第31話

 犬の散歩をしていたしずくは見たことのあるシルエットを発見した。


 川辺のベンチに座ってベースを弾いているが、あまり音は響いていない。


 なにをしているのだろうか。

 まあ見ての通り演奏なのだろうけど。

 ここで演奏して何の意味があるのだろうか。



「ウサギさん」



 りりは呼ばれていることに気づかずに無視をする形になってしまった。


 ウサギりりって呼んでくれないと自分だって分からない。ウサギは他にもたくさんいるから。


 しずくは不満そうに頬を膨らませる。


 正面に立って仁王立ち、影が落ちて不思議に思ったりりがようやく顔を上げた。



「ああ、お客さん」


「しずくっていいます」


「私はりり」


「あの、演奏すごい感動しました。それまでの茶番はいらないと思いますけど」



 しずくは目を輝かせて言った。

 りりは苦笑いをする。



「体張ったんだけどね」


「暗くてよく見えませんでした。前の方なら見えたんでしょうけど、私一番後ろでしたから。あ、体育館に入ってきたのは一番近くで見れましたよ」


「見えなかったのなら、よかったよ」


「音楽は聞こえるだけで十分ですからね」



 しずくはりりの隣に座った。

 そこで、りりはしずくが犬を連れていることに気づく。


 犬の散歩中に、ギターを背負ている意味はあるのかと疑問に思うと同時に、この犬、どこかで見たことがある。


 それを思い出すのには時間がかからなかった。

 りりは苦い顔になった。



「この犬、どこで拾った?」


「え、家の前で轢かれてて、それを助けたんです」


「……役者だな」


「?」



 りりの反応を不思議がるしずく。



「おい。お前の目的はなんだ」


「……今まで僕に喋りかけたことなんてなかったくせに」


「ええ! 喋っていいの?」



 しずくの反応から考えるに、犬はしずくの前で喋れることを隠していない。そして、しずく以外の他人には喋れることを隠しているのだろう。



「……喋る犬がいたら、人間は黙るべきだろ」


「知らないよそんなの」



 りりと犬の雰囲気は悪かった。


 しずくはそわそわする。何か話題はないかと考えたときに、最初に思いつくのはやはり音楽だ。背中のケースを地面に置いて、チャックを開ける。



「りりさん見てください。私のギター珍しいんですよ」


「待った」



 蓋を開けようとした瞬間、犬がしずくを止める。



「どうしたの?」


「それを彼女に見せることは許さない」


「どうして?」


「僕は対処しないといけなくなる。これは君には話せない」


「……分かった」



 妙に聞き分けが良い。


 りりとは正反対だ。


 りりはチャックを閉めようとするしずくの手を掴み、無理やり蓋を開けた。



「なるほど」



 りりの頬が引き攣る。


 ケースの中にあったのは数発の弾痕が残されたビンテージのエレキギターだった。


 白と黒のストラトキャスター。



「これをどこで?」



 しずくからの返答がない。


 りりが振り返るとしずくから生気が抜け、全く動かなくなっていた。しずくだけではない。周囲の風景すべてが止まっている。落葉すら、空中でピタリと動かない。



「……時でも止めたのかな?」


「似たようなものさ」


「時を止めたら全く動けないって動画で見たけど、私と君は動けるね」


「似たようなものだからね」


「時を止める系のアダルトビデオで犬が動いてるみたいなネタあるよね」


「……」



 犬とりりだけが動けた。


 この状況が犬の仕業だという判断は簡単だった。喋ることができるというのはその能力の一端であり、神がかった御業まで扱うことができる。犬の姿も仮初めのものだろう。



「君には謝罪と同情を上げよう。僕には感謝をくれ」


「なんの話?」


「このギターを生み出すために君を殺したのは僕で、君を生まれ変わらせたのも僕という話だ」



 りりの顔が歪んだ。



「君の一連のすべては、悲劇のギターを生み出すためのシナリオ。それを完遂することが、僕が神になるための条件であり、神としての最初の仕事が君を転生させることだった。難しいことじゃない。僕にとっても、君にとってもね。世界の中心であるしずくに深い影響を与えさえしなければ、君は何をしてもよかった」


「それならしずくともっと離して転生させろ」



「どうしてまた音楽なんだ。なんでも良かったじゃないか。つくづく運がないね」



 それはしずくにも言えることじゃないか。


 どうして音楽なんだ。



「とにかく、君からの影響を最小限に抑えるために、表舞台からは姿を消してもらう」


「……心の準備が必要だね。具体的には?」


「君を、君が死んでから、生まれるまでの過去に飛ばす。しずくが大人になるまで、そのころには君も大人になっているだろうから、それまでじっとしておいてくれ。大人しくって意味だ」


「……意味が分からない」



 この場で消えたら、しずくが驚くじゃないか。


 それとも魂の抜けたようなりりがこの場に残り続けるのだろうか。


 少なくとも犬の説明では全てを理解することは難しい。

 なるようになるか。



「じゃあね。またね」



 犬はそれだけ言って、りりを過去に飛ばした。

 時が動き出す。

 しかし、しずくの隣にはりりがいた。

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