第6話

 僕は家の近くの公園にいた。ベンチに腰掛けると、目の前には大きな唐楓の木があって、その太い幹には、この世のあらゆる悪意から僕を守ってくれるような安心感があった。だから僕はよくこの公園を訪れては、このベンチに座って、何をするでもなく時間を潰した。

 でも、この日、朴訥なはずの彼は歯をむき出しにして、その圧倒的な存在感で僕に迫ってきた。すべてを見透かされ、詰問されているような気分だった。

 見上げると、がさがさ、と木の葉同士が擦れる音を鳴らして、犯した罪を告白するように急き立てた。僕の指には紺色の絵の具がついていた。公園の手洗い場で執拗に洗っても、それは落ちなかった。


 家に帰る途中、同じ高校の制服着た生徒が数人、ブランコを漕いでいた。

 姦しささえも完璧に着こなす彼女たちの声は、目で見えているところよりも、もっと、もっと遠くから聞こえてくるような気がした。

 僕は思わず、目を背けた。

 公園の出入口近くの灌木の茂みには、真っ黒い電子レンジが捨てられていた。ぼろぼろになったそれは、だらしなく口を開けていて、この先動くことは決してないように思えた。

 それなのに、電源のコードは付いたままで、それがなんだか、とても哀れだった。


 次の日、帰り支度をする僕に担任の先生は「職員室に来るように」と告げた。

 昨日のことを思って、どきり、とした。理由を聞きたかったけど、僕が返事をする前に先生はすでにこちらに背中を向けて歩き始めていて、僕はその姿を目で追うことしかできなかった。

 先生の言葉を聞いていた近くのクラスメイトが、ひそひそと話し出すのが聞こえる。「え、不良じゃん、不良」などと茶化す彼らの視線が煩わしかった。でも、不良ではない僕に彼らを怒鳴りつける度胸などなかった。

 教室を出る直前、ちらりと篠田の席を見た。彼女は友だちに話しかけられていたけど、しっかりと話を聞いているようには見えなかった。

 彼女はまた、前髪を気にしていた。


 職員室に着き、席に座っている担任の先生に話しかけると、先生は「鍵!」と大きな声で言った。

 「あ」と、驚くほど間抜けで、わざとらしい声が出た。そういえば、昨日、特別教室の鍵を閉めるのを忘れていた。

 

「すみません、忘れてました」


 と言うと、先生は呆れたような顔をして、わざとらしくこめかみを指でとんとん、と叩いた。それは先生の癖だった。

 「ほら」と紙を渡される。その紙には「解錠時間」と「施錠時間」という項目のある表が印刷されていた。どうやらチェックシートのようだ。


「これから、教室使うときは、それに時間書いて。書くところなくなったら言って」


 それだけ言うと、先生は正面を向き、机に置いてあったファイルを開いて、中身を読み始めた。どうやら話は終わったようだった。

 

「今日も鍵借りて良いですか」


 とたずねると、先生はまた、呆れたような顔をこちらに向けたけど、今度はこめかみを指で叩かなかった。

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