Episode2*世界は頁をめくる

 ◆«日本国首都東京ニホンコクシュトトウキョウ第三区画ダイサンクカク»◆


 箱庭消滅事件から二ヶ月が経過した。

 豪雨と嵐が包む未来都市東京。六つに縮小され分けられた区画のひとつ、第三区画“黒庵街コクアンガイ”。

 世界中に異能犯罪がひしめく昨今、辛うじて平和を維持している日本において、犯罪予備軍の跋扈ばっこする数少ない壁に覆われた区画。


 世界的に見ても危険視されている黒庵街だが、その中で暮らす危険人物たちさえ近づこうとしない、暗い路地裏。

 そこにはひとつの、何処まで続くか分からない地下への階段があった。

 その深い闇の中に、一人の男が進んでいく。


 筋肉のついた細身の身体に、それなりに高いと感じさせる背丈をしている。


「あー暇だ。雨やべぇし客こねぇし…立地悪すぎか?」


 頭を掻きながらぼやく姿が、暗闇へと降りていく。

 ヨレヨレのシャツに黒いズボンでサンダルという、だらしない格好にも関わらず、異質さが浮き出ていた。


「あ?手紙?」


 扉の前に設置されたポストの中には、一通の手紙が入っていた。彼はその手紙を雑に破り開ける。


『依頼:脱走した特一の確保、又は殺害を願う』


 そこに書かれていたのは、二ヶ月前に箱庭から脱走した“特一”に関する依頼。


「…」


 報酬は破格のものになるであろうその依頼書を、男は躊躇無く破りさいた。

 依頼書という物が来ているのは、彼が“なんでも屋”を営んでいるからだ。

 当然後暗い依頼なども舞い込んでくる。

 だが幾らなんでも屋であろうとも、彼がめんどくさい、理不尽だと感じたものは受けない。


「どうせどっかの馬鹿だろ。運び屋のやつに聞くかね」


 彼の営むなんでも屋は、世間的には殆ど知られていない。知っている人間はそれなりの立場か、裏の住人のどちらかだ。

 場所は知っていても、自ら依頼書を手に持ちやって来る者は少ない。

 大抵は“運び屋”と呼ばれる男が投函とうかんしている。

 此処は荒れたルールの無い場所。当然自分で来るよりも、誰かに任せた方が安全だ。


「あーあー腹が減っ――」


「どうも」


「…」


 扉に手をかける寸前、気配もなく背後から女の声が聞こえた。

 後ろを振り向くと、そこには一人の女が佇んでがいた。真白の髪に白とオレンジで整えられた服を着ている。

 その身成りからは到底この様な汚れた路地裏などに来るような人間には見えない。

 だが彼女の姿を見た途端に、男の顔は嫌悪のものに変わった。


「はぁぁぁ…なんの用だよ?め・が・み・さ・ま」


 その言葉に彼女は、穏やかな笑顔を浮かべる。だがそこには静かな怒りのようなものが混じって見えた。


「んだよ?殺しにでも来たのか?それとも殺されにでも来たのか?」


「相変わらず物騒で口が悪いですね。変わろうとは思わないのですか?」


「あーあー嫌だ嫌だ。さも自分は変わりましたよってその面、売女がするもんじゃねぇぞ?」


「…」


 雨の音すらかき消す、そんな氷のように冷えきった静寂が暗闇を呑み込む。

 静かな睨み合いの中、階段を降りる足音が響き鳴る。


「私共の女神様が申し訳ございません」


 一触即発の重苦しい空気の中、姿を現したのは修道士の着る服に似た衣装を纏う女。

 目立つのは、その両目を隠すようにして巻かれた、金に輝く太陽の刻印がされた黒い目隠し。


「なにお前?こいつの使徒か何かか?」


「申し訳ありませんが、私めは一介の信者に過ぎません」


「…一介の信者がなに殺気振り撒いてんだ。侮辱されたご主人様を守ろうってか?可愛らしい犬でございますねそりゃ」


 ただでさえ最悪な状況においても、彼は躊躇うどころか寧ろ積極的とでも思えるようにして、火に油を注ぐ。

 それでも目隠しをかけた彼女が怒り狂う素振りは無いようで、ただ変わらぬ笑みで男を見つめる。


「そうです。私共は女神様を崇める信者にして忠実なる仔犬に御座います。ですので思う存分、噛みつきますよ」


