第6話
前世でギターを極めたりりにとって、ベースを弾くのは簡単だった。楽器の理屈は分かっているので、基礎的な部分は教材など何も見ずとも、感覚的に弾くことができた。しかし、まだ幼い指が技術に追いつかない。少し激しく引いたら指が傷ついて痛いし、そもそも一曲を弾ききる体力がない。
それを懐かしいと思える。
りりにとっては経験済みのことだった。
放課後は必ず、おじいの店に寄りアフレコをする。本人は「これは違うかな」と思っているアフレコだが、客からの評判は良い。客というのも物騒なもので、煌びやかな老婆や、指が一本少ないジジイなど、なんなら音楽業界にパイプがありそうな人物たちが、葉巻タバコを買っていく。「パイプじゃなくて、葉巻かあ」とタバコジョークが思い付き、りりは御機嫌になる。
ベースを弾くのは、夕飯を食べ終わってからだ。お風呂に入る前の一時間くらい。晴れの日はウッドデッキに出る。りりにとっては特別な時間だ。
その時間に練習という感覚はりりにはなく、演奏である。
そして、観客もいた。
金を落とさない聴衆を客と呼ぶかは疑問だが。
「やあ。りり、今日も演奏かな」
最初は喋る犬が来た。りりは犬が喋っているとは思えずに、キョロキョロと辺りを見渡して、状況を咀嚼し、犬が喋っている以外には考えられない結論に至ってようやく、犬が喋っていることを受け入れた。
そして無視した。
それが聞こえてはいけない声だと思ったからだ。
そもそも、自分が転生体であり、特殊であることは知っているため、こういう不思議なことも起こるのだろうと納得はしたが、理解はできない。理解できないというのは、りりの中では最も怖いことだ。それは幽霊と同じくらい怖い。
「今日の曲はなにかな?」
今では慣れたものだ。
それでも会話することは怖いりりは、喋る犬とのコミュニケーションを、おじいのやり方を参考にする。「今日の曲はなにかな?」と犬が言えば、りりは今日の曲を演奏してみせるのだ。すると犬はりりが言葉を発さずとも満足する。当然、犬の疑問は今日の曲が始まれば解決するからだ。
最初は犬だったが、犬以外の動物も次第にりりの下にやって来るようになった。それはどれも、なんだか日常で見るには違和感のある動物たちだった。猫やら、犬やらは良いが、カピバラとか、鷲とか、極めつけはサングラスをかけた蟹。最後が明らかに着ぐるみのパンダ。
パンダ以降は、目新しい動物は来なかった。
いつのまにか、猫の集会場所になっていたくらいである。
猫ごときがなにを集まって話すことがあるのだろうか。
昔は駅長をする猫が猫界隈でも位が高かったのだが、今ではSNSで定期的にバズるインフルエンサー猫が現れたことによって、近年の猫情勢も揺れているのだろうか。
りりはベースの演奏を続ける。
その多くは、りりが生前所属していたバンド『バブルガムフェロー』の曲のベースパートで、メンバーのベーシストがうんぬんかんぬん言っていたことを思い出しながら、演奏していた。
りりが小学校を卒業する間際のこと、犬は余計な口を挟んだ。
「僕は君のギターが聞きたいのだけど」
りりの犬に対する疑惑がそこで深まった。なぜ犬はりりがギターを弾けることを知っているのかという点だ。しかし、りりは豚の角煮のような確信には至ることができない。そのことはりりにとって不快だった。
りりは犬の言葉に乗ってやることにした。
逆にだ。
りりは立ち上がり、リビングでテレビを見ていたお父さんにじゃんけんの勝負を持ちかける。お父さんは突然のことでグーを出す。りりはパー。
りりの勝ち。
「お父さん、一勝のお願い。ギターを買って」
必殺上目遣い。
当然、お父さんは二つ返事で了承する。
じゃんけんで勝負をしたのは、りりにとっては、いちおうの誠意である。
◇◇◇
おじいが死んだときに何かを感じたのか、りりはギターを弾いた。
中学生になる前の春休みのことだった。
そのときにりりが確信したことは、自分のギターが極まっているということと、もうギターに対しては「これだ」と思うことができないということである。感心したように座っている犬の前で、死んだときと同じように「違うな」と感じながら、演奏をしていた。
「そろそろかな」
犬は言った。
おじいは声が出ないのに、犬は喋っている。
なにがそろそろなのか、りりには皆目見当がつかない。
「まあ自由に生きてよ」
その言葉にりりは訝しんだ。
それにしても不思議な生物である。その日から、犬や蟹やパンダは姿を現すことはなく、ただ猫だけがりりの家に集まった。そしたら、りりの好きな動物というのは、猫と、しいて言うなら馬だけになった。
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