきたし、これからも信じる)


 今まで中々会えない事もあったけど、ずっと信じてきたんだから、きっと大丈夫。


 その後、絵里子の隣で寝付けない夜を過ごした。




「頭が痛いよ~」


 絵里子は水を飲んで様子を見ていたが、まだ頭を抱えながらうめいている。

 昨日はそうとう飲んでいたから仕方ない。


「絵里子がこんなに酔ったところ初めて見たな」


「う~ん…仕事を始めてから少しお酒の量が増えたかも…」


 なるほど、やはり仕事のストレス…というよりは、昨日さんざん愚痴っていた上司に対するストレスという感じだろうか。


「仕事大変なんだね。 俺はこの後バイトあるんだけど、絵里子は大丈夫?」


「うん。今日はお休みだから大丈夫だよ。 じゃあ、そろそろ出ないといけないね」


 そういって、絵里子はフラフラしながらも準備を始めた。

 省吾って誰…?と聞きたい衝動に駆られたが、どう聞けばいいのか思いつかず、絵里子が準備している様子をそっと見守り続けた。



「まぶしっ」


 外に出ると、随分太陽が高い所にきていた。

 快晴で春の陽気というには少し主張の強い太陽の光に目を細める。

 チェックアウトする頃にはバイトの時間が迫っていたため、俺はすぐに絵里子と別れてバイト先へ向かった。


「じゃあ、絵里子またね。 あまり根を詰めすぎないように」


「うん、ありがとう。 ハル君もバイトと就活頑張ってね」



 ☆☆☆☆☆



 それからしばらくは、またお互いに忙しく会えない日が続いた。


 あの時から心の中がずっと晴れない。

 絵里子のスマホに表示された「省吾」という名前と、そのメッセージ。

 あの場で確認すべきだったのだろうかという後悔が胸を締めつける。


 大学で講義を受けていても、バイト中も頭の中はもやもやしたままだ。集中できないまま一日が過ぎ、夜になるとそのもやもやがさらに強くなる。


「何かあったのかもしれない…でもそんなはず無い…」


 心の奥底で、絵里子に対する葛藤が渦巻いていた。


 メッセージアプリで事情を聞こうとするたびに、俺は送信ボタンを押す前に手を止めた。


(こういう事は対面して直接話をした方がいいよな)


 絵里子に対して直接聞かないといけない気がしていた。

 それにメッセージだと、言い訳されても本当かどうか判断できないため、直接話しながら様子を見たかった。


(正直、目の前で聞いても判断できるか分からないけど… もし、本当になにかあったなら…)


 そんな気持ちを抱きながらも、バイトと就職活動に忙殺されて日々が過ぎていった。

 そして、夏も本番と感じるほどの暑さを感じる頃、3回目の付き合い始めた記念日を迎える。


 この日ばかりは、お互いになんとか予定を合わせる事にした。


「ハルくん久しぶり!」


「うん、久しぶり!」


 久しぶりにあった絵里子は、以前より少し疲れているように見える。


「大丈夫? 仕事大変なんじゃない?」


「そうだね。 楽ではないかな~ でも、頑張ってるから大丈夫だよ!」


 そう言いながら絵里子は笑顔を作って返事をする。


(やっぱり少し元気が無いように見える。 省吾って人の事も気になるけど、今日は楽しんでもらえるようにしよう)


「今日は絵里子が行きたいって言ってたお店予約してるから、お店に向かおうか」


 絵里子の様子を見つつ、少しでも喜んでもらえるようにと予約したお店へ案内する


 俺たちは、以前から気になっていたイタリアンレストランでディナーを楽しむことにした。

 店内は温かみのある間接照明とキャンドルの灯りで満たされ、テーブルの上で揺れる光が絵里子の笑顔を優しく照らしていた。美しいシャンデリアが天井から吊るされ、ムードあるジャズが静かに流れている。


