第26話
りりにもトラウマはある。死ぬ瞬間の景色だ。良かった日も悪かった日も、その夢を見ると最悪の日に変わる。起きた時には、汗びっしょり。おねしょよりも気分が悪い。おしっこどころか、内臓が漏れている気分だ。
男女の歓声が混沌に共鳴して一つの音塊となってその空間を支配する。4分28秒の長い潜水をその身体一つで終え、空気を吸うと全ての感覚が戻って来る。心臓が呼吸を支配して、高まった鼓動と共に、肺が伸縮を繰り返す。身体は興奮しているのに、脳みそだけが妙に冷めていて、これは違うなと顔を上げる。そこには銃を構えた男がいる。男の周りにも多くの人間がいて、そいつらが男に暗示をかける。ステージから、男の場所までは遠いのに、罪悪感に歪んだ顔がはっきりと見えた。しっかり、殺せよ。りりは笑う。じゃないと目を覚ませない。音塊を貫いて、弾丸が放たれる。
ぺよーん。と、その身体を震わせながら、りりの胸元に届く。柔らかな輪っかはもう何度も使われふやけていて、本来の伸縮を失ってしまっていた。ペチと、小さな胸に当たった後、若干跳ね返って床に落ちた。
「真っすぐとばないじゃん」
割り箸で作られたピストルを見つめながらしずくの友人が言った。名前はアズサ。茶色の髪が似合う少女だ。りりたちが通う学園の文化祭は地元でも有名で、多くの来客があった。しずくとアズサもそのうちの二人。銃口らしきところを見つめているが、真っすぐ飛ばない原因は銃ではなく、弾の方にある。
りりは床に落ちた輪ゴムを見つめていた。
トラウマ。
ヒュ、と口から音が漏れる。
「店員さん?」
真っ青になった顔のりりを見て、しずくが心配そうに声をかけた。
「顔色が悪いですよ。めっちゃ青」
「……大丈夫。ありがとう」
気の利いたジョークも言えない。いつもならプルプル悪いスライムじゃないよくらい言っていたはずだ。
深呼吸をしてから、りりは店員としての使命を全うする。
エプロンの前ポケットに手を突っ込んだ。
「はいこれ」
そこから取り出したものをアズサに渡す。
「これは?」
「悔しさ嚙み締めるガム」
「残念賞ってこと?」
「そゆこと」
それを聞いたアズサはムキになってもう一回。100円で輪ゴム五個。離れた場所に置いてある的に当てたらお菓子が貰える。当たらなくてもガムが貰える。
あの日、あの男が何度も放った弾丸が全て外れていたらどうしていただろうか。
ギターをやめて、これだと思える何かを探していただろうか。
ギターをやめることなんて許されなかっただろう。
期待、信頼、契約が佐藤倫也を縛り付けていた。
あのとき死んでなくとも、彼の人生は終わっていた。
死んでよかったなんて、死んだりりおなら死んでも言えないが。
りりに生まれて幸せだった。
ガムをくちゃくちゃ噛みながらアズサはかっこつけておもちゃの銃を撃った。
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