恋の味


 彼女は立ったまま、言葉の意味を理解できずきょとんとしてる私に体を向ける。


「ラブレターをクラス中にばらしたり、変な嘘をついてカマをかけたり……。探偵部に推理させたのも、みみ子さんの反応を見たいと思ったからよ。でも、少し度が過ぎていたわよね。傷つけてしまったなら、ごめんなさい」


 桜木さんはそう言って、頭を下げた。


「そんな、まったく気にしてないから……!」


 私は慌てて立ち上がり、頭を上げるように言う。自分のラブレターをクラスにさらされ、ダメージが無いかと言われれば嘘になるが、桜木さんへの恨みなどは全くなかった。全て私が原因だし、第一、彼女に何をされても許してしまうだろう。それだけ桜木さんに酔っているのだ。


「……こんなことをされて、嫌いになったかしら?」


 桜木さんは静かに頭を上げながら私を見る。


「全然! 好きなままです!」


 つい勢いで出してしまった言葉に恥ずかしくなり、私はさっと目を伏せる。

 好きだという気持ちはさんざん手紙では伝えていたが、口頭では初めてだ。

 「ありがとう」と言う声に目線を戻すと、桜木さんが安心したように微笑んでくれていた。


「あっ、でも、本当に気持ちを伝えたかっただけで……つ、付き合うとか、そういうのは気にしなくて大丈夫! 毎日ケーキを渡してるのも、桜木さんに少しでも喜んでもらえるようにっていうだけのことだから……!」


「そうなの……なら、亜希さんが言っていた『推しに貢ぐファン』っていうのは合っていたのね」


 私は大げさに頷く。

 頷きながら、胸が痛いのを我慢する。

 付き合うのは恐れ多いというか、身をわきまえているというか、私が女なのを抜きにしても桜木さんにふさわしいとは思えなかった。だから諦めている。


「……私、これまでにラブレターをもらったことってたくさんあるのね」


 ふいに、桜木さんが話し始める。


「中には差出人が不明のものもいくつかあったわ。でも、それが誰から送られてきたのかなんて、気にしたことがなかった。……ねえ、みみ子さん、どうして私は今回に限って差出人を見つけようとしたと思う?」


「え……うーん……」


 見つめられ、私はたじろぐ。

 見当もつかなかった。

 桜木さんは私の回答を待たず、正解を言った。


「面白い人だと思ったからよ。みみ子さんは理解できないかもしれないけれど、人のロッカーに毎日ラブレターとケーキを入れるなんて、下手をすると嫌がらせとも受け止められかねないことよ。だから、もし本当に私のことが好きでこんなことをしているのなら、あまりにも不器用で面白い人だと思ったわ」


「はは……」


 褒められているのか貶されているのかわからなくなり、私は微妙な笑みを浮かべる。


「……それに、初めてだったわ、ここまで熱心な人は。毎日欠かさずに手紙を書いてくれるなんて、どれだけ私のことを好いてくれているんだろう、と。……私も、もしかしたら惚れてたのかもしれないわね」


 そう言って、桜木さんは優しい顔を私に向ける。


「ありがとう。みみ子さんからのラブレター、嬉しかったわ」


 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥に押し込んでいた感情が隆起してくる。ずっと諦めていた好きという気持ちが、嫌われないかという不安が、一方通行だったラブレターが、その一言で救われた気がした。私の思いは、桜木さんに届いていたのだ。

 私は頭を下げ、溢れ出てきた涙を手で拭う。


「……泣いてるの?」


 桜木さんが心配して声をかけてくれるが、この涙の止め方を私は知らない。一度ひもが切れ、決壊した感情の波は行き着くところまで流れていく。


「……うぐっ……ず、ずきですっ、本気で、好きですっ。……桜木さんの、ぜんぶが、好きですっ。……ひぐっ……本当は、付き合いたいとか……考えてますっ……!」


 言い切った。

 何も恐れはない。今はただ、自分の素直な気持ちを吐き出したかった。


 


「……なら、付き合ってみる?」


 その言葉に、顔を上げる。

 桜木さんは優しい顔で微笑みながら、私を見つめていた。


 「……いいの?」


 「ええ。……でも私、恋人らしいことをするのは苦手なの。だから、おそらくみみ子さんの期待しているお付き合いはできないと思うけれど、それでもいいのなら……」


「全然いいです! ぜひ、お願いします……!」


 たとえ、普通の恋の形ではなくても桜木さんにとって少しでも特別な存在になれたら、どれだけ嬉しいだろう。

 充分だ。

 私には身に余るほどの幸せだ。


「今日の分のラブレター、頂いていいかしら」


 桜木さんに言われ、感極まりすぎている私はハッとする。少し照れながら、渡し損ねていたラブレターをカバンから取り出し桜木さんに手渡した。ついでにクーラーボックスから今日の分のチョコケーキも取り出し、それを机の上に置く。


「チョコケーキもどうぞ」


「……チョコケーキはみみ子さんが食べて頂戴」


「えっ! 遠慮しなくていいよ、桜木さんが食べて!」


 強く勧める私に、桜木さんは少し考えるような表情を見せた後、口を開く。


「……みみ子さん、私が差出人を見つけようとしたのには、もう一つ理由があるの」


「え?」


「申し訳ないけれど、チョコケーキ、いらないわ。毎日はちょっと無理よ」


 桜木さんが苦笑する。

 そこで私はようやく気付いた。

 いくら好きなものでも、毎日貰うのは迷惑だということに。

 私のやっていたことは曲がった好意の押し付けに過ぎず、やはりエゴだったということだ。

 今思うと、「オムライスが毎日無料で家に届くサービス」という桜木さんらしからぬ話題の真意はここにあったのだ。好きなものは届くだけ嬉しいだろうと考えていた私のなんと浅はかなことか。


「あはっ、あははは、そっか、そうだよね」


 吹き出して、笑う。

 桜木さんへの申し訳なさを感じつつ、自分の愚かさに心底呆れつつ、可笑しかった。

 こんなに下手くそな恋愛をしていたことが。そして、結果として成功していることが、面白くてたまらなかった。

 もしかすると、私は桜木さん以上に面白い人間で、案外桜木さんの恋人には適役なのではないか。そんなことを恐れ多くも思った。


 私の笑い声に、桜木さんの口を開けない上品な笑い声が重なる。


 夕陽が差し込む教室。

 ラベンダーの香り。

 甘くて、少しだけ苦いチョコケーキが口の中で溶けた。

 









 









 

 







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