 その言葉に、男はより一層面倒くさそうな顔をした。

 世の中こういった人間が一番厄介だ。自身の命を他者へと捧げ盾にでも鉾にでもなるような、死んでも死にきらない雰囲気をかもし出している。

 目隠しで隠れて見えない筈の瞳が、気持ち悪く歪んだものだと分かってしまう程に、その女は異色を放っていた。


「…いいぜ話は聞いてやる。だからそこのクソ共帰らせろ。俺の嫌いなタイプだ」


「致し方ないですね。皆さんは本国に帰還してください。扉は目につかない場所で開くように」


「かしこまりました。それでは私共仔犬は一足先に失礼いたします」


 最後の最後まで気に食わない言葉を吐き垂らしながら、目隠し女と辺りに潜んでいた者たち・・は姿を消した。


 そして男は扉を開けて店の中へと女を入れる。店内には色んな品が置かれていた。

 それなりに広い店の真ん中に、机と椅子が置かれている。

 そこに女が座ると、男はジュースの入ったペットボトルを投げ渡す。


「そんで?何の用だ?」


「二ヶ月前に現れた樹、みなが異界樹と呼ぶ樹が世界各地に出現したのはご存知ですね?」


「そりゃな。北海道にアホほどでけぇのが一本あっからな。日本は全部で二十本だが三十本だろ?」


「ええ。特に北海道とニューヨークと北京は壊滅状態です」


 現在、世界各地に突如として出現した異界樹と呼ばれる巨大な樹。

 その大きさは最低でも千mはある。

 北海道、ニューヨーク、北京に出現した樹はいずれも七千mを超えている。

 だが問題となっているのは大きさでは無く、時折現れる黒い穴から這い出てくる異形たち。

 当然穴が大きければその量も現れる異形の大きさも変わってくる。

 今は対処し切れる程度で済んでいるが、これが何時まで持つかは分からない。

 北海道に限っては巨大な異形が跋扈していて、最早手の施しようがなくなってきている。


「なら燃やすか消すかしろよ」


「やりましたよそんなの。ですがどうもダメなようで」


「そりゃ大変だ。あ、そんならあの脱走した奴にやらせろよ。誘導すりゃ上手くいくだろ。名前なんだっけか?」


「はぁ。彼が我々に手をかすとお思いで?」


「…そんな目で見ても俺は貸さねぇぞ」


 男が大方予想していた通り、女は面倒な話をもちかけてきた。巫山戯たように涙をにじませた瞳で男を見つめる。

 残念な事に男はお人好しでもなければ偽善者でもない。そんな事をされても手を貸す素振りは魅せない。


「あのな?俺は英雄譚に出てくれ英雄でも世界救う勇者でも胸熱マンガの主人公でもないの。なんなら世界の敵だろ敵。いっぺん滅べこんな世界」


「そんなこと言わないでくださいよ。現状私を崇める協会でも、米国アメリカを守る軍部会でも、日本の八咫烏機関でも、あの樹を破壊する事はできません」


 多くの狂信的な信者を持ち、彼女をこの世界の女神として崇めている協会。

 米国アメリカを拠点としている武力組織、軍部会。

 日本の守護者とされる少数精鋭の組織、八咫烏機関。

 各々の組織のリーダーは、間違いなくこの危機的状況を打開する力を持っている。

 それをしないのは、単に彼ら彼女らが世界に対して執着がなく、無くても生きていけると思っているからだ。


「しゃァねーな…そうだな。獅子波シシバ


「はい?」


 突然名前のを挙げたことに、女は何事かと首を傾げる。だが男はそれを気にする素振りなく続ける。


伊斃イベ、フレミー、劉胤リュウイン、フレック、ダミ、ここら辺だな」


「なんですか?いきなり。一級犯罪者と賞金稼ぎじゃないですか」


「獅子波の能力は“渡り人ワタリビト”。伊斃は“パンドラ”。フレミーは“パンデミック”。こいつらは犯罪者だが腕が経つ。獅子波はもしかしたら樹を引っこ抜けるかもしれねぇ。少なくとも大軍相手にゃ負ける事はねぇ。伊斃も大量のバケモン出せんだから戦力には困んねぇ。フレミーは一発で殺せっか状態異常にできんだから言うまでもねぇだろ」


