第3話 The Air-conditioned Equations(3)
人生を終える覚悟を決めていたところに、またしても予期しないことが起きる。
「え……?」
声を出したルフは俺と会話するために音を聞くことができるようにしているのだから、当然気が付いていた。だが、実際に視覚でも状況を把握している俺のほうが、驚きは強かっただろう。
その証拠に、俺は声を出すことさえもできずに固まってしまった。
何が起きたか?
コックピットのガラス(的ななにか)製のキャノピーの外に、『人』がいる。
それも生身だ。
最新式の宇宙服だって、少なくとも宇宙線への防護のために全身を覆っている必要があるし、頭部は呼吸のために密閉され、空気を供給するための機構が必要だ。さらには姿勢を保持するために何らかの噴射機構が無ければ宇宙の迷子になってしまう。
そうした防護などなく、何なら初夏の陽気の中、繁華街のカフェのオープンテラスのほうが似合いのような薄着の、若い女性に見えた。
半袖で素肌も見えているし、スカートがたなびいているのは一体どういう理屈なんだろうか……
そういうのを人と呼んでいいのかわからないので、とりあえず『人』と読んでおく。
いくら暗黒の宇宙空間でも外のほうがいくらか明るいのか、こちらからは彼女の様子はよく見えるが向こうからは中が見えにくいらしい。
しばらく待って、応答がないのがわかって再度、コンコン、とキャノピーを叩く。
どうしよう?
いや、考えるまでもないな。
今の状況以上に危険になりようもない。
イベントは何であれ歓迎すべきだ。
ということで、ヘルメットを被り直してキャノピーを開けた。
外の女性は、いきなり開いたキャノピーと、そこから漏れたコックピット内の空気を感じたのか、ちょっと距離をとる。
位置を保っていることを確認して、俺は彼女に手招きした。
一応銀河共通で通用するジェスチャーのはずだ。
『ちょっと、なにが起こってるんすか? ……って……ええ⁉』
いくら宇宙空間で呼吸している形跡もないとはいえ、気体がなければ音は伝わらない。
船外カメラを起動して、女性の姿を確認したらしいルフが、ディスプレイの文字でリアクションしている。
普段無機質なシステムメッセージしか表示しないそこに感情いっぱいの言葉が映し出されるということにちょっとおかしさを感じていると、船外の彼女が近寄ってきた。
コックピット内は確かに広いとは言えないが、標準種族の中には3m弱の種族もいるのだから、オーダーメイドなはずもないガンボートコックピットなら、詰めれば二人が入ることもできる。
俺は彼女が入るとコックピットを閉め、残り少ない圧縮空気で内部を満たすように操作する。
空気が満たされていくにつれて、シューという空気の吹き出し口からの音が聞こえてくるのを確認し、俺はヘルメットを外す。
もし彼女が危険人物だったらまずいが、もはやそうでなくても残りが少ない命なのでどうでもいいや、という気分だ。
「あー、君は……なんで外にいたのかな?」
見た目は特徴的だが、普通の標準種族に見える。
とがった耳はエルフ系と呼ばれる種族で、同系だけで数十種族が存在するはずだ。
髪は長髪で結い上げられている。
明るさが足りないので正しい色がわからないが青っぽいことはがわかる。
顔の造形は美しいと言っていいが、それも今の世界ならわざわざ醜いままでいる必要がないから当たり前だ。
健康を損なわないで整形する方法はいくらでもあるし、その形質を遺伝子に組み込んで子孫に反映させることだってできる。
往々にして子供はまた別方向の外見が好みで、自分で整形しなおすことが多いらしい。
見た目の特徴は正直本人の好みをうかがい知る役にたつというだけのことに過ぎない。
結局俺が見て取れるのは、中型の標準種族の美的感覚を持っていて、若干巨乳派ということがわかるに過ぎない。
内部の様子をきょろきょろと見回していた彼女は、俺の目をじいっと覗き込んで、はじめて口を開いた。
「さんぽ?」
「……いや、宇宙空間は散歩するような場所じゃないんだが……って、そもそもどうしてスーツ無しで外に出てられるんだ? 空気は?」
焦って矢継ぎ早に質問をする俺に対して、彼女はきょとんとした感じで答えた。
「種族特性……ってやつかな。これでもアラサムリスだし……」
『ええーっ!』
「ルフ、知ってるのか?」
突然スピーカーから聞こえてきた叫び声に、少女が再びきょろきょろと見回してどこに声の主がいるのか探している。それを放置して、俺はルフに心当たりを尋ねた。
『ドラゴンすよ、ドラゴン、いわゆる構造再現不可種族ってやつっす』
「なんだ……と……」
現在、世の中に存在している全種族の遺伝子解析は完了している。
したがって、意識や知性の問題を脇におけば、誰の肉体でも一から再構築可能である……はずなのだが、まれに完全再現したはずなのに再現できない特徴を持つ種族が存在する。
これを構造再現不可種族といい、彼らは科学では再現できない特殊な、精神的な能力を持っている。