「このパスタ、本当に美味しいね」と絵里子が嬉しそうに言う。

 彼女の前には、トリュフの香りが豊かなクリームパスタが並べられている。


「そうだね。ここに来て良かった」と俺も微笑んで答えた。

 自分の皿には、アルデンテに茹でられたペンネアラビアータがあり、その辛味が心地よい刺激となっていた。


 食事をしながら、俺たちは自然と会話が弾んだ。仕事の話、最近の趣味の話、そして少し未来の話。

 省吾のことは気になっていたが、絵里子の楽しそうな顔を見ているうちに、話題を振るタイミングを逃してしまった。


「どうしたの?」


「いや、なんでもないよ! それより、大きいティラミスだね! 半分に分けようか」


 気がかりが顔に出ていたのか、絵里子に心配されてしまった。

 俺は慌てて、デザートのティラミスを取り分けていく。


「そういえば、友達が引っ越したんだけど、新しいマンションがすごく広くて羨ましかったな」とティラミスをつつきながら、絵里子が笑顔で話した。


「そうなんだ。どんなところに引っ越したの?」


「リビングが広くて、キッチンもカウンターキッチンでお洒落だったんだ。 寝室も広くて、それぞれの趣味の部屋もあるの。 あっ!写真も撮ってたんだ。 こんな感じだったよ」


 絵里子はスマホで撮影した写真を楽しそうに見せてきた。


「ほんとだ。 広いし綺麗だね!」


「でしょ! あんなところに住めたらいいなって思ったよ」


 楽しそうに語る絵里子に「そうだね」と俺も同意した。


 そして「いつか、そんな部屋に一緒に住めたらいいね」と俺は思い切って言ってみた。


 絵里子は一瞬驚いたようだったが、軽く頷き、「うん、そうだね」と微笑んだ。



 食事の後、近くのバーに移動することにした。バーの入口には色とりどりのネオンが輝き、内部はシックなデザインが施されている。

 カウンターに座り、バーテンダーにおすすめのカクテルを頼む。絵里子はカクテルを一口飲んで微笑んだ。


「ねえ、ハルくん。どんな家具を揃えたい?」と彼女が聞いてきた。

 部屋に関する話の続きのようだ。


「そうだな…ソファは絶対に大きくてゆったりしたものがいいな。 ゴロゴロ寝転がりながら本を読みたい」と俺は笑いながら答えた。


「それ、いいね! 私もそう思う。 あと、観葉植物をたくさん置いて、リラックスできる空間にしたいな」


 絵里子も楽しそうに希望を話した。

 そんな未来の夢を語り合う中で、俺はまた、省吾のことを思い出してしまった。

 彼女が楽しそうに話している姿を見つめながら、心の中で葛藤が生じる。


 ずっと聞きたかったこと、でも今聞いてもいいのか…。


(大丈夫。 一緒に住む事だって前向きに考えてくれてるみたいだし。 きっと俺の気のせいのはず……だから今日…ハッキリさせる)


 俺はカクテルを一口飲み、心を決めた。


「ところで、最近仕事で忙しそうだけど、プロジェクトって大変?」と、なるべく自然に話題を振ってみた。


「うん、忙しいけどやりがいがあるよ。チームのみんなもいい人たちばかりだし」と絵里子は笑顔で答えた。


「そうなんだね。 上司の人は、ちょっと微妙みたいだけど、他にはどんな人がいるの?」


「そうだね。例えば、藤田さんはすごく頼りになる先輩で、いつも的確なアドバイスをくれるし、鈴木さんは仕事が早くて、すごく尊敬してるよ」と絵里子は会社の同僚について語り始めた。


「へえ、藤田さんと鈴木さんか。頼りになる先輩がいるのはいいね。他には?」と、俺は絵里子の話を促しながら、頭の中で省吾に繋がるヒントを探していた。


「あと、伊藤さんもすごく優しくて面倒見がいいの。私が入社したばかりの頃から、ずっと色々教えてくれたんだ」と絵里子は続けた。


「みんな良い人たちなんだね」と俺は微笑んだが、心の中では省吾のことが気になっていた。


(下の名前しか分からないから、名字だけ聞いても判断がつかないな…何か他に方法は何かないか。 流石に下の名前を直接聞くのは不自然すぎるし…)


 省吾に繋がるヒントが見つからない事に、焦りを感じている中、絵里子の後ろで飲んでいたサラリーマン風の男性たちのやり取りを見て思いついた。


「あ!そうだ!絵里子先輩!お願いがあるんです!」


「え?先輩?急にどうしたの?」


 急に先輩と言われて絵里子は少し戸惑いながら答えた。


「名刺交換してください!!」

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