第19話

 パンパンパンダの顔。

 パンパンパンパンパンダの顔。


 トリノの脳内にリズムが根付き、心臓が鼓動を刻むたび、酸素と共に全身に巡っていく。全身をパンダに蝕まれたトリノは、乱れることのないリズム感を手に入れ、初めて授業中に眠った。



「トリノ。起きて」



 天使のような声が聞こえて、トリノは目を開ける。


 覚醒したばかりのトリノの脳にも、パンダがいた。


 りりは顔を上げたトリノと目が合うと、何かに気圧されるように一歩引いた。トリノの体内に恐ろしい何かを感じたのだ。



「……パンダ?」


「……りりだよ?」



 トリノは寝ぼけ眼を擦った。やがてパンダはぼやけて、りりの姿になる。自分でも可笑しくなるほど疲労しているのに気づく。今まで授業中に眠っている人をなんて怠惰なんだと非難していたが、寝ている人も見えないところで頑張っているんだと知ることができた。


 トリノは立ち上がると、膝が震え体勢を崩す。


 つんのめったところ、りりに受け止められた。


 そのままギュッと、りりの胸に収まった。



「どしたどした」



 パンダとりりは似ている。


 かわいいのにかっこいいところ。矛盾じゃなくて、ちゃんと二つ感じる。


 トリノはパッと離れた。


 君のために頑張ってると言いたいけど、それだと恋になってしまう。


 愛だけじゃなくて、恋もしたい。


 二つ同時にはできないだろうか。


 それがトリノのジレンマだった。




◇◇◇




 りりたちが通う学校は中高一貫校であり、中等部に通っていたとしても、高等部の先輩との交流は少なくない。りりは高校生の先輩たちを自然と下に見ている。高校生の先輩たちも文化祭で目立っていたりりを可愛がってやろうとしているのだろう。彼女らが一触即発になるのも当然だった。



「なあ、私のバンドでベースをやれよ」


「……」



 りりは壁際まで追いやられて、学内掲示板の隣に背中を付ける。逃げる気などなかったが、背が高くニヤけた様子の大塚先輩は、左手でりりの逃げ道を塞いだ。いわゆる壁ドンという体勢であり、周りからキャアと黄色い悲鳴が上がった。



「お前のベースなら天下を取れる」



 大塚先輩は見当違いなことを言った。



「素人と仲良くやってないで、私たちと本気で音楽しようぜ」



 大塚先輩は文化祭で乱入したりりのベースに唯一付いて行こうとした豪傑だ。そのルックスから学校では王子様的な立ち位置で有名な女子生徒だった。しかし、かっこいい女の子というものに全く惹かれない事情がある。心が男の子のりりにとっては、年上を武器にイキった子供にしか見えない。



「素人とやっても上手くいかないぜ?」


「……」



 りりは顔を背けた。


 口臭がきつかったのではない。

 大塚先輩の間違った認識に飽きれたのだ。


 掲示板の無駄にカラフルなポスターと、色めきだった観衆に囲まれて、りりは辟易とした。また暴力で解決かと、脳裏でりりパンチがよぎった。しかし、相手は女性、金的は効かない。一瞬の迷いが、りりパンチを鞘に納めることに繋がった。



「どうしても嫌だっていうなら勝負をしよう」


「お、勝負?」


「ベース以外の、ギター、キーボード、ドラムでどっちが優秀か決める」



 勝負の内容を聞かなくとも、ホタテは勝てるが、アリスとトリノは負けるだろう。


 しかし、りりはニヤけた。


 ちょうど良さそうなイベントだと思ったのだ。



「いいね。やろう」


「よし。場所を変えよう」



 廊下を移動する間、りりは綺麗に負ける方法を考えていた。

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