終末の彩霞

星屑餅

第1話 始点

山と海に挟まれた美しい景色を持つ村に一人の少女が住んでいた。

彼女は村の長である父の娘として、村の皆の模範として暮らしていた。

模範として暮らしているが故、彼女は常に笑みを絶やさず徳を積み重ねていた。

そんな客観的に見て素晴らしいと言える振る舞いに加え、さらに完璧に等しい容姿も兼ね備えていた。

白みがかった金の髪に深い碧眼、そしてきめ細やかな白い肌。

偶然村を通りがかった行商人が、本来そこに居ないはずの長耳族と思うほどの美しさだった。

しかし、常に本当の自分を見せない振る舞いを続ける彼女には、当然疲弊が溜まる。

彼女はその疲弊を村のそばの森に少し入ったところにある大岩に登り、海を眺めることで和らげていた。

そこから見える景色はまさに美しく、澄み切った天に森の深い翠、海にはまばらに氷塊が流れ、村の方に目をやると、そこには西日に照らされ輝く麦畑が広がっている。

彼女が永遠に保ち続けたいと思うその景色を知るものは、もう一人いた。

彼女がいつものように日が暮れる前に森の中の大岩に向かうと、その少年は、いつも彼女が座っている場所で仰向けになって寝ていた。

少年がいるのを確認した彼女は、いつも装っている笑顔の仮面を被り、少年に話しかけた。

話すうちに、彼女と少年は次第に打ち解けていった。

そしていつしか、毎日の日暮れ前に大岩の上で一日何をしていたかを、互いに話す関係になった。

そんな関係が続いて一年が経つ頃には、彼女は少年の前では笑顔の仮面を被らなくなり、また少年も彼女が自分にだけ向けてくれる自然体を気に入っていた。

二年が経つとには彼女と少年は互いに好くようになり、村ではいくらかの内輪で噂になっていた。

彼女は、そんな自分の好いている村と少年とともに人生を終えることを、切に願っていた。

そんな彼女を厄災は襲った


「逃げろ、フルス!」


そうフルスと呼ばれた彼女の遥か頭上から叫ぶのは、一月後に華燭の典を控えていた彼女の恋人であった。

彼はフルスにそう叫んだ数瞬後、血の搾られた肉塊と化した。

村の自慢であった黄金の麦畑は村と共に火に包まれ、あたり一面地獄のような状態にあった。

フルスの恋人の命を一握りで奪った化け物の正体は、巨人族であった。

人族よりも遥かに大きな巨体を持ち、圧倒的な力を持つ歩く厄災とも言えるその巨体は、たった二人でフルスの村を壊滅させた。

この地平で巨人族の数は特段多くはないが、複数の個体ごとの群として行動し、人族の村を荒らして回っていた。

決して小さな人族の力では敵わない巨体を持つ巨人族。

そんな理不尽に、フルスの村はただただ蹂躙されることしかできなかった。

あたり一面には、馬や牛と共に村の人の屍体も転がっている。

ペちゃり、とフルスの頸に液体がつく。

フルスにはそれがなんなのか、触れずともわかった。

また一人、巨人族の圧倒的な力になす術なく握り潰されたのだ。

おそらくフルスの家族も、隣人も、友人も、なす術なく巨人族に握り潰されただろう。

この村にも自衛のために戦えるものはいた。

彼らは皆、村では力自慢として知られており、時折大きな毛象を狩ってきては村の皆に分けてくれていた。

そんな彼らですら、何も為せずにただの肉塊へと変貌した。

巨人族の二人は、村の人間がほとんど屍肉になっているのにも関わらず、まだ新たな獲物を探している。


「あぁぁぁぁぁっ」


フルスはそう叫びながら走って逃げた。

そのような大声をあげれば気付かれるということは理解していても、出てしまった。

その声は死への恐怖だけでなく、なす術もなくただただ強大な力によって蹂躙されるということに対しての、絶望によって出てきた叫び声であった。



フルスは村から止まらず逃げ続け、いつも恋人と来ていた大岩までたどり着いた。

以前にも何度か、陽が落ちて以降に来て景色を見たことはあったが、その時の美しい景色とは何もかもが違っていた。

フルスが先程までいた村は完全に火に飲み込まれ、森の裾まで火の手が広がっている。

以前来た時には天の星々を映していた海は、村と山に広がる炎を映し出している。

そんな景色の変貌に一憂する暇もなく、地面の揺れる振動によって、フルスの心は絶望に埋め尽くされた。

力をいっぱいに振り絞りって立ち上がり、その場からまた一度逃げ出した。

今まで出したこともないようなスピードで走り続け、息が切れてもなお走った。

そして、走り出してから心臓が二百も鳴らぬうちに、フルスは大木に叩きつけられた。

ただ追いつかれ、ただ羽虫をはたき落とすように、大きな手によって吹き飛ばされたためである。

そうなることはフルスも理解できていたはずだった。

そもそも巨人族と人族では体の大きさが何倍も違う。

小さな人族が走ったところで、人族の二十歩をたったの一歩で歩くことのできる巨人族に、速さで勝てることができないことは、少し考えればわかることであった。

それでも、フルスは生への執着により全力で走った。

だが、幸い木々の枝がクッションになり一命を取り留めたとはいえ、大木に叩きつけられ頭からは血が流れ、肋の骨は折れ、左足には枝が貫通している。

もう逃げられない状態で頭から流れ出る血により視界が遮られても、フルスには巨人族の大きな足音だけが伝わっていく。


(あぁ、やっぱり私は死ぬのか、何もできずに)


