第3話


 望月 鳥乃は自分が背負った真っ赤なランドセルに赤さで負けている夕日を馬鹿にした。


 小学生なりの現実逃避である。


 いちおうは自分が迷子であるという自覚はありつつ、今まで迷子になったことはなかったので、実際どこからが迷子なのだろうと、変なことを考えながら歩いていたら、今は確実に迷子だと確信できたので、よかったと笑った。


 よくないと思えたのも、それから10分くらい経った後である。


 どこからが迷子だったのか思い返せば、そもそも知らない場所に来た時点で迷子だったのだろう。ポジティブに考えれば、知らない場所を知ることができたのだ。これは、迷子というか旅、もしくは冒険ということにして、そう考えるとトリノはなんだかワクワクしてきた。


 ついには、空は夕焼け、ついでに肉でも焼けたのか、良い匂いがしてくる。

 街は夕飯の支度をしていた。

 トリノのお腹がぐーと鳴る。



「……」



 ほっぺが吊り上がる。

 ひくひくと苦い顔になった。


 しかし、無問題。トリノはポジティブなままだ。なぜなら知識があったから。世の中には「こども110番のいえ」というのがある。困った子供たちのための緊急避難所的な、素敵なお店だ。それがこの街にもあるはずだ。


 トリノはピーポ君のシールを目印に、街を散策し、こども110番のいえを見つけることができた。その素敵なお店に貼ってあったのは、アンパンマンのシールだったし、妙に子供が入りづらい風貌のタバコ屋さんだったが、トリノは臆することなく店に入った。



「……ごめんくださーい」



 外面はトリノも見たことがある紙巻タバコが並んでいたのだが、店内に入るとキューバから輸入されてきた葉巻タバコが、宝石のように保管されていた。ガラストップのヒュミドールが棚に並べられて、ダイヤモンドよりも丁重に扱われた葉巻たちが、綺麗に揃っている様子は、洞窟のように薄暗い店内も相まって、中世ヨーロッパ貴族の秘密部屋のような雰囲気だった。



 旅の終着点には相応しい。

 そんなことを思いながら、トリノは何がでてくるかとワクワクしていた。

 店内を奥に進むと、机の上に、黒いランドセルが置いてあった。

 普段、学校でも見るようなモノが置いてあってがっかりする。

 現実に引き戻されたような感覚になったのだ。


 カサカサと紙が擦れる音が鳴っている。

 作業机に向かって背中を丸めている白髪のおじいが、トリノを一瞥して、また手元に目線を戻す。


 無視されたのだろうか。

 トリノは困って、口を開く。



「あの……」



 ガコンと大きな音が鳴って、作業机が揺れた。


 トリノはビックリして、固まってしまった。白髪のおじいは黙々と作業をしているから、しばらく、シーンとした空気が流れる。


 そして、その声は唐突だった。



「いらっしゃいませ」



 天使のような声だった。



「え」



 トリノは耳を疑った。


 おじいは口を開いただろうか。それ以上に、その声はまるで老練された男性の喉から発せられたとは思えない、かわいらしい高音で、洞窟のような店内に、囚われてしまった天使のように、囁くような、そんな声だった。


 誰かが机の下に隠れているのだろうか。


 そんなトリノの予想は正解。

 きっと天使が隠れているのだ。


 不正解。

 隠れているのはどちらかというと悪魔の方。



「ん、お客さん初めてかな」



 トリノが言葉を紡げないでいると、悪魔は天使の声で尋ねる。



「年齢だけ確認してもいいかな?」


「……11歳です」


「その年で美味しく吸えるかな?」


「あ、違います。タバコを買いに来たいんじゃなくて、迷子で……」


「あ、迷子」



 声は合点がいった様子だ。



「あれ、こういう場合どうすればいいの。おじいちゃん? ……あ、タクシーか。うん。じゃあ、あの、なんか、こども110番タクシー? っていうのがあるらしくて、あ、でも迷子で使っていいのかな……。まあいっか。使えるものは使おう。ということで、タクシーがくるからそれに乗って帰ってね」



 トリノはこくんと頷いた。

 そして、気づいたことが一つ。



「……ねえ、りりちゃんだよね?」



 こういうのって気づいても言わない方がいいのだけど。

 りりは机の下から手だけを出して、サムズアップをした。



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