交代制の質問
教室に戻った私と桜木さんは、昨日と同じように窓際中央の席で向き合うようにして座った。二人以外誰もいない教室に、開けた窓から涼しい風が流れ込む。
「悪いわね。もう少しだけ付き合ってもらえるかしら」
私はグーにした拳を膝の上に置きながら、コクリと頷く。ストーカーがいるかもしれないという状況ならば離れるわけにはいかない。きっと、亜希ちゃんに文句を言わせないほどの大義名分にもなるはずだ。
そう考える私の前で、桜木さんは昨日と同じように水筒を取り出し、蓋の中に紅茶を注ぎ始める。その行動に思わず口をはさんだ。
「……あとは何の用があるの?」
「特に何もないわよ」
そう言われ、私は苦笑いを浮かべた。用がないのなら早く帰るべきだと心の中でツッコみを入れる。でないと、ただ無意味に私を拘束しているだけじゃないか。
しかし、口には出さない。なぜなら、私としては全く嫌ではなく、むしろ桜木さんと一緒にいられることが嬉しいからだ。
「昨日みたいに少しお話ししましょう」
「うん……」
宝石のように綺麗な茶色の瞳が私をとらえる。
「みみ子さんの一番好きな食べ物を教えて」
「ええと、なんだろう。……オムライスかな」
「じゃあ、もしもね、オムライスが毎日無料で家に届くサービスがあったとしたら、どうする?」
「えへへ、なにそれ」
桜木さんには似合わずの子供らしい話の内容に、私は自然と頬が緩んでしまう。
「絶対使うよ、そのサービス。デメリットがないし」
「……毎日必ず届くのよ?」
「うん?」
「毎日食べるの?」
「食べる」
「……そう」
私の答えに納得がいっていないのか、桜木さんは目を見つめたまま首を傾げ、フーンと息を漏らす。
何か変なことを言っただろうか。緊張で体が縮こまる。
「じゃあ、今度はみみ子さんが質問する番よ」
そう言って桜木さんは紅茶を口に運ぶ。
彼女にとっての「お話し」とは交代制で質問を投げ合うものなのだろうか。疑問に思いながらも、訊きたいことがないわけでもなかったのでそのシステムに乗ることにした。
「ウサギ小屋の掃除をしてるってことは、桜木さんは動物が好きなの?」
「そうね、好きよ」
まあ、そりゃそうだろうなと思った。普通、好きでもなければ自主的に小屋の掃除なんてやらない。
「でも、一番好きなのはヒトね」
「え」
思わず桜木さんの顔を見た。彼女は静かに紅茶の水面を見つめている。
どういう意味の「ヒトが好き」なのだろう。私が深掘りをするか迷っている間に、桜木さんはまた口を開く。
「だって、面白いじゃない。一人ひとりが違った価値観や思想、正義を持って生きているのよ。こんなに面白い生き物はないと思うけれど」
私は安堵に似た息をつく。単純に人間自体に魅力があるという話だった。「好き」という単語に引っ張られ、変に想像を膨らませた自分が恥ずかしい。
しかし、何気ない動物の話題に「ヒト」を入れ込んでくる桜木さんも悪い気がする。そんな彼女こそ、面白いとされる人間の代表だろうに。
そう思いながら適当な相槌を打っていると、教室のドアが開く音がした。
「ああっ! みみ子いた!」
亜希ちゃんだった。部室に来ない私を探していたのだろう。眉をひそめ、いかにも不機嫌そうな顔でこちらに近づいてくる。
「部活に来ないで何してたの? 姫乃ちゃんも一緒にいるじゃん」
「ごめんね、これには訳があって、ストーカーが……」
詰められる前に事の説明をしようとすると、桜木さんから「みみ子さん」と遮られた。振り向いた私の顔を見ながら、彼女はフッと笑って言う。
「それ、嘘よ」
驚きの声が漏れた。
「……どういうこと?」
「その話は全部冗談。だから忘れて頂戴」
「冗談って……」
訳がわからなかった。ただの冗談でストーカーの話をしたのだろうか。であれば桜木さんのセンスは難解すぎだ。
しかし、困惑と同時に納得もできた。
考えてみれば、ストーカーに対して全く深刻そうにしていなかったあの様子も当然だったのだ。本当に私は彼女に弄ばれただけなのかもしれない。
「もー、どういうこと? 結局なんで部活に来なかったのよ」
そう言いながら、当然亜希ちゃんも訳が分からないと言った様子で、不満そうに私の隣に座る。
桜木さんは亜希ちゃんの方を向き、また少し微笑んだ。
「ごめんなさい、私が無理を言ってみみ子さんに付き合ってもらってたの。だから彼女は悪くないわ。どうか責めないであげて」
「……まあ、別に怒ってないけど」
桜木さんにじっと見つめられ、亜希ちゃんは負けたという感じで顔をそらす。
とりあえず、亜希ちゃんが納得してくれたようで助かった。
「あ、そういえば聞いたよ、ラブレターの件!」
亜希ちゃんはさっきと打って変わって、興奮した様子で机に身を乗り出す。
どうやら、昼の出来事がもう他クラスにまで知れ渡ったようだ。ここまで噂が広まってしまうのも、恋愛とは無縁そうな孤高の花を極めていた桜木さんだからだろう。
「姫乃ちゃんにラブレターを送るなんて、一体誰なんだろうなー」
亜希ちゃんは楽しげな顔で桜木さんの顔をじとーっと見つめる。
「ねえ、ここだけの話としてさ、こっそり教えてよ」
「亜希ちゃん……!」
私は前に乗り出している彼女の腕を後ろに引っ張り、踏み込みすぎだと諫めようとする。
桜木さんはこの亜希ちゃんの無礼に全く嫌な顔をせず、涼しい顔で紅茶を揺らしながら口を開く。
「差出人の名前がどこにも書かれてないの、そのラブレター。だから私も相手が誰だかわからないわ」
「え、そうなの?」
亜希ちゃんは驚いた顔をした後、体を後ろに引き、ふむと息を漏らしながら腕を組む。私が見るに、つまらないといった反応ではなく、一層好奇心をくすぐられる話題に変わったという感じだった。
そして、桜木さんの次の言葉は、亜希ちゃんにとってはさぞ嬉しいものだっただろう。
「そういえば、あなたたち探偵部よね。よかったらラブレターの差出人を推理してもらえるかしら」
その提案に当然亜希ちゃんは目を光らせ、「もちろん!」と承諾した。
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