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 まな板は砕け、蝮の血がついた破片は縁側に飛び散った。あたりは生臭なまぐさいにおいが満ち、江口の視界は真っ赤に塗込められた。おぞましい赤に取り込まれないよう、江口は死に損ないの魚のように息をした。

 六兵衛は蛇の腹を割き、生き肝を取り出した。

 手のひらに載せ、「さあ」と江口のほうへ差しだす。血まみれの肝はピクピクと脈打っている。

「生きてるうちに呑み込むんです」

 江口はそれに手を伸ばした。その時、なぜ俺はこの男の言うがままになってしまうのだろう、という考えがよぎった。だが、これを呑まなければ息絶えてしまう気がした。江口は素直に肝をつまみ上げると、それを呑み下したのだった。だが、生き肝は喉につかえ、いっこうに落ちていかない。江口が胸を叩いて苦しんでいると、六兵衛は湯飲みに水を入れて持って来た。

「さ、これを飲んで」

 受け取って飲み干すと、生き肝のせいなのか口の中一杯に苦い味が広がった。

 そこへ寺の尼がやって来た。

「なにか大きな音がしましたが、なんでございましょう」

 浄照尼じょうしょうにというこの尼は、古くからこの寺にいる尼で光子の遠縁の者だ。浄照尼の紹介でこの離れを借りることになったのだ。何くれと江口夫婦の世話をしてくれる、六十過ぎの気のいい尼だった。昨年、本堂で転び骨を折ってからいつも杖を突いている。

「なんでもありませんよ。旦那が蝮を撃ち殺したんです」

 六兵衛の言葉が終わらないうちに、あたりの惨状が目に入ったのだろう、「ひっ」と痙攣ひきつけたような悲鳴を上げた。

「なんです、これは。六兵衛、おまえはまた殺生をしたのですね」

「殺したのは俺じゃないと言ってるだろう」

「それじゃあ、おまえの両手の血は何なんです」

 尼と六兵衛が言い争う声を聞きながら、江口はふらふらと台所に向かった。呑み込んだ肝が胸のあたりにつかえて、息をするのも辛いのだ。水を飲んだが一向によくならない。


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