第40話


 りりには、必要のないものがいくつかできた。


 それらは哲学や信念で、象徴的なものは、隣に置いてある。


 そんなものがなくても、強く生きていけるようになった。


 一度泣いた女の子は強い。


 りりパンダはパンダヒーローだし、ジレンマなんて敵じゃない。


 公園に栄えた木々に、間もなく寿命を迎えるセミが止まり、歌う。


 セミはオスしか鳴かない。

 りりは女の子だけど歌う。


 ジレンマと戦うために、歌はこれだと思えないけど、極めるのなんて簡単だったから。


 りりは天才だ。

 りりおなんていらない。


 木漏れ日の下にあったベンチに座り、夏の夕暮れ時に、明らかに着ぐるみのパンダの話を聞いた。


 しずくが悩みを相談したら、パンダが長々と語り始めたのだ。


 パンダの声は天使のようだったから、いつまでも聞けた。

 あまり内容は理解できなかったが。


 子供だったしずくにはよくわからない話だ。



「ウサギもパンダのクマノミも、私のようで私じゃない」



 いや、パンダじゃんってしずくは思う。

 そう思うのが、よくわかってない証拠だ。



「好きじゃないものを好きになる冴えたやり方、知ってる?」



 しずくはブンブンと頭を横に振った。

 灰被りの髪が揺れる。



「これだと思えるベースをやって、極めることができる歌を歌って、私が好きな他人の人生を追体験できるような歌詞を書く。これが音楽が大好きな秘訣ね。そうなったときの私は、パンダじゃなくて、カマキリ」


「カマキリ?」



 カマキりり。


 それがりりパンダの出した答えだった。



「カマキリのメスは交尾のときにオスを食べるの。人間サイズのカマキリ。最強でしょ?」


「そうなの?」



 そうだとしても、しずくはどうしたら灰被りの髪を好きになれるのか分からない。

 しずくは満足いかない顔になって、パンダはそれを見て不機嫌になった。



「なんだよ」


「だって、意味わかんないんだもん」


「じゃあ分かりやすく言うけど、灰色を好きになりたいなら、白と黒を好きになることだね。それが混ざって灰色だから。この場合、黒がベースで、白が歌ね」



 しずくはちんぷんかんぷんになった。



「ちょうどいい。パンダは好き?」



 しずくは頷く。

 それを見てパンダは上機嫌になった。

 パンダの色は白と黒。



「そしたら灰色も好きになれるよ」


「私が灰色を好きになれても、私をいじめる子は、私の髪を馬鹿にするから」



 パンダはベンチから立ち上がり、隣に立てかけてあった黒いギターケースをベンチに置いた。



「パンダヒーローがやっつけてよ。最強なんでしょ」


「そんなナンセンスなやり方、二度としないよ」



 トリノに嫌われるだろうから。

 チャックをビーンと引っ張って、蓋を開ける。



「いじめをなくす冴えたやり方知ってる?」



 しずくは首を横に振る。



「知らない」


「よし。これをあげよう」



 パンダはその身体によく似合う、白と黒のストラトキャスターをしずくの膝に置いた。

 りりにはもういらないから。



「え?」



 しずくは困惑していた。

 このギターがなんだ。

 ギター一本で何かが変わる?



「何か一つを極めると、いじめなんてなくなる」



 パンダは言った。

 自信満々だった。



「それを極めてみな。そしたらいじめなんてなくなるし、君は自分の髪を好きになる」


「……ほんと?」


「ま、極められるかは君次第だけどね」



 しずくは弦を撫でた。

 じゃらんと音が鳴った。

 不思議と何かが変わりそうな気がした。



「……ありがとう」



 その言葉には根拠のない自信がこもっていた。



「もう、帰らないと」



 しずくは空腹を感じ、時間を思い出す。

 18時までには帰らないといけない。

 ギターを抱えて立ち上がる。

 黒いギターケースにしまって、それをひょいと背負うが、重たくて大きくてフラフラしてしまう。



「ランドセルよりクソ重い」



 教科書に書かれた話よりも、ギターに詰まった何かの方が重たかった。

 肩から零れないように、しっかりとハーネスを握って見せた。


 右に左に揺れてみる。

 ちょうど、なにかを思い出す。



「……そうだ」



 ガサゴソとポケットに手を突っ込んだ。



「これ」



 しずくの小さな手の平には小さな箱。

 ブドウの絵。



「代わりにあげる。悔しいときに嚙んでたの」



 物々交換てきな。

 わらしべ長者のような。

 しずくの手から、放物線を描いて、パンダの手へ。

 いったいどこから飛んできたのか。



「さよならパンダヒーロー」



 ピンと伸ばした二本の指で、じゃあね、またね。

 パンダの顔の下で、りりは笑った。



「犬を大切にな」



 しずくの背中に投げかけた。

 ベンチに腰を下ろして、ふうと息を吐く。


 誰もいなくなった公園で、一人。

 パンダの顔を外した。

 汗で前髪が額にへばりついている。


 頭のポケットに入れてあったタバコを握る。

 右手にはタバコ。

 左手にはガム。


 今、自分は何歳だっけ。

 過去に来たのは14歳。

 りりおが死んだ年に、りりは生まれた。



「あ、二十歳か」



 二十歳になったらやめるから。

 誰かの言い訳を思い出す。



「えい」



 ベンチの横のごみ箱に、りりはタバコを投げ捨てた。

 タバコもギターも前世もいらない。

 ただ左手にガムがある。


 りりは小さな口をいっぱいに広げて、丸くて小さいガムの粒を流し込んだ。


 口の中にブドウの香りが広がって、それが無くなるまで、噛んで、噛んで、噛んだ。


 いくつもの粒が噛まれるたびにまとまって、やがて大きな塊となる。


 ピンクの舌を得意気に転がして、大きなガムの塊を薄く平たく伸ばしていく。



「……。。。」

 煙みたいに息を吐く。

 りりの口にぷくーと膨らんだ、風船ガムができた。

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