チョコケーキ姫の真相

 


「わ……」


 私じゃない、と言おうとして口を開くが最初の文字から声がつっかえる。挙動不審すぎると思い、なんとか心を落ち着かせようとするが動悸が止まらない。


「……大丈夫?」


 そんな私を見て桜木さんが声をかける。そして、まだあるかしらと言いながら机の上の水筒を傾け、わずかに残っていた紅茶をコップに注ぎ切る。


「飲んで」


 桜木さんは落ち着いた声で言うと、私の前にそれを差し出す。

 間接キスになるのではないかと思ったが、せっかくの桜木さんの善意を無碍にはできず、そもそも断る気力もなかったので結局手を伸ばす。


 コップを両手で丁寧に持ち、恐る恐るゆっくりと口に流し込む。外気温と同じくらいの生暖かい紅茶。今の私に味がわかるはずもない。

 空になったコップを口から下ろし、目を瞑って何度か深呼吸をする。


「落ち着いたかしら」


 目を開くと、穏やかに笑う桜木さんが映った。

 そこにいるのは、クラスのみんなが思っているような冷淡で孤高のお姫様などではない。ただとびきり可愛くて人情味のある女の子だった。

 きっと彼女なら許してくれる。その優しさに甘えるように、逃げるように、自白する。


「……本当にごめんなさい、ぜんぶ私です」


 力ないその声を聞き、桜木さんは首を傾げる。


「どうして謝るのよ。悪いことをした訳でもないのに」


 本気で疑問に思っている様子だった。その言葉に私は幾分か救われた気持ちになる。

 同性からの恋愛感情を気持ち悪く思うのではないかと、ずっと不安だった。そんな後ろめたさを感じ自分を卑下する私と比べ、桜木さんはずっと出来た人間なのだろう。


「……なんでわかったの?」


 私は桜木さんが真相に至った理由を訊く。

 自分の行動を振り返っても、バレるような失態を犯した覚えはない。亜希ちゃんが犯人を推理しているときもバレはしないだろうと高をくくり、内心はさほど焦っていなかった。


「ふふ、名探偵のような綺麗な推理じゃないわよ。……そうね、まずこのラブレターだけど」


 桜木さんは校庭から吹くラベンダーの匂いを嗜むように軽く息を吸った後、推理を話し始める。


「亜希さんはラブレターが手書きじゃない理由を、差出人が字体から特定されないようにするためだと推理していたわね。でも、仮に差出人がどれだけ字を書くのが下手であっても、ちゃんと丁寧に書けば、ある程度の字の下手さや癖はごまかせるはずよ。そのうえで誰の字体かを特定するのってとっても難しいことじゃないかしら。だから、もっと別の目的があると思ったわ。……例えば、差出人が女の子だったら」


 桜木さんは私を見つめる。もうばれているというのに、なぜかドキリとしてしまう。


「これはあくまで一般的な認識というか、偏見といっても差し支えないと思うのだけれど、男子よりも女子の方が、綺麗な字や丸っこい文字を書く人が多いという印象があるわよね。だから、個人を特定できなくても、なんとなくで男子の文字か女子の文字かを判別できる感覚を持っている人は多い。まあ、その感覚の真偽は置いておいて、問題はその先入観が存在するということ」


 桜木さんは机の上に置いてあるラブレターに指を置き、文章をなでるようにゆっくりと横に動かしていく。


「みみ子さんはきっと、典型的な『女子の文字』だったんでしょう。同性からのラブレターだと知られるのは抵抗があるし、万が一流出したときそういった噂が立ってしまうのは嫌だとか、きっとそんな理由で文章を電子媒体で打ち込み、『文字の性別』を消した……。字が綺麗な人がわざと下手な字を書くのは大変でしょうし、そもそも好きな人に対してそんなラブレターを送りたくないわよね」


 桜木さんは撫でていた指を止め、文章の一部分を指差す。


「そう考えると、この『僕』っていう一人称もわざとらしく思えたわ。……どうかしら、あくまで根拠のない私の推察だけれど」


 桜木さんの推理を聞きながら、私はまた顔を赤らめていた。


「すごい、ほとんど合ってる……」


 私の感服する様子を気にも留めず、桜木さんは真剣な顔で首をかしげる。きっと、満点でなかったことの解説を求めているのだろう。そう察し、私は言葉を続けた。


「一つ加えるなら、『女子の文字』を消した理由……。これは、同性からラブレターが届いたら、きっと気持ち悪がられると思ったから。ラブレターもケーキも受け取ってもらえないんじゃないかって。自分の好きっていう気持ちが否定されるのが怖かったから……」


