第20話

 第二音楽室は普段にはない賑わいを見せていた。軽音部のメインバンド『アルアイン』のメンバーと、よくわからない中等部のかわいこちゃんたちのバトルがあると学内に噂が広まった。暇をしていた生徒たちが集まり、廊下までびっしり人で詰まっていた。


「もう一回説明するから。レギュレーションはワンフレーズ勝負の二本先取。ジャッジは観客が行う。ギター、キーボード、ドラムの順番で私たちの先行ね。もちろん、ギターはアリス、キーボはホタテ、ドラムはトリノだから。フレーズは好きなのを弾いてよし。胸を借りるつもりでいこう」



 それを聞いた三人は困惑していた。


 なぜりりはこんな勝負を受けたのかということだ。



「私たちは初心者二人。どうやっても勝てないだろ?」


「ここで負けて、文化祭でリベンジだよ」


「なに? 私たちが文化祭に出るのか?」


「うん。そもそも文化祭が私のリベンジだ」



 りりの頭の中には明確に思い描かれたシナリオがあった。


 文化祭のライブを皮切りに学内の活動は終了、それ以降は学外、とくにインターネットをメインに活動するつもりだ。それは、ホタテの借金返済への最短距離を行くための選択である。


 どうしても文化祭でライブを行いたい理由がりりにはあった。


 リベンジという言葉は人生をやりなおしているりりにとって最も重要な単語だ。



「さあアリス、負けてきな」



 アリスはりりに背中を押された。青いギターを背負って、群衆の真ん中に躍り出る。


 対するはアルアインのギターボーカル。かわいい系の人気者だ。そもそもりりは彼女がボーカルを担当する時点でアルアインには興味をなくしている。なにより、りり以前にもベースの子はいる。下手くその印象はあるが、彼女がかわいそうだ。


 先攻のアリスは普段練習で弾いている曲のワンフレーズを披露した。つつがなく弾けたが観客の反応は薄い。


 後攻のかわいい系はアルアインのオリジナル人気曲のギターソロパートを演奏した。技術的にはアリスと大差ないが、盛り上がるフレーズと、多少のファンサで、観客からのレスポンスは大きい。



「よかった方に歓声をちょうだい。先攻、斎藤さん」



 観客からの歓声は少ない。



「後攻、まこと」



 わー、と明らかにアリスのときよりも盛り上がっている。



「勝者、まこと」



 アリスはがっくりと肩を落として、帰ってきた。


 どんまいですとホタテが慰める。


 りりは勝ち負けをどうでも良いと思っているが、負けず嫌いなトリノは違う。このラップバトル方式に疑念があった。そもそもこちら側がアウェーすぎる客質だ。大塚先輩は狙ってやっていることだろう。



「よし。ホタテ、相手は合唱コンの伴奏で微妙だった先輩だ。余裕で勝てる」



 りりの見立て通り、ホタテは圧勝した。


 ホタテが演奏したのはクラシックの定番曲だったが、音楽の良し悪しなど分からない客層には、ちょうどいいチョイスだっただろう。クラシックの緻密に洗練された曲は、初見でもすごく良く聞こえる。


 りりは帰ってきたホタテにサムズアップをした。


 最後はトリノだ。りりは彼女が見えないところでどれくらい頑張って来たのか分からない。今、それを知れると思うとワクワクする。


 りりはトリノを見た。

 そして、何かがおかしいことに気付く。



「トリノ?」


「うん?」



 トリノは普段のようにりりに聞き返した。何を不思議がっているのか。



「……怒ってる?」



 トリノはりりの口に指を当てた。



「しー」



 白い歯を見せて、トリノは真ん中に歩いていった。そこにはドラムセットがあって、慣れた様子で椅子の位置を調整する。


 スティックを持って、くるくる回す。

 た、たん。と足でバスを鳴らす。

 つむじからつまさきまで、パンダが流れ出し、ドラムに伝わる。


 パンパンパンダの顔。

 パンパンパンパンパンダの顔。


 何を弾くかはもう決まっている。

 それが間違ってないか、パンダに問うだけ。



「トリノさん少し変わりました?」


「ホタテもそう思う?」



 トリノとホタテなんてあんまり関わりがないのに、そう感じるらしい。


 少なくとも今のトリノはいつものまじめな委員長ではなく、タバコくらいは吸ってそうなパンダ。

 パンダは白黒。

 グレーって意味だ。



「はい」


「……じゃあ準備しておこうかな」



 りりは困った顔になって、がさごそとベースを取り出した。



「おいおい。りりちゃん。君の出番はないよ」



 大塚先輩はりりの方ばかり気にして、相手が見えていないようだ。


 最初の一音。火山のようで、空間の震えはその予兆。何か恐ろしいものが生まれる前の悪阻のような気持ち悪さは、心臓を掴まれたあの日の感覚と同じ、振り向くとトリノによって回されたスティックがドラムに着地して、張り詰めていた色々な何かを弾くと、当然のように音が鳴る。ワンフレーズは一瞬、それが何の曲かも分からないで、しかし、誰もトリノを止めることはできない。ツーフレーズ、スリーフレーズ、トリノが叩くとルールは破壊される。


 この感覚は文化祭の時と同じ。


 違うのは、着いて行くことができない。耳から入る音に対して身体が排除を求めている。さながら毒素のようで、本質はニコチンやアルコールと同じ。音に酔うとはこのことなのか、高揚、トリップ、立ち眩み。


 大塚先輩は膝を付いた。


 その隣をりりは歩いて、苦しむ群衆の中央に躍り出る。


 言うまでもないが、りりは「これだ」と目を輝かせている。


 この状況を予想していたわけではないけど、こうなることは分かっていた。


 その程度のことで矛盾を訴えても無駄だ。


 自分にとって都合の良い感覚の中で生きているりりと共に歩くには、自分の全身にパンダを流すくらいでようやく追いつくことができる。もちろん、パンダというのは例え話ではない。


 りりとトリノはセッションを始めた。

 観客など眼中になく、勝負など消え去っていた。



「あの、意味わかりますか?」


「……恋愛だな」


「意味わかんないです」



 ベースとドラムは、矛と盾の代わり。もしくは矛と盾の交わり。ふたつ、ふたりがくっついて矛盾になる。愛もしたいし恋もしたいとき、音楽を始めたら恋愛ができる。というのがアリスのそれっぽい解釈だ。

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