Episode3*日常は裏返り非日常へと

 ◆«アメリカ・ニューヨーク»◆


 かつての美景は、無慈悲にも崩れ落ちていた。

 人々を明るく照らしてきた光は、異界樹という黒い世界に飲み込まれてしまった。

 大地から伸びる幻想的な樹が、大都市であった頃の姿を大きく変えた。

 そこは最早、遠い過去の美しい花々が咲き誇る自然へと還っていた。


 世界を飲み込むと思わせる程巨大で、心が飲まれそうな程に神秘的で美しい樹。

 けれどその姿とは裏腹に、彼らのもたらす影響はとても残酷なものであった。

 時折現れる黒い穴。そこから這い出てくる、この世の存在とは思えない異形達。

 それらは無作為に人々を遅い、世界を壊そうとしている。


 相手の目的も分からない中、人類は徹底抗戦をとる。多く組織が各地に力を貸し、最悪の事態は免れていた。

 それでも、多くの被害は避けられない。避けられない疲弊と障害の中、救いの手を伸ばしたのは、戦場を目にした事も無い民衆たち。

 彼らが差し伸べた手によって、戦況は人類へと大きく傾いた。


 そしてとうとう、各国組織合同の元、ニューヨークにそびえ立つアメリカ最大の異界樹の破壊作戦が決まった。

 けれど、希望という眩しすぎる光には、果てしなく暗い絶望の影が着いてくる。



 ◆«ニューヨーク・異界樹周辺»◆


 崩壊した大都市、倒壊した多くのビル、その上に、小さな人影が揺れる。

 辛うじて倒れずいるビルの屋上に、和傘をさして、和服に身を包んだ男が立っている。

 生暖かく吹く強い風の中、髪と服をなびかせながら眼前に広がる樹を見つめていた。


「これは想定よりも酷い有様だね」


 20代半ばのような若々しく感じる姿をした男の声は、その姿に似つかわしくない渋さを含んでいる。

 彼は優しい目を鋭く変えて、樹を指すように睨む。


「それにしても随分と大きい。私の棺の中に入れば良いのだが」


 異界樹の根元が赤黒く染まり始める。それは人の口のように広がり始める。更にそこから何十の腕が伸び始める。触手のように伸びる腕が、樹へと絡まり掴むと、口に引き摺り混むようにして引っ張り始める。