例えば何もないところから物質を出したり、触れずに物を動かしたり、生身で転移をしたり、全く見分けのつかない分身を作り出したり、そのような魔法、あるいは超能力のような力を持つ彼らのことは、物語の代表的な幻想種族である竜にたとえて、『ドラゴン』と呼ぶのが一般的だった。
当然、その数は非ドラゴン(標準種族と呼ばれる)に比べて圧倒的に少なく、一生のうち一度も会えない者が大多数だろう。
「というか、よく種族名だけでわかったな」
エルフ系で数十種、でもわかると思うが宇宙の意思疎通可能な種族は数千はいる。
その中で、ある種族名を言われてそれがどういう特徴を持つのかを言い当てるのは難しいはずだ。
『ふふーん、実はインテリなのです』
「普段を見ているととてもそうとは思えないけどな」
『ぐさっ、心が傷つきました。責任もって慰めてください』
「よしよし」
どこにいるのかわからなかったのでスピーカーを撫でてやる。
「えーっと、いいかな……」
お客さんをほったらかしていたことを思い出す。
「あ、ああ。つまり種族的に宇宙でも生身で平気ってことだよな……うん、理解したぞ」
「その理解で問題ない。んで、そっちは?」
「ああ……事故でな。もう残り空気も残ってないんで死ぬのを待つだけだった」
「そう……かわいそう。ちょっと空気あげようか?」
「え? できるのか……いや、それよりそんなことして君は大丈夫なのか?」
「問題ない。ほら」
そういって彼女が手をかざすと、確かにそちらから顔に流れてくる風が感じられる。
単に空気をかき混ぜているのだとしても不思議なことだが、そうでないことはコックピット内の気圧超過アラートが出たことでわかる。
「ああ、まだ何時間かは酸素も
「そう、苦しくなったら言ってね……それと、もう一人はどこにいるの?」
『あ、僕っすか? えっと今はS体っす……たぶんだけど。いわゆるコンピューターの中みたいなもんですね。わかります?』
「大丈夫、希少種族が全て未開種族じゃないわ。一応普段はコロニー住まいだったし」
見た目の雰囲気からもっとおっとりした感じの人なのかと思ったけど察しがいいし、頭の回転も早そうだ。
「それがどうしてこんなところで?」
「こっちも事故、3年前にコロニーが爆発して、それから宇宙を漂っていた。だから3年ぶりに人と話すんでちょっと緊張気味」
その割には落ち着いているな。
「……本当に空気も水も食べ物も要らないんだな……」
「本当はそうでもない。酸素は光がある時に光合成すればいいけど、水は食べ物はほとんど休眠してたからだし……」
「光合成……はともかく休眠中は栄養が要らないんだな?」
「そう、だからほとんど漂ってただけで、何か月かに一回様子を見に起きてた」
『それで散歩ってことっすか……』
確かに散歩だな。
俺は、懐を探ると探し当てたものを取り出して彼女に渡す。
「腹の足しになるかどうかわからんが……」
「あ、ありがとう」
それはチューブ状の携帯食で、カロリー的には半日分程度、固形でないのは水分も同時に取れるという意味があるようで、彼女にはぴったりだろう。ちなみに味はコーヒーバナナ味だ。
「俺とルフは無理だろうけど、お前さんなら生き残ることができるかもしれん。できれば俺たちの遺品とか……あ、ルフはそもそも全部爆発したか……まあ、なんか持っていってくれれば……」
「……なんとかなるかもよ」
「え?」『ほんとっすか?』
ずずっ、と携帯食の残りを吸い切った彼女の言葉に、俺とルフは聞き返した。
俺は無理だと思うけど、ルフだけでも休眠状態にして彼女に託せば何とかなるのかもしれない。たとえ自分がだめだとしても、それができるならばぜひやってほしい。
だが、彼女の言葉は意外なものだった。
「パイロットさん、あなただけなら何とかできるかもしれない。シリコノイドの男の子は……どうだろう、残りバッテリーによるけどわからない」
『だったらぜひラズさんをお願いします。僕がどうなっても好きな人が助かるんだったらそれがいいっす』
「いや、俺はどうでもいいんだ。ルフさえ生き残れば……」
「あらあら……そういう関係?」
さすがに察したみたいだ。
「まあ、そうだな」
『ついさっきそうなったばっかりっすけど……』
俺はルフを、ルフは俺を生き残らせることを考えていたようだ。
こんな場面だけど、心が通じているというのはちょっとうれしい。
「……こほん、えっと、ラズ? あなたを私の一族に加える方法があるの。そうすれば、あなたも真空中で生き伸びることができる。もちろん、また漂うだけだから命があるうちにどこかのコロニーにたどり着けなければだけだけど、今よりは生き残る可能性は高くなる……けど」
「なんか問題が?」
「……問題はいくつかあるんだけど、一番問題なのは私の体のことかな」
「健康を損なうとかってことか?」
「うーん、そうでもないんだけど……寿命が半分になるだけよ」
「それは大問題じゃないか!」
