第37話
駅前の楽器屋さんにパンダが来た。
白と黒のもっぺりとした動物だが、明らかに着ぐるみだった。
特徴的なのは、パンダであることと、黒いギターケースを背負っていること。
ギタリストなのだろうか。
「パンダヒーローですよ」
店員はバックヤードでざわついていたが、リーダー格の若い女性であり、この楽器店の店長の娘でもあるハルカが呟いたことで、防犯カメラの映像を画面で確認していたみんなは口を閉じて一斉にハルカの方を見た。
「え、なんですか」
ハルカは急にみんなの視線が集まったから驚く。
「ハルカちゃん昔からそうだけど、動じないね」
楽器店で働いていて、マリンバしか楽器ができない昔からいる店員が言った。
「いや、今朝も来てたんですよ。傘立て回収したときに見ました。店の反対側の歩道でボーっと立ってたんです」
「でも怪しいでしょ。あのパンダ」
ハルカはムッとする。
パンダってだけで警戒するなんて、かわいそうだ。
ハルカの好きな動物はなんとなくパンダだ。
「いや、善良なパンダじゃないですか。万引きでもしたら動じてやりますよ」
ハルカが言うと、画面に映ったパンダが赤くなった。
「……防犯システム作動してるけど」
「……」
店内の防犯カメラから送られてくる映像には、万引きをしそうな怪しい行動をしている客に対して警戒レベルに応じて色を着けるというハイテクなシステムがあった。
赤くなったパンダは警戒レベル3。ほぼ全ての項目において、過去の万引き犯の傾向に当てはまっている。
パンダは入店してから10分間、そわそわしながら、ベースコーナーを見たり、ちらちらバックヤードの方を覗いたりしていた。
怪しいっちゃ怪しいが、万引きを警戒する必要なんてあるだろうか。
「ほら怪しいっすよパンダ。ギターケース背負ってるのに、ベースコーナーいますもん」
毒々しい青い髪をしている後輩の店員が言った。
「ギタリストだってベースが気になることはあるよ」
ハルカは反論した。
「えー、ないですよ。格下っすよベース。ギター持ってるパンダがベース見てるの怪しいっすよ」
青い髪の店員はすごい偏見を言った。
とにかく、ハルカはあのパンダを怪しくないと思っている。」
「パンダの格好の時点で万引きには向いてない」
ちょうど万引きをしようとして現行犯で捕まっていた男が呟いた。
有識者面をしているが、犯罪者だ。
バックヤードでパイプ椅子に座っている。今、警察が向かっているところで、大人しくしている。
万引き犯に一瞬、視線が集中したが、またハルカに戻てくる。
ハルカは「はあ」と息を吐いた。
万引き犯と意見が一致したことで、やるせない気持ちになったのだ。
そんな気分がため息となった。
「とにかく、マニュアル通りに対応しよう」
ハルカは気持ちを切り替えて言う。
今は仕事中だ。
店内のパンダに対応しないといけない。
「動物が店舗に入ってきたときのやつですか?」
青い髪の店員は真面目に言った。
「違う。防犯マニュアルの方」
防犯カメラの映像で赤枠表示になった客には、その日の最高責任者である店員が対処するという決まりがあった。
店長の娘でもあるハルカが、今いるメンバーの中での最高責任者だった。
ハルカは気合いを入れる。
もしかしたら日本語が通じないかもしれない。
「一日に二人も怪しいやつが来るなんて、災難ですね」
「多少ね」
ハルカは苦笑いを置いて、バックヤードを出た。
パンダは並べられたベースを見ているようで、見ていない。
近づいてくるハルカに気づきながらも、気づかないふりをしていた。
トントンと肩を叩かれると、パンダはビクンと跳ね上がる。
「あの、お客さん。すいません」
パンダの大きな頭が回転した。
「……はい」
「何かお探しですか?」
どうやら日本語が通じる国産パンダだったようで、ハルカは一安心する。
しかし、パンダの答えはその安心を吹っ飛ばしてしまうものだった。
「……あなたを」
「はい?」
ハルカは古典的に首をコテンとした。
「あなた? 私ですか?」
「あなたに用事があって来たんです……」
語尾がしぼんでいた。
背中が丸まっていて覇気のないパンダだ。
「あの」
「……」
「パンダですよね?」
「はい」
「パンダヒーローですか?」
「……ヒーローなんかじゃないよ」
「じゃあヒロインですか?」
「……用事を言ってもいいかな?」
パンダは答えなかった。
物事が自分中心ではなくなって久しい。
ヒーローとかヒロインなどのマインドではいられない。
動物園でちやほやされるパンダも、野生に帰ればただの畜生である。
「いいですよ」
ハルカが答えるとパンダは近くにあったパイプ椅子にギターケースを乗せた。
チャックをびーんと引っ張り、蓋を開ける。
「これなんだけど」
ギターケースの中には、白と黒のストラトキャスター。
