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 鏡花先生は僕のことを、役に立たない弟子だと思っているのではないか。郵便ポストの一件があってから、僕は鬱々として楽しまない日が続いていた。鏡花先生はいつもと変わらず、沈着冷静でほとんど感情を表に出すことはない。そんなところも僕は尊敬していたのだが、冗談めかして、あれはどういうことですかなどと訊くこともできない。ポストの周りを三遍回ったのは、僕のそそっかしい失敗を危惧してのことではないのですよね、と確認したい。紅葉先生は、ああおっしゃったが鏡花先生の口から聞いて安心したかった。

 こうなってみると、弟子にしてもらったことも、実は僕のしつこさに負けて嫌々弟子にしたのではないかと疑いたくなってくる。

 どんなふうに先生との距離をとっていいのか、わからなくなってしまった。丸眼鏡の向こうの理性的な目を、僕はなんとなく恐れるようになっていた。

「寺木くん。すまないが、天井のあれを張り替えてもらえませんか」

 鏡花先生は玄関横の三畳間の襖を、がらりと開けて言った。

「はい。わかりました」

 さっきまでの憂鬱な気分は雲散霧消した。僕は張り切って部屋を飛び出して、三歩ほど行ったところで立ち止まった。

「先生、天井のあれ、とはなんですか?」

「うむ。こっちです」

 居間に入って天井を指さす。

「あそこが一枚、剥がれかかっているでしょう」

 天井の羽目板のすべての継ぎ目には、細長い紙が貼ってある。これは初めてこの家に来た日に、目を回してひっくり返るという失態を演じた時に見ている。赤いトウモロコシがたくさんぶら下がり、雷よけのおふだも貼ってあるので、継ぎ目の紙もその類いのものだと思っていた。

「ええっと。どこですか?」

 先生が指さすほうを見ても、どの紙もぴったりと貼り付いているように見える。

「ほら、そこですよ」

 一向に見つけられない僕に業を煮やした先生は、箒を持ってきて、柄でその紙を指し示した。

 目をこらして数十秒間見つめ、ようやく紙の角が一分いちぶほど剥がれているものを見つけた。

「あった。ありました。あの爪の先ほど剥がれている紙ですね」

 鏡花先生は満足そうにうなずいた。

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