 樹は悲鳴を挙げながら、身体にヒビが入り根が折れ始める。

 そして、幻想的な樹はどこまで続くとも分からない闇の中へと沈み始める。


「それにしても不思議なものだね。果たしてこの樹は何処から、なんのために現れたのだろうね」


「ふむ。それは私も気になるな」


 彼の背中から少し離れた位置から、女の鋭い声が酷い雑音をすり抜けて耳へと届く。

 声の主である女の方へと向く。そこには、黒い軍部と外套をその身に纏った、背の高い女が佇んでいる。

 女はゆっくり足を進めて、男の隣へと立つ。


「暇潰しで樹の様子を見に来てみれば、貴様のような奴が居るとは思わなかったぞ」


「君は確か軍部会の…総帥?だった気がするのだが、暇潰しで来るような場所ではないと思うのだが?第一君たちは忙しいだろう?」


「そうでも無いさ。私たちはアメリカに本拠地が在るだけでアメリカ所属の軍では無い。単なる傭兵みたいなものだ」


 軍部会はアメリカの戦力として有名だが、彼女の言葉の通り本部がアメリカにあると言うだけで、国直下の戦力ではない。

 彼女の率いる軍部会は阿良來間アラキマの営む“なんでも屋”のように、依頼やそれに比例する報酬によって動く。


「それで。貴様はどう思う?」


「どう思うと言われたところで答えようがないが、そうだね…私の考えでは無いが、ボスが言うには世界の転換期との事らしい」


「貴様のボスが、か。そう言えばそうだったな。貴様らのボスは、阿良來間だったな」


 先程まで鋭く聞こえていた彼女の声が、低く重いものへと変わった。

 彼女の言う通り、彼は阿良來間の営むなんでも屋のひとりだ。そして、彼女は幾度となく阿良來間に煮え湯を飲まされている。

 関係が最悪とまでは行かずとも、彼女自身は一発殴りたいと思っている。


「そう怒らないで欲しいものだ」


 ゴロゴロと腹に響く雷の重たい音が轟くと、空が暗く染まり始める。空に佇む黒い雲から、冷たい雨が少しづつ落ちてくる。次第に雨は強くなり、騒音を立て始めた。


「傘を持っていて良かった。濡れずに済む」


「私はびしょ濡れだがな…最近多いな、雨が。これも前兆とやらか?」


「世界が終わるとすれば間違――」


 彼の言葉は最後まで繋がれること無く途切れ、ビルの屋上から落下する。


「酷いことをする…」


 足を滑らせた訳でも、対異形制圧基地からの攻撃でもなく、隣にいた彼女の軽く押すような蹴りで落とされた。

 なんて事の無い、誇張でも何でもなく単に押しただけ。


「全く。どういう原理なのかな?」


 彼がいたのは八百mを超える高層ビルの屋上。幾ら異能保持者が丈夫であろうとも、その高さから落ちれば無傷という訳にはいかない。

 彼は直ぐに傘を降りたみ、落下するならビルの壁面にその傘を突き刺すと、ガリガリと壁を大きく削りながら速度が落ちた所で割れた硝子ガラスをの向こうへと転がるようにして飛び込んだ。


「ふぅ。危ない危ない…これは仕事かい?軍部会総帥、ディアエラ」


 小さな光だけが差し込む暗闇の中、カツカツと甲高い足音を立てながら、ディアエラと呼ばれた彼女は姿を現した。

 その表情は恐ろしい程に、冷たく小さな笑顔をしていた。


「いいや。私情だ」


「なるほど。なんでも屋の規則として、依頼または妨害と敵対行為をしていない者に対しては手を出しては行けないのだが、それに触れた場合戦闘行為を許可されているんだ」


「知っている。だから攻撃したのだろうが」


「本当に、君たちは面倒臭い」


「当然だろう?私たちは戦争屋だぞ、伊斃イベ


 ディアエラは腰にかけた長剣ロングソードに手をかけ、薙ぎ払うようにして一気に刃を抜く。

 伊斃はそれに対して、武器とも思えない傘を手に構える。


「今の時代こんな物を使うのは、異能社会ならではだね」


「私は好きだぞ?こっちの方が生きている気がする」


 刹那、雨が、雷が、音が、時が止まる。

 ダンッ!と駆け出す音が彼女から響く、次の瞬間、ヂリヂリと火花を散らしながら金属と金属の擦れ合う摩擦音がビル内部にこだまする。

 伊斃は自身の右下から襲いかかってきた刃を傘で流すようにして左上へと弾く。

 本の僅か体勢を崩した時、瞬きをするよりも早く前蹴りを彼女の鳩尾へとぶち込んだ。

 威力は上々、ミシミシと嫌な音を立てディアエラは後ろへと吹き飛ぶ。


 そのまま転がった勢いで立ち上がり、視線を伊斃へと戻すがそこに姿はない。

 そして探すよりも先に床を壊し手が現れた自身の足首を馬鹿げた握力で掴まれる。振りほどこうと剣を振るうが先に引っ張られ床を突き破り下の階の床に勢い良く叩き付けられる。


「ッ!」


 ビル内に置かれた机を壊し床にヒビを入れるほどの威力で叩き付けられた所為で酷い埃と土煙が舞い上がり視界が微かにぼやける。

 急いで起き上がろうとした瞬間、顔面に目掛けて傘の先端が射殺す速度で迫り来るがそれを異能で防ぐ。

 耳を劈く嫌な音を奏でながら、傘の先端と剣の刃が競り合い続ける。あと少しずれれば死ぬという直前に、伊斃の傘を弾き返して流れるように蹴り飛ばすと、後ろに飛んで体勢を立て直す。


