第15話
矛盾を抱えて生きていた。ギターは生きた証でもあり、死の象徴でもあった。
アリスのつたない演奏をりりは笑った。アリスと比べたときに自分のギターの才能が面白かったのだ。アリスはそれを嘲笑と受け取った。その勘違いは仕方がない。アリス自身が自分の演奏に納得していないときに、りりの憎たらしい笑顔が見えたのだ。
「すごいね」
トリノはスネアを膝に抱えて、りりのベッドに座っていた。何度か来たことのあるりりの部屋は新鮮な楽器で溢れていた。楽器を持つ女の子がこんなに魅力的だったなんてりりは知らなかった。とにかくスネアを抱えるトリノは可愛かった。ドラムは女の子がいいなと、バブルガムフェローのボーカルも言っていたことが理解できた。もちろん、バブルのドラムはゴリゴリのおっさんだったが。楽器を持つ女の子の美しさというのは普遍的な価値観なのだろう。思えば神話の天使もなにかと楽器を持っていたような気がする。
「私はちょっと、上手くできるか分からない」
トリノはずいぶんと弱気だった。一呼吸を置いて、スティックを振り始める。スネアを叩き始めて何連かは安定したリズムを刻んでいたが、腕に疲労が溜まると集中力が落ちて崩れていく。崩壊してしまう前に、トリノは演奏を止めた。一応、やり切った雰囲気だけ出しておく。ドラムの練習を始めて、一週間でこれだ。自分に才能があるのかないのかすら分からない。自信がないからりりの顔が見れない。少し俯く。
「いいじゃん」
りりの天使のような声は乾いて聞こえた。
トリノに対して、りりは何も言わなかった。いや「いいじゃん」というのはりりの言葉だが、トリノにとってはそんな愛のない言葉を言われても、何も言っていないのと同じだった。
そしてなにより、りりはアリスに対しては厳しかったのだ。
ミスをするたびにりりに冷たい目を向けられるアリスを羨ましいと思っていた。
りりの冷たさというのがトリノには逆に暖かく感じるから。
「頑張らなきゃ」
夕方、りりの家から途中までアリスと一緒に帰宅する。トリノが呟くと、アリスは自販機の前で止まった。どうやら飲み物を買うようだ。りりの家の麦茶が口に合わなかったのか、アリスは水分を補給していなかった。
「お前は別に頑張らなくてもいいんじゃないか?」
「アリスもりりも頑張ってるのに?」
「私が頑張るのは贖罪みたいなものだ」
アリスは左端の飲み物を購入した。突然、自販機はパチンコみたいな演出を始める。
ガコン、ガコンと二つ飲み物が落ちてきた。
アリスはしゃがんだ。
「でも、りりをいじめてたこと悪いと思ってないじゃん」
「お前は全ての受刑者が自分が悪いと思って刑を受けていると思っているのか?」
「受刑者っておおげさな」
「いじめは犯罪だろ?」
まるで、アリス自身がアリスの敵であるかのような言葉だ。
自販機から飲み物を一つ、取り出した。
アリスは立ち上がって、缶のコーラを開ける。見たことのないメーカーのコーラだ。
「……もう、一つは?」
「?」
トリノは自販機を指さした。
「当たってるよ」
「私が買ったのは一つだ」
「ええ……。いらないならもらうから」
トリノは自販機の前まで戻って、しゃがんだ。ふたを開けると、端っこにコーラが転がっている。腕を伸ばして取り、立ち上がった。
アリスはトリノを指さす。
「窃盗犯」
「……」
「そしてあいつは愉快犯」
なぜかトリノにはアリスの言うあいつというのが鮮明に頭に浮かんだ。
二人はなぜか気が合った。
主義や趣向はまるで違うだろう。
「なんであいつのために頑張ろうとするのか」
アリスには物事の本質が見えていた。
「それはあいつが好きだからだろ?」
りりが好きなトリノと、りりが嫌いなアリス。
真逆の趣向だと、逆に気が合うらしい。
「頑張るのはやめときな。一方的に尽くしたら恋が愛になる」
歩いてもその言葉が消えない。
アリスと別れても手に持つコーラは冷たい。
この街の夕焼けは、りりと出会った日を思い出す。アスファルトを靴が叩く音。コツコツと地に足が付くたびに、踵から脳へ、何かが流れてくる。頭の中で音は徐々にスネアのリズムに変化していく。血によって全身へ。酸素によって空白が生まれ、トリノの身体が楽器に変わる。
立ち止まれば、当然、演奏も止まる。
「愛でもいいじゃん」
そう呟いたトリノの目の前に、明らかに着ぐるみのパンダが現れた。
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