第34話 竜の眠る谷

 それは悲しい物語だった。


 フィオナは、ゴツゴツした乾いた岩が続く、深い谷底を、ただ1人歩いて進んでいた。

 今のフィオナは、カフタンでもなく、ドレスでもなく、まるで男の子のような、麻のチュニックにパンツ、革のブーツを履いて、さらにポケットがいくつも付いた、革のベストを着込んでいた。


 肩からは、ザハラが用意してくれた、簡単な食料の入った麻のショルダーバックと、水筒を掛けている。


 フィオナは歌を口ずさむ。


 後宮を出る前に、ザハラが歌って聞かせてくれた、アルワーンの古い歌である。

 それは、1人の姫君と1頭の竜の物語だった。


 フィオナは1度聞けば、歌の歌詞も、メロディーも覚えてしまう。

 今も、何の苦もなく、ザハラから聞いた歌を再現することができた。


 * * *


 精霊の国からやって来た古竜は、人間の国で、1人の美しい、不遇の姫君と出会う。

 自然を愛する彼女は、古竜と心を通わせる。

 しかし、姫君の元には、追っ手が迫る。

 古竜は彼女を助けるために、不本意ながら人間と戦うが、そうしているうちに、精霊女王から伝えられていた、精霊国へ帰る期限を過ぎてしまう。


 精霊国に戻るための扉は、閉まってしまった。

 人間界に取り残された古竜は、姫君と共に過ごし、彼女が寿命を迎えた時、自分も長い眠りにつくことを決めたのだった。


 古竜が眠りについた谷は、竜の眠る谷と呼ばれている。

 今では人が訪れることもないが、精霊国から来た古竜は、今でも、その谷で眠っているーー。


 * * *


 フィオナは岩から岩へ、軽々と飛び移った。

 まるで何かに憑かれているかのように、フィオナは自分が向かうべき方向がわかっていた。


 そうだ、フィオナには、わかるのだ。

 この先に、竜が眠っている。

 アルディオンと同じ、精霊国の気配が漂ってくる。


 最後に、大きな岩を越えると、視界が広がった。

 谷底の中央には、岩が積み上がってできた丘が見えた。


「古の竜よ」


 フィオナは丘を見据えると、静かに呼びかけた。

 谷の中で、フィオナの声がこだまする。


「我が祈りに応えたまえ。我が名は、フィオナ」


 その瞬間、大地が揺れた。


(……姫君……?)

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