ハルカにも見覚えがあった。
似ているとかではなく、一点物。
その証拠が、身体に刻まれた弾痕。
痛々しい傷痕を見ると、ハルカの心に来るものがある。
「これを返しに来たんだ」
店の壁には、バブルガムフェローのポスターが飾られていた。
フードを被って格好つけてるりりお。
一枚一枚にリーヤのサイン入り。
「これ……」
「君のお兄さんのもの」
「やっぱりお葬式のパンダだったんですね」
ハルカはパンダの正体に気づく。
そこまで気づけないくらい、特別なパンダではなく量産型パンダになっていた。
「遅くなったけど、返さないと」
「あの、受け取れません」
「え?」
パンダは固まった。
表情も身体も一切動かない。
「えっと」
ハルカは困った。
尖らせた唇に指を当て、断るのに良い理由を考えていた。
こんなもの、今更貰ってもどうすることもできない。
兄は死んだし、ハルカはギターを弾けないから。
「ほら、白と黒のストラトキャスタ―ですし、白と黒のパンダのあなたが持つにはふさわしいと思いますよ?」
ハルカはお茶目に言うけど、パンダは切実に声を漏らす。
「受け取って貰わないと、困る」
天使のような声は真剣なのに、パンダの表情が変わらないのが不気味だ。
「どうして。なんで返すなんて言うんですか?」
「ほんとうは、私、こんなものいらなくて」
こんなもの、というのはギターのことだけではない。
「ズルだってのは分かって、でも私のものだと思って使っちゃったから。ちゃんと、一つのことを極めて、これだと思えるなにかをやって、文化祭のステージに立った。それは君のお兄さんに対する贖罪で、私の前世に対する誠意で、それでもなぜか満足できなかった」
何か一つを極めたのに。
これだと思える何かをやったのに。
アリスの叫びが心に残り続けている。
「私にはもう無理だ。返します。私の人生を返せなんて言わないから、返させてください」
店の前にパトカーが止まった。
店内に警察が入ってくる。
パンダを見て何かを勘違いした警察が、パンダを取り押さえた。
「あ、万引き犯はバックヤードにいます」
警察は慌てて、パンダから手を放した。
自分が万引き犯に間違われたのに気づいたのだろう。
「……ぐすん」
パンダは泣いてしまった。
ハルカはバックヤードに警察を案内する。
パンダはしばらくの間、放置された。
泣きっ面に蜂だ。
「すいません」
待たせたことを謝りながら、ハルカはパンダの前に立った。
その頭には一つの考えが浮かんでいた。
「満足できなかったのは兄ではなく、あなたでは?」
「え」
パンダは傷口に塩を塗られた。
「よくわかんないけど、兄のせいにしないでください」
「え、え?」
「兄は少なくとも私の兄として生まれただけで満足だったと思います」
「パンダ嫌い?」
「パンダは好きです。あなたが嫌いです。明らかに着ぐるみじゃないですか」
「うわーん」
蜂っ面に塩だ。
そんなことわざはないが、このパンダほど過酷な人生も過去にない。
「とりあえず兄は音楽が好きでした。あなたは何が好きですか?」
「ぐすん?」
「音楽、好きなんですか?」
小さなアズサにも指摘されたことだ。
首を横にぶんぶん振ると、大きなパンダの顔も遅れて、ぐりぐりと動く。
斜めになってしまった顔を両手で正面に直す。
「私が好きなもの……?」
自分でも自分が難しい。
りりおの好き嫌いと、りりの好き嫌いは複雑に混ざっている。
それでも、確実にりりが、りりだけが好きなものがあるはずだ。
それはりりだからこそ好きなもので、りりとりりおの明確な違いといえば、りりは転生者だが、りりおは転生者ではないということだ。
「……私、他人の人生を追体験するような小説とかゲームが好きで」
おじいの店でゲームをしたり小説を読んでいたのを思い出す。
「兄はゲームしないし、小説なんて読めなかったです」
「でもっ、わたしぃ、ゲームでもデボラを選んで……」
ドラクエ5の話だけど、たぶんハルカは分からない。
パンダはグズって何を言っているのか聞き取りにくかったけど、何かの結論がでたことだけは分かった。
「ほんとはぁ、わたしっ、ぽっと出のギャルなんか興味なくて、小さいころにっ、一緒に冒険した、幼馴染と結婚したかったんですぅ」
「……」
「というかぁ、わたしがっ ……フローラなんですぅ」
「……?」
「フローラとぉ、ビアンカがぁ、結婚したらいいじゃんって思ってたのに!」
「……」
「うわーん」
「……」
「あの、このパンダも回収していきましょうか」
「あ、はい。お願いできますか」
パンダは万引き犯と一緒に警察に連行された。
楽器店の外の空は、今朝の雨はどこへやら、台風一過のような快晴が広がっていた。
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