矮小な人族では、強大な力によって振るわれる暴力に対しては何も対抗することができない。

それがこの世界に存在する事実であった。


(私にも力があれば、村を守れたのかな)


そのようなことを考えたところで今となっては意味がないことをフルスは理解していた。

彼女に与えられた運命はただこのまま巨人族の手で残虐に殺される道だけである。

だが日頃積んだ善行か、それともただの強者の気まぐれか。

何か大きなものが倒れ込む音が一度した後、巨人族の響かせていた大きな足音はフルスに届かなくなった。


「大丈夫か?嬢ちゃん。って言っても大丈夫じゃなさそうだな。」


大きな音の次にフルスの耳に届いたのは、声変わりを過ぎたあたりの男の声だった。

その声は、威圧感や敵意のようなものは微塵も感じられない、体の芯を温めるような言葉であった。

声をかけた男はフルスの怪我を打ち見すると、怪我の酷い額と左足に手を当てた。


『血は血に、肉は肉に、骨は骨に、異物を取り去り、身を澄ませ、にかわを着けたように着け』


その言葉は決して、フルスにとって既知の言語ではなかった。

だが、フルスの脳はその紡がれた言葉の意味を理解した。

それと同時に、彼女の怪我は超常の現象を以て、元々怪我などしていなかったかのように治った。

怪我が治り、フルスも言葉を発することができるようになると、彼女は開口一番に当然の疑問を口にした。


「あ、あなたは誰。どうして今こんな場所に来たの」


その声には、恐怖と希望と、そして少しばかりの怒りも滲んでいた。


「なぜって、巨人族と燃える森が見えたからだけど」


「そう、ありがとう」


「なぁ、燃えてる向こうにあるのはお嬢ちゃんの村か?」


「え、えぇ。もう、住めなくなってしまったけど」


「そうかい、じゃあ火だけ消しにいくか」


そう男は一言言うと、村の方へと軽い足取りで歩き出した。



村に戻ったフルスは周りを見て、膝から崩れ落ちた。

家の中に隠れていたであろう老人やまだ幼い子供が、屋根の剥がされた家のすぐ脇で肉と骨の団子になっていただけでなく、フルスの叔母は腹の中にいる子供を引き摺り出された状態で頭が潰れていた。

巨人族の残していった惨禍に絶望し、そしてフルスはそのまま嘔吐した。

目の前に広がる酷い惨状から読み取れるのは、巨人族の二人は捕食を目的として村を襲ったのではなく、ひたすらに力のない人族を蹂躙することが目的であったであろう、ということだった。

フルスは、彼女の宝物であった村と村の皆が全て、ただの暴力によって踏み躙られたというどうにもならない現状にただただ絶望した。


「こりゃひでぇな。巨人族は何人いたんだ?」


その質問に返事はなかった。

フルスは返す言葉もないまま、ただ茫然と虚空を見上げている。


「二人ねぇ」


男は返事が返ってこないことを確認すると、あたりの足跡を見て推測した。

男があたりの足跡から推測したことは三つだった。

それは巨人族の人数と、一方はまだ幼く稚拙で、もう一方は知恵を働かせて行動していたこと。

そして男が殺した巨人族は、おそらく幼い方の個体であっただろうということだった。

その残りの一人は青年の視界の外から音を立てずに彼を襲った。


「あっ」


男と向き合う形で膝をついていたフルスにはその巨人族が見えていた。

体は震え、恐怖に支配され言葉を発することしか叶わなかった。

だが青年は巨人族を見ることもせずに呟いた。


『光よ、全て集い放たれよ、そして貫け』


その言葉は巨人族の大きな手よりも、フルスが腰を抜かすよりも、そして心臓の鼓動よりも早く紡がれた。

一瞬の内にして紡がれた未知の言語であるのにも関わらず、フルスはその言葉を理解した。

そしてフルスが言葉を理解する頃には、巨人族は脳天を高圧縮された光の熱線によって焼き貫かれていた。


「これで終わりかな」


男はそう呟きフルスを見た後、歌を歌い始めた。

その歌に言葉はなく、ただ旋律を奏でるものだった。

男のものとは思えないほど美しく、柔らかい歌声であった。

旋律が奏でられるごとに村の上に雲が集まり、一つに固まっていく。

そして歌い終わったと同時に、空から雨が降りしきった。

大量の雨により、村に広がった火の手は消えていく。


「待って」


男が仕事を終えたようにその場から立ち去ろうとすると、フルスが呼び止めた。


フルスは、一度村を訪れた行商人からそれを聞いたことがあった。

それは世界に超常の理を発現させる強大な力であると。

かつて神々が戦争で使っていたとされている、超常の力であるというものがあると。


「それを、私にも教えて」


フルスは魔術の強大な力にも惹かれていたが、何より、その美しさに魅了された。

その言葉を聞いた男は笑みを浮かべながらフルスに聞いた。


「理由を教えてもらってもいいか?」


「綺麗だったから」


男の質問に被さるようにフルスは答えた。


「そうか、俺はヴォルドだ。教えて欲しいなら付いてきな。まぁ俺は教えるのは苦手だが」


「私はフルス」


フルスはそう言いヴォルドの背中を追う。

彼女らの旅はこうして始まった。


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終末の彩霞 星屑餅 @HoshiKuzu_Mochi

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