第5話

 りりはベースを買ってもらうとき、一生のお願いを使った。りりおも一生のお願いを使ったことはあったが、もちろん、リスポーンしたら復活するタイプのお願いごとだから、りりにも使えた。



「ベース? ベースって楽器のベース?」


「うん」


 お母さんは料理をしながら、りりのお願いを聞いていた。


 圧力鍋がキャーと悲鳴を上げている。甘い匂いがしてくるので、これは豚の角煮だと確信する。りりはわくわくしていた。お母さんは家事を極めていると言っても良い。その点、りりはお母さんの料理が大好きだった。



「りりちゃん音楽がしたいの? ならピアノ教室とかの方がいいと思うな」



 りりは首を横にぶんぶん振る。



「どうしてもベースが欲しいの?」


「うん」



 お母さんは困った顔をした。色んなことを真剣に考える。ベースの費用だったり、騒音の問題だったり。



「一生のお願い」



 りりは上目遣いの効能と組み合わせながら、必殺の一生のお願いを使った。

 お母さんは、顎に手を添わせて、色っぽくため息を吐いた。



「仕方ないわね」


「やった」


「ベースっていくらくらいするのかしら?」


「私が欲しいのは10万円」


「はい?」



 平然と言うりりにお母さんは、唖然とする。



「りりちゃん?」


「高い?」


「そうね。もっと安いベースはないの?」


「あるよ。でも、ピアノ教室よりは安いよ」



 お母さんはりりがピアノ教室に何年も通ったときのことを考えた。確かにりりの言う通り、数年ピアノ教室に通ったらかかる費用は10万円なんて簡単に超えてしまうだろう。



「どうしてもそのベースがいいの?」


「うん」


「そもそもどうしてベースがいいの?」


「ギターの逆だから」


「うーん」



 お母さんには、なかなかりりの考えが分からないことがある。りりの気持ちはとても複雑で、特にお父さんとはお風呂によく入るのに、お母さんとは入りたがらない。自分が子供の頃は、お父さんとお風呂に入るのは嫌だった。りりは不思議な子だった。


 普通の女の子とは違う。


 それが、逆という言葉で表せて良いくらいに、単純なことなのかお母さんは分からない。



「りりの欲しいベースはなんで高いのかしら」


「私が欲しいのはフレットレスのベースだから。ギターにはフレットが必ず付いてるけど、ベースにはそうじゃないものもある。それが私の欲しいベース」


「……より逆なのね」



 りりの説明はお母さんにもなんとか理解ができた。



「ダメ?」


「りりちゃんの中でしっかりと理由があるなら、買ってあげないわけにもいかないわ。お母さんはりりちゃんが好きなことができるなら応援するから」


「ありがとう。あとは、お父さんが帰ってきてから、夕飯の後に話そ。お父さんの説得も手伝ってね」


「……あの人は、りりに言われたらなんでも買っちゃうと思うけど」



 そんなこと、りりにも分かっている。

 お母さんの方から説得したのは、りりの誠実な部分の表れだ。



「ところでお母さん、味見してもいいかな?」


「もちろん。でも、もうちょっと待っててね」



 そもそも一生のお願いなんて使わなくとも、お母さんはりりのことが大好きだから、願い事の一つや二つ聞いてくれる。小皿に乗った、少し崩れてしまった部分の豚の角煮と、茶色く変色した味沁み大根の切れ端をりりは、みみっちく味わいながら食べた。



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