第2話
数年で急速に知名度を上げた日本発祥のロックバンド『バブルガムフェロー』は、半年間の海外ツアーの最後に日本のロックフェスを選択した。彼らの楽曲は評価され、しかしサブスク文化やタイアップを積極的に肯定するような姿はロックとはかけ離れていると批評され、そしてその最後は紛れもなくロックだと言われるような悲劇的な伝説を残して解散することになる。
「久しぶり」
みさきは男に声をかけた。店に着くと男は先にバーのカウンターに座って、タバコの灰を皿に落としていた。声に反応して振り返る男の顔の懐かしさにみさきは笑った。男も同じことを思ったのだろう、気まずそうな顔でやっぱり笑った。
男はりりおだった。つまりは僕だった。
「変わってない」
「変わったよ。たかしに身長は越されたかな」
みさきはりりおの隣に座り、お酒を注文する。
その横顔はずいぶんと大人の魅力にあふれていた。でも、年齢で言えば、お酒を飲めるようになったばかりの頃だったはずだ。
「べつに中学の途中からたかしの方が高かっただろ」
「やぼね。みんな変わったわ。変わってないのは君だけ」
「僕は変わらないよ」
「変わった方がいい。何か一つを極めるんじゃなくて、色んなことを経験した方がいい」
その言葉を聞いてやっぱりみさきも変わってないじゃないかと思ったが、またやぼだと言われるからその思いは酒と一緒に飲み込んだ。
「それなら僕はどう変わるべき?」
「何事も反対のことを考えるの」
「ふーん。じゃあ、ギターならベースかな」
「そうだね。男の子なら、女の子」
クマノミかよ。
みさきはカウンターに置かれたお酒を一口飲んだ。どうやらアルコールにはそれほど強くはないようで、目をギュッとしぼめた後、カッと熱くなる顔を綺麗な手で扇いで、それから小さく口を開いた。
「たかしと結婚することになった」
「そう」
「結婚式には来てくれる? 演奏してよ」
僕は小さく頷いた。
何かを歓迎するかのように、雨が激しく振っていた。テントの外で座っていた僕の口に、咥えられたタバコの先端に、雨粒が落ちた。ジュワっと煙が昇り、火が消える。消えたその火は何の火だ。僕は立ち上がった。
「いくよ」
テントの中を歩いた。濡れていたけど、どうでもよかった。ガタガタと椅子が鳴り、僕の後ろをメンバーが追う。リーダーってわけじゃないけど、みんな情けないおっさんだから、若い僕が引っ張ってあげないといけない。
階段を進み、脇からステージに上がる。冷ややかな雨が、風に乗ってステージに落ちる。落ちる雨に逆らいながら手を挙げるファンを見ると、ドロッとした興奮に身体が包まれ、僕が左手を挙げると、雨を弾き飛ばす轟音が響き、会場を囲っていた木々を揺らしたが、それに満足することはしない。
ステージに置かれていた白と黒のストラトキャスターを手に取った。
「雨のリズムと、鼓動のテンポが混じるな」
ボーカルの男が、ギターを肩にかけながら、マイクに声を漏らす。彼の集中は自分に酔うことだった。シラフなら恥ずかしいやたらとポエミーな言葉が口から出たら、彼の場合は絶好調。
それに、この場にシラけたやつはいない。
楽器よりも先に、歓声が鳴った。ドラムがスネアを叩くと、表面に溜まっていた雨が弾ける。
マイクパフォーマンスをしながら踵でステージを叩く。言葉に詰まると横顔を見せる。僕と目が合う。言いたいことが見つかって正面を向く。それを繰り返していくと、だんだんドラムと合わさって、呼吸が一体となり、息を吸う音で、客が息を呑む。全ての音が一瞬止まり、雨が止み、やがて土砂降りになった。
「バブルガムフェロー」
その掛け声で演奏が始まった。
バブルガムフェローのメンバーは四人。構成はギターボーカル、ベース、ギター、ドラムだ。ツアーにはサポートメンバーとして、ストリングスやキーボードも参加していたが、正規メンバーは四人。三人はもうおじさんの年齢で、僕だけが若い。
大人に混じってタバコが吸えないのが悔しくて、僕は代わりにガムを噛んだ。大人たちが煙を吐くのと同時に、僕もガムに息を吹き込んで、唇の上で風船にした。二十歳になって、初めてタバコを吸ったとき、情けなく咳き込んでしまったが、そのくらいの頃から自分のギターが極まっている感覚があった。
そして今日の演奏で、確信した。
僕のギターは極まっている。
これ以上はない。
会場に流れている異常なまでの興奮。傑作している音楽性。その場にいた全員が熱狂する音楽の中、僕のタバコの火を雨が消した。その火は、僕の心の熱でもあった。
「なんか、違うな」
その感覚が、トリガーだった。
記憶をさかのぼるような感覚になっていた。
ギターを極めるだけ。色んなことをしていないから、それも短く、薄く、早い。
白と黒のストラトキャスタ―。
わらしべ長者が逆走して、ある一つの地点に辿り着く。
風船ガム。
そこは実家の楽器屋さんで、一人の若い男がいた。
目の前に。
その男は銃を構えていた。
すでに引き金は引かれていた。
音楽にかき消された数回の銃声と共に、視界が白く飛ぶ。
膝から崩れて、うなだれ、白くモヤがかかった視界に鮮やかに流れた赤が光る。
地面とキスしたギターには弾痕が刻まれていた。
僕は死んだ。
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