「本当ならそうなんだけどね、うちの種族は寿命が大体500年、でも心は他の種族と変わらないのよね」
『つまり、200年ぐらいで生きるのが嫌になるってことっすね?』
「そう、だからふつうは300年分ぐらいは休眠して過ごすの」
「それって意味あるのか?」
生きて動いているのが200年ということは、結局俺たちと活動期間は変わらないってことだ。それではせっかくの500年の寿命もあんまり意味がないと思う。
「意味ならあるわよ、ずっと先の子孫と仲良くできるんだもの。私もひいひいひいひいひいひいひいひいひいひいひいおばあちゃんと仲よくお茶してたもの」
指を折って数えると13代前ってことになる。
たとえ代々早婚だったとしても標準種族の200年という寿命では面識などあるはずもない。
「だから、好き好んでやるわけじゃないんだけど、人によっては冬眠しないで頑張る変わり者もいるの。頑張って300年ぐらい活動していた人もいたと聞くわ」
「嫌なら別にいいよ。同族の子孫と会えないのは悲しいだろう?」
「……それがね、そういう状況でもないのよ……ぶっちゃけて言うと、あたしの種族全滅しちゃったのよね。コロニーが爆発しちゃって……」
『なんと……ってことはお姉さんが最後の生き残りってことっすか?』
「外に出てた人はいなかったのか?」
「結構特殊な種族だから、一つのコロニーで集まって暮らしていたの。外に出た人に関しては少なくともここ1000年は聞いたことがないし、外で血脈が受け継がれているっていう話は聞かない」
「でも君だって生き残っているし、他にも同じように生き残っている人がいるんじゃないのか?」
「私はね……たまたまその時コロニーから離れていたの。一人で」
『やばいっす、それじゃ実質絶滅じゃないっすか」
彼女が一人いたとしても、子孫は他種族との間に残すしかない。
ハーフのドラゴン種族というのが元の種族の性質を残しているなら、こんなにドラゴン種族が珍しいはずがない。
「だから、ワケミを誰かにやるのは確定してるのよね。どう? アラサムリスになってみる?」
ワケミ、というのがそれか……確かにできればお願いしたいが……
「俺なんかでいいのか?」
「本当はマッチョなおっさんはあまり好きじゃないんだけどね」
「悪かったなおっさんで」
外見をいじくることが可能な現代でも、ガンボート乗りにそんな金銭的余裕はないし、俺の見た目は普通の35歳のおっさんだ。
ちなみに体はでかく、ちゃんと鍛えているが、最近は年齢を感じることが多くなってきた。
『僕はおっさんでも、いえ、おっさんがいいっす』
ルフは特殊な性癖だったらしい。
「コロニーを見つけてからでもいいんじゃないのか? もっと好みの奴がいるだろう?」
ここで、当然一族に加わるという意味については理解している。
つまり、今後一族を絶滅させないために俺と彼女で子孫を作らないといけないということだ。
おっさんが嫌だったら若いのを探せばいいじゃないかと思ってしまう。
「まあ、最初の一回だけだから……それに、あなたたちが死んでしまうわ。きっと、偶然会ったのは何か意味がある気もするし……」
「宗教家みたいなこと言うんだな……」
「れっきとした宗教家よ、『木守』って言うんだけど……」
コモリ? 子守りか?
それがなんで宗教家なんだろうか?
『おねーさん、ぜひラズさんを生き残らせてあげてください』
「あら? けなげなことね。あなた自身もいい?」
俺は考える。
生き残る目が出るというのだから飛びつくべきだ。
だが、それによって種族が変わり、彼女と生きていくということ。ルフを生き残らせるのには、俺も生きていたほうがいいだろう……だが、それによってこの女性の寿命を半分にすることになる。そして、せっかくルフと心が通じ合ったのに浮気をすることになってしまう。
様々な考えが頭の中をめぐり……そして、俺は決断した。
「すまん、ルフ」
『……いえ、自分のことを考えてください。それに、僕もラズさんに生きていてほしいっす』
心中は複雑だろうが、ルフは迷いなくそう言い切った。
「いいみたいね……じゃあ今から
「ラザルス・カタン、正式には」
「……ラザルス・カタンを同族に加える。我ら根となり、再び無限の大樹を蘇らせんことをここに誓う」
そこで彼女、リリーリルは俺のほうに意味ありげに目を向ける……ああ、そういうことか……
「誓う」
これでよかったようだ。
うなずいた彼女は、そして次の動作を起こす。
瞳が近づいてくる、いや彼女が顔、そして体ごと近づいてくるのだ。
そして……
彼女の唇が俺のそれに触れ、そして……
何か熱いものが注ぎ込まれる。
舌? 唾液? いやそれらではない。
何か得体のしれないものが俺の体に入ってくる。
そしてその熱いものの感覚以外の全ての感覚がだんだん薄れていき……俺は気を失った。
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