「ぷッ…口に砂が入った。最悪だ」


 ディアエラは今この少しの間で受けたダメージを気にする素振りは無く、口に入った砂を吐き出した。

 全くダメージが入っていない訳では無いが、それでも彼女の頑丈さは度を超えている。


「ふぅ。私はもう疲れたのだが、もうやめにしないかい?」


「断る。こんな楽しい事をなぜ止める理由など――」


 突然、大地を揺るがす轟音とともに、ビル全体にヒビが入る。それによってディアエラの言葉は掻き消えた。

 何事かと思い二人は窓際へと駆け外を見る。

 そして、二人は大きく目を見開いく。


「これはまずい事になった」


「世界の終わりそのものだな」



 ◆«日本»◆


 伊斃とディアエラ両名が出会っていた頃、既に世界は大きく動き始めていた。

 ここ日本でもその災禍は起きていた。

 燃え盛る都市、何も出来ずに死んでいく人々、どうにかしようと動く人々、それすらも幼稚な事と蔑むようにして、災禍は襲い続ける。


『皆様っ!見えますでしょうか!?東京が!いえ!日本全土が大きく割れ始めていますッ!皆さん今すぐ避難をッ――!』


 とても危険な状況の中、人々がこの惨状を把握する為に、報道者達はヘリに乗り情報を発信し続けた。

 けれど突然の爆発と共に、燃え盛る炎の中墜落していく。


 日常は簡単に壊れる。ふとした瞬間に、作るよりもずっと簡単に消えてしまう。


 繁栄は美しい者であると同時に、とても脆い。だからこそ人類は苦しみの中生き抜く術を得ることが出来た。

 それでも、限界はある。



「始まった始まった。んじゃまぁ馬鹿共の迎えに行くとすっかね」



 ◆«中国»◆


 走り回る民衆。爆発する車。倒壊していく建物。騒然とする人々。


「助けてくれ!」「誰か!誰か手を貸してくれ!娘が!」「嫌だ!死にたくない!」「こっちだ!まだ助かるぞ!」

「なんだよ!何がおきてんだよ!」「大丈夫だ!逃げれば助かる!」「いやぁあッ!足が足がぁあッ」「パパァア!ママァア!」「終わりだ!世界の終わりだ!」

「地獄に落ちたくねぇよッ!」「死にたくなきゃ逃げろぉおおッ!」「何でこんなことになるだよ!」「ふざけるなぁあッ!俺はまだッ!」「生きたい!死にたくない!助けてッ!」


 まるで、現世うつしよに地獄が這い出て来たかと思うほどの惨状が広がる。

 業火が命を燃やす、大地が命を飲み込む、逃げ場のない世界に変わり始める。



「おうおう酷いものじゃ。さっさと帰らねば死にかねんな」



 ◆«カナダ»◆


 予言は当たらない。異能社会になっても、それが変わることは無かった。

 未来を見る者、星読みをする者、カードを使う者、様々な者達が、近内に世界が滅ぶと叫んでいた。

 だが誰一人として、それに耳を傾けるものはいなかった。


「首相!今すぐ避難をしましょう!」


「わかっている!直ぐに!出来るだけ多くの人を救うんだ!各国にも連絡をしろッ!」


 世界は飲まれ始める。恐怖と混乱による、際限なく襲い来る悪夢によって、一歩づつ大きな災禍が迫り続ける。



「休暇が台無しだな」



 ◆«アメリカ»◆


 小国、大国。どれ程の武力と国土を誇ろうっていても、世界の力に抗う事は出来ない。

 単なる力では不可能な、そんな理不尽な世界に生まれてしまった彼ら彼女らは、諦めるのか、諦めないのか――


「女神様。どうなさいますか?」


「そうですねぇ〜。信者の方々はみな集まっていますか?」


「滞りなく」


「では後は放って起きましょう。彼らは滅ぶべきして生まれた哀れな人形たち。私たちはただ、彼らを見守るだけです」


 世界を救おうとする者が居る。友だけを守ろうとする者が居る。我が子を守ろうとする者が居る。

 何もせずただ傍観し、終わりを見て楽しむ者も居る。



「…始まったか…もう疲れずに、済みそうだ……」



 ◆«ニューヨーク»◆


 選ぶのは世界か、神か、人類か、それとも選ぶもの居らず、ただ物語のまま幕を下ろすのか。


「私の異能であれば君は助かるがどうする?」


「そうだな…これでは部下は死んだだろう。不服だが貴様の世話になる」


 生きるものは何故生きようとするのか、死にたくないから、怖いから、孤独ひとりになるから、それらから逃げる為に人々は生きようと藻掻く。



 ◆«???»◆


 可哀想だと思うものはいるだろうか?そう思う者はきっと居ない。可哀想だと思うのなら、最初からこうはならないようにした。


「以前、儂に言ったな。世界の行く末に期待をしてみろと」


 どこまでも続く草原、終わりの見えない星の空。


「これから滅びゆく世界に、何を期待する?」


 老人の言葉に、幼い少女は優しい笑みを浮かべて、空を見つめる。


「それでも私は、この世界に期待する。いいかい?モノガタリはひとつじゃないんだ。まだ、終わらないよ」


 喜びの溢れる世界、

 悲しみの溢れる世界、

 苦しみの溢れる世界、

 絶望の溢れる世界、

 希望の溢れる世界、

 光で満ち溢れる世界。


 たとえどの結末になろうとも、それは人類が足掻いた大きなモノガタリ。

 消えることの無い、実在したモノガタリだ。


「君の観た本と、私の観た本、どっちの結末になるのかをさ!あ、でも…私たちの知らない結末になるかもね」





 ―――――――

 無情にも多くの命を奪い、暴走を続ける世界。

 波のように押し寄せて来る恐怖と絶望。

 逃げ場の無い中、さらなる最悪が、音も無く訪れる。


 次回『その先の世界の為に』

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