舞台上の探偵
「ゆっくりでいいよ、ゆっくりで」と呑気に鼻歌を歌いながら、私の隣の椅子に座る京香ちゃん。何かと距離が近い。
テーブルに広げられた劇の衣装をじっと見ていた亜希ちゃんが「ねえ」と声を出した。
「ずっと気になってたんだけどさ、この藍ちゃんの衣装ってもしかして......」
彼女が手に持ったのは、濃いグレーのインバネスコートとチェック柄の帽子。
「あはは、そう、シャーロック・ホームズだよ。あとで教えてあげようと思ってたけど、さすがに気づいちゃうか」
京香ちゃんはそう言って椅子から立ち、テーブルの上に置かれた衣装をあさる。
「明里が着てる黒いコートとこのシルクハットがワトソンの衣装なの」
掲げて見せたのは黒いシルクハット。
確かに、明里ちゃんが着ていたコートと合いそうだ。
「ホームズとワトソンの衣装は全部手作りなんだよ!」
「ええっ!?」
私たちは衣装に近寄り顔を寄せ、その精巧なつくりにしばらく感嘆し興奮する。
「……じゃあ、今練習してるのがシャーロック・ホームズの劇ってことだよね?」
「うん」
「へえー……」
嬉しそうな顔の亜希ちゃん。
探偵部として、一気に演劇部への親近感が増したのは私も同じだ。
「探偵ものの劇の練習をしている最中にこんな事件が起きたんだね」と言うと、京香ちゃんは「そうなの!」と大笑いした。
確かにこの面白い状況、彼女がずっと楽しそうなのも理解できる。
「ってことでさ、劇で使うやつだから丁寧に扱ってね。特にホームズとワトソンの衣装。少しでも汚すとうちの顧問すっごく怒るから」
そう言われ、亜希ちゃんは勝手にかぶっていたホームズの帽子を脱いで丁重にテーブルの上に置く。その様子にも京香ちゃんは、あははっと笑う。
ドアがガチャリと開き、他の三人の演劇部も入ってきた。
「そのワトソンのシルクハット、めちゃくちゃかっこいいっしょ?」と自慢げな明里ちゃん。どうやら、私たちの会話が外にも聞こえていたようだ。
「ほんとはコートと一緒に合わせて校内を歩きたいんだけどさー、まだそこまでの勇気はないんだよねえ、あははっ」
「こいつ、自分の衣装が気に入りすぎて休憩中もずっと着てるんだ。汚れるから使うとき以外は着るなって顧問からさんざん言われてんのに」
呆れた顔で清美ちゃんが言うが、「別にいいじゃーん」と軽い返事だ。
「そういえば、その衣装でマカロンを食べたんじゃないだろうな?」
「えー、食べたよ? でも、ちゃんと注意してるから大丈夫だって」
「はあ、そういう慢心が危ないんだよ。もし汚したら部長の私だって怒られるんだからな……」
清美ちゃんがため息をつきながら頭を抑える。
「ねえねえ、良ければでいいんだけどさ……ちょっと見せてくれないかな、劇」
亜希ちゃんが手を合わせながらお願いする。依頼とは関係なく、ただ純粋にホームズの劇が見たいらしい。
「いいよ! じゃあ通し練習ついでに見てもらおうかな。感想とかも欲しいし」
「ええっ、ちょっと京香ちゃん……!」
すんなり了承する京香ちゃんの服の袖を藍ちゃんが引っ張る。
「なにー? 藍、恥ずかしいの?」
「んん、そういうわけじゃ……」
顔を赤らめて下を向く藍ちゃん。京香ちゃんは彼女を抱き寄せ、「大丈夫、大丈夫」と子供にやるように言い聞かせる。
「じゃあ準備するから、ステージがいい感じに見える場所で待っといて!」
そう言って、演劇部は衣装や小道具を持って舞台袖に消えていった。
私たちは言われた通り、ステージから数メートル離れた場所に部屋から持ち出した椅子を並べて座る。
藍ちゃんの気の弱い感じと小柄な体が何かに似ているなと思っていた。記憶を巡らせていると、以前姫乃ちゃんに触らせてもらったウサギたちに行き当たり、これだと納得する。年下ながらに失礼かもしれないが、小動物的な可愛さというやつだろう。
自己紹介のときから思っていたが、人前に出ることが極度に苦手そうな彼女はどういう成り行きで演劇部に入ったのだろうか。亜希ちゃんのお願いにより、急遽劇を披露させることになったのも彼女の心情を思うと申し訳なさを感じる。
しかし、いざ劇が始まると、私のその心配は容易く裏切られることとなった。
開演早々、藍ちゃんはさっきまでのおどおどしていた様子からは似ても似つかない、まさに役に取りつかれたような演技を見せ、私たちの度肝を抜かせた。私は勝手に心配してしまったことを心の中で謝る。一方で他の部員も見事な演技で、セリフの言い方や細かい仕草など、ところどころに上手いなあと感心させられた。