 今挙げた三人の犯罪者はいずれも一級犯罪者、その中でも飛び抜けた危険性と実力を持ったもの達だ。

 特に獅子波は八咫烏を第一として、他組織が全面協力のもと追うような存在だ。伊斃、フレミーも同様各組織から追われている。

 そこを除けば確かに現状を打開する人間としてはうってつけと言える。


「劉胤だって役に立つ異能だったろ。フレックがばらす系でダミがなんか結構いい感じのやつ」


「ですがその方々は自由奔放です。て言うか殆ど貴方の部下じゃないですかッ!そもそも何処にいるですかその人達!」


 女は苛立ちを見せながらジュースを一気飲みしてからになったペットボトルを机にダンッ!と叩きつけた。


「おいお前ほんとに女神かよ」


「女神ですが?私の能力はそういうの向いてないんですよ」


「使えねぇ。いいか?劉胤は今ハワイでアロハ〜してやがる。ダミは俺の紹介だって言えば動く。フレックはドイツに旅行中だ」


「お気楽過ぎません?世界滅ぶかもしれないって時になんでそんな優良人物が犯罪者か狂人なんですか?貴方も私と同じ・・・・・・・“特一”なんですから手を貸してくれませんか?阿良來間アラキマ


 阿良來間薪人アラキママキト、それがこの男の名前だ。

 世界に五人だけの“特定異物的存在第一”のひとり。

 阿良來間の目の前に座る彼女も同様に、女神と崇められながらも特一のひとりである。

 信者達には女神様と呼ばれているが、世間一般ではミカエラ・ウル・ミカエルと名前が通っている。


「お前の異能は確か表上は豊穣だったか?」


「嫌な言い方ですね。生命いのちを操り世界を豊かにすることが出来るのですよ?素晴らしいでしょう?その気になれば病気も怪我も治せるんです。死から蘇らすことだって」


「逆も出来んだろ。なんでやらねぇ」


「…私、命を奪うのは嫌いなんです。それがたとえ、世界を脅かす存在であっても」


 笑えてしまう程の矛盾。世界を救いたいと口にしておきながら、自分自身で救う気は微塵みじんも感じられない。

 その気になれば世界中に現れた樹を殺す事も出来ると分かっていながらそうしないのは、世界の命運よりも自身の感情を優先するのが前提となっているからだ。


「気持ちのわりぃ奴だな。そこだけは変わらねぇか。ある意味俺らと同種だな」


「酷いですねなんだか。私と貴方達は違いますよ。私は護ります。可愛い可愛い信者たちを絶対に護ります」


「…」


 何処までも女神的行動を取ろうとする彼女は、十字に輝く金色の瞳孔を真っ直ぐに、阿良來間を見つめる。

 正直なところ、『本当に女神ならさっさと世界救えよ』というのが阿良來間の心情ではあるが、こんな世界が救われた所で面白味も未来も何も無いことを知っている。


「せめて一回リセットした方がいいと思わねぇか?ちっとばかし増えすぎたぜ、人間も異能力者も組織も、そろそろ改める時期だろ」


「はぁ。もうこの際はっきり言いますが、信者にさえ手を出さなければ傍観して下さってて構いません。今回ここに来たのだって、世間に私がいかに素晴らしい女神かを知らしめるためですから」


「…さいですか。用はそれだけか?終わったんならさっさと帰れ」


「悲しいですねぇ折角古い友人が逢いに来たというのに、この塩対応…本当に変わりませんね。貴方は。まぁいいです。次会うときは世界が滅んじゃったりしてるかもですが、また何時か」


 言葉を終えると、ミカエラは椅子から立ち上がり扉へと足を進める。阿良來間はヒラヒラと手を振りながらもう来るなよと言うばかりに嫌な顔をする。

 そのままミカエラは扉を開けてでるかと思えば、立ち止まりスっと振り返り口を開いた。


「最後に聞きたいのですが、世界をリセットしてどうするんですか?そこまで人間を減らして、何をしたいんですか?」


「なぁんも考えてねぇよ。こんな世界で難しいこと考えたって意味がねぇだろ」


「…なるほど。楽しみにしてますよ、あなたの思い描く世界になるのを」


 そうして今度こそ、ミカエラは雨の降る嵐の中に姿を消した。彼女の居なくなった店内では、阿良來間がただ椅子に座り、雨の落ちる音だけが大きく聞こえた。




 2324年、虫の鳴き空が涙を零す夏。

 ページは暖かな風に煽られるようにして、めくられ始める。

 決められた物語ストーリー

 決められた登場人物キャラクター

 決められた結末エンディング

 これに抗う者、従う者、傍観する者。


 彼ら彼女らの生きる世界が果たして、

 幸せな終わりハッピーエンドを迎えるのか、

 最悪な終わりバットエンドを迎えるのか、

 決められた終わりトゥルーエンドを迎えるのか。

 それは神様にも、人類にも分からない。本だけが、真の結末を知っている。





 ―――――――

 壊れ始める世界。

 繁栄を期した人類は、とうとう終わりへの道を歩き始める。

 彼らは壊れゆく世界に、どう抗うのか。


 次回『日常は裏返り非日常へと』

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