 恥ずかしいような情けないような感情で説明する。

 そんな私とは対照的に、桜木さんはクスクスと珍しく声を出して笑った。何がそんなにおかしかったのだろうと、私は不思議そうに彼女を見る。


「本当に心配するべきは性別云々の話じゃなくて、好きな人のロッカーにケーキを入れるなんていう奇行を受け入れてもらえるかどうかでしょう? 私、最初は困ったわよ、食べるかどうか」


 そう言って、桜木さんはまだ笑い続ける。確かに、自分でもこんな形で愛を伝えるのは少し変だろうかとも思っていた。しかし、性別云々を凌駕するほどの奇行だったかと言われると、そうも思えなかった。

 もしかすると、私の中に押さえ込まれていた同性愛のコンプレックスが知らぬ間に増大し、価値観を歪めていたのかもしれないと思い、少し恐怖する。


 笑い収まった桜木さんはまた推理の続きを話し始めた。


「まあ、今の推理は女子も犯人の候補に入れたというだけの話ね。本推理はここからよ。まず、ケーキをどこで冷やしていたかという謎。亜希さんが言っていたように理科準備室や調理室には冷蔵庫があるけれど、授業で使うものなのだから当然自由には使えないわ。そんなのを使うよりも、もっと簡単に冷やせる方法があるわよね」


 桜木さんは私のカバンに目線を向ける。


「その大きなカバン、クーラーボックスが入ってるんでしょう?」


 この推理も正解だった。

 私はパンパンに詰まったカバンのファスナーを開け、小型のクーラーボックスを取り出す。


「クラスの中で毎日クーラーボックスを持ってきている人は私が見る限りではいなかったわ。でも、いつもみみ子さんのカバンが膨らんでるから、ピンと来たの。これが理由で犯人の第一候補になったわ。……その中に今日の分のケーキも入ってるんでしょう?」


 桜木さんに言われ、私は頷く。その通り、このクーラーボックスの中には今日渡す予定だったチョコケーキが入っている。


「でも、それだけが理由で犯人と断定したわけじゃないわ。順を追って説明するわね。まず、今日のお昼、私はわざと教室にラブレターを落としたの」


「え、わざとだったの?」


「そうよ、風間君がラブレターの文章を読んでいる間、クラスメイトの反応を窺っていたわ。そしたら、みみ子さんだけわかりやすく動揺していたから……」


 また桜木さんがクスクスと笑い始めた。私も昼のことを思い出し、苦笑いをする。彼女の言う通り、自分が書いたラブレターを教室内で大公開された私は、動揺のあまり箸でつまんでいたミートボールを落としたのだ。


「その反応から、候補をみみ子さんに絞り、犯人だと確証できる根拠を集めることにしたわ。そのためにまず、みみ子さんを小屋の掃除に付き合わせたの」


「あっ、そうか……」


「ふふ、気づいたかしら。そう、ロッカーの中にケーキがあるかどうかを確認するためよ」


 つまり、私を拘束したうえでロッカーの中にケーキが入っていなければ、ほぼ確実に私が犯人だと判断できるということだ。そう考えると、ほいほいと桜木さんに着いて行ったのは、犯人としてあまりに大きなしくじりだったのではないかと思えてくる。


「みみ子さんを拘束した今日だけロッカーの中にケーキが入っていなかったというのが大きな根拠ね。そして、もう一つ。みみ子さんは普通ならするべき質問を二つしていないわ」


「するべき質問?」


「そう。小屋の掃除を終えて教室に戻ってきたタイミングでするべき質問があるわ。一つは、『今日はケーキを食べないのか』という質問。みみ子さんは私が毎日ケーキを食べているのを知っているのだから、今日だけケーキを食べないことに疑問を持たないのはおかしいわ。そしてもう一つ、『ストーカーとラブレターは関係があるのか』という質問。これも、ストーカーの話をした時点で普通なら昼間のラブレターの件とつなげて考えてしまうはずよ。まあ、気を使って話題に出さないようにしていたということも考えられるけれど、普通ならするわよ、この二つの質問は」


 私はその論に納得して、感嘆のため息をつく。

 確かにそうだ。その二つは自分がケーキとラブレターを送っている本人であるがゆえに考えつかなかった質問だ。


「ストーカーの話は、探りを入れるためだったんだね……」


「そう」


 推理はこれで終わり、と言って桜木さんはおもむろに立ち上がると開けた窓の淵に手をかけ、外を眺める。彼女の艶やかな長い髪が夕風にたなびく。奥底の見えない宝石のような瞳で、外の景色の何を見ているのだろう。


 本当は、やはり迷惑していたんじゃないかと思う。告白するわけでもなく、ただただ私の自己満足につき合わせていたのだから。時間が経ち、冷静になるにつれ自責の念が強くなっていく。

 もう一度ちゃんと謝ろう、と立ち上がろうとしたときだった。


「最低よね」


 桜木さんは少し沈んだ声でそう言った。

 




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