劇の内容としては、街の花屋で起きた窃盗事件をホームズとワトソンが調査し、犯人を推理するというものだった。コメディ色が強めで、ホームズの藍ちゃんとワトソンの明里ちゃんの息の合わないやり取りに脇役の京香ちゃんと清美ちゃんがツッコみ、時には一緒にボケる。そのたびに私と亜希ちゃんは大笑いし、姫乃ちゃんは上品に笑った。
劇が終わり、舞台袖から息を切らしながら出てきた演劇部を私たちは拍手をしながら出迎える。
「めっちゃ面白かった! みんな名演技だったよ!」
そう言う亜希ちゃんに続けて、私と姫乃ちゃんも賞賛の言葉をかける。
「あはは、よかった」
京香ちゃんたちはやり切った様子で笑いあう。
しばらくの間、私たちはその場で腰をおろし、劇の内容や感想を話し合った。
劇についての話し合いがひと段落したところで、亜希ちゃんが一つ質問をする。
「ねえねえ、そういえば京香ちゃんと清美ちゃんの衣装も手作りなの?」
亜希ちゃんの疑問に、清美ちゃんが答える。
「いや、予算の都合上、私たちのは手作りじゃない。家にあった私服を持ってきてるんだ。犯人役をしてる京香なんかは犯人が男だから弟から服を借りてるしな」
「そうなの、ちょっとぶかぶか!」
指先まで隠してなお余って垂れている袖の先を彼女はプラプラと揺らして見せた。
ぶかぶかだからこそ、いい感じに役中の犯人っぽいだらしなさが出ていると思う。
「照明とか音響も自分たちでやっているのね」
姫乃ちゃんが言うと、京香ちゃんが「そうなの!」とまた笑う。
どうやら、出番の待機中の人が舞台袖で簡単な照明や音響をやっているそうだ。かなりのカツカツ具合に驚く。
「だから次の文化祭で成功させて、なんとか新入部員を増やさないとなんだよね」
京香ちゃんの言葉に他の演劇部員も真剣な顔でうんうんと頷いた。
背水の陣ゆえのやる気を感じる。
とはいえ、今の劇を見るにきっと大丈夫だろうなと素人ながらに思った。私も探偵部に入っておらず、もう少し人前に出る勇気があれば、すぐに演劇部の門を叩いただろう。それくらいに魅了される劇だった。
「舞台袖を見せてもらってもいいかしら」
「お、姫乃ちゃんそういうのに興味ある? もちろんいいよ! じゃあ私たち着替えないとだから、案内は明里がお願い。どうせまだ着てたいでしょ」
そう言って京香ちゃんらは明里ちゃんにあとを任せ、休憩室に入っていった。
姫乃ちゃんが舞台袖を見たがるのは興味などではなく、今回の依頼の件で何か気になることがあったに違いない。亜希ちゃんもわかっているだろう、私と顔を見合わせ、楽しげに微笑む。
「うーし、じゃあついてきてー」
探偵部はワトソンの衣装を着たままの明里ちゃんに案内され、舞台袖の中に入った。
中は薄暗く、足元が見えづらい。
「これが音響で、こっちが照明ね。うちらも簡単な操作しかわかんないから、下手にいじらないでねー」
音響の操作盤は机の上に置かれてあり、照明の操作盤は壁に取り付けてあった。どちらもたくさんのスイッチや調整レバーがついており、無知な人が勝手に触っていいものではないことがわかる。
満足するまで見ていろというように、明里ちゃんはステージに繋がる階段にどっしりと腰を掛けた。
姫乃ちゃんはというと、操作盤を一瞥した後、下を見ながらゆっくりと歩き始める。何かを探しているようだ。
舞台袖の中をゆっくりと一周した彼女は音響の操作盤が置かれた机の前で立ち止まり、屈んで机の下を見る。
「……姫乃ちゃん、何かわかったの?」
期待を込めた声で、私は囁いた。
床をじっと見つめる彼女は、少し間をおいてから話す。
「……もし私が犯人だったら、最後のマカロンを休憩室で食べたくないわ。だって、いつ人が部屋に入ってくるかわからないし、それを気にしながら食べないといけないなんて、ちゃんと味わえない。本末転倒よ」
下を向いたまま、「ねえ明里さん、舞台袖の電気はつけてもいいのかしら?」と続けて言う。
明里ちゃんは「えっ、ああ、ごめん。うちらいつもこの暗さでやってるから忘れてたわ」と立ち上がり、電気をつけた。
舞台袖の中に蛍光灯の明かりが灯る。
「……やっぱり。ほら、見て」
促され、私と亜希ちゃんもしゃがんで机の下を見る。
床に散らばった何かの屑。
目を凝らし、その正体を確信する。
「これって……」
「ええ、マカロンの食べかす、ね」
少し考えてから、姫乃ちゃんは明里ちゃんにもう一度服装検査をお願いした。彼女は若干不服そうにしながらも、それを受け入れる。
検査をし終えると、何か納得したように頷いた姫乃ちゃんは、探偵部を集めて微笑んだ。
「犯人がわかったわ」
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