ラブレター事件と頼み事

 

 チョコケーキ姫こと桜木さんの実態を調査した翌日、私のクラスで事件が起きた。

 始まりは、昼休憩の時間にクラスのお調子者である風間かざま君が発した一言だった。


「おい、教卓の下になんか落ちてたぞ!」


 教室内の全員が昼食を食べる手を止め、彼の方を見る。風間君が手に持っていたのは水色の洋封筒だった。引かれるように、一部の男子が風間くんの周りにわらわらと集まる。


「手紙?」


「誰の? 名前書いてないじゃん」


「ラブレターじゃね。中見てみよーぜ」


 などと、悪い好奇心に取り憑かれた男子がたちが煽る。特に糊付けなどがされていないのか、風間君は難なく封筒を開け、中から二つ折りの便箋を取り出した。中身がちゃんとあったことに男子たちは歓声をあげる。


「あれ、これ手書きじゃないじゃん、パソコンで入力した文字だ」


「なんて書いてある?」


 顔を寄せ合う男子たちに「やめなよ」と何人かの女子が咎めるが、実情、彼女たちも手紙の内容が気になるのか本気で阻止しようとする感じではなかった。


「じゃあ、読みまーす」


 風間君はそう言って、ついに中身を読み出した。


————————————


『最近暑くなってきましたね。今日なんかはまさに夏って感じで、僕はヘトヘトでした(笑)

 こんな日に体育で持久走をするのは本当にきつかったです。貴方が爽やかに走っているところを見て、さすがだなと思いました。

 今日も、あいもかわらず貴方が好きです。また明日も暑くなるそうなので、熱中症など体に気をつけてお過ごしください。

 P.S.今日のケーキはいつもと違うお店で買いました。口に合わなかったらごめんなさい』


————————————


 読み終えると、クラスの中で笑いと歓声、そして困惑の声が入り混じった。


「書き手男じゃん!」


「あはは、何この妙に固い文章」


「一応ラブレターではあるのか……」


「ケーキってなに?」


「名前書かれてないな。まじで誰のだろ」


 盛り上がっている教室の端の席で、私は箸でつまんでいたミートボールを床に落としてしまい、独り静かに机の下を覗いて拾う。クラスに友達のいない私は当然蚊帳の外である。


 拾い上げたミートボールをティッシュにくるんでゴミ箱に捨てたタイミングで、風間君が「わかった!」とでかい声をあげた。


「これ、差出人は字が下手なやつだ! 手書きじゃないのは汚い字を見せるのが恥ずかしいからだろ!」


 その推理に一部のクラスメイトは納得した様子で笑う。


「じゃあお前だろ」


「ちげーよ。字は汚いけどさぁ」


 などとクラスの中で差出人を推測する会話が多くなる。


 その時、窓際の席の桜木さんが、ガタンっと椅子を引いて立ち上がった。そして、風間君らのいる教卓の前までスタスタと歩く。クラスの喧騒は収まっていないが、多くの目線は彼女に向いていた。


「それ、私が貰ったものよ。返して」


 そう言って、桜木さんは風間君の持っていたラブレターをひょいっと奪い取った。彼女の発言に、教室内は一瞬にして静まり返る。そんな空気など意に介さず、桜木さんはそのまま颯爽と自分の席に戻った。

 唖然としたクラスメイト達の顔は同時にこらえきれない好奇に満ちており、近くの友達同士でひそひそと何かを話している。

 

 ただでさえ陰でチョコケーキ姫という名がつけられているのに、さらに変な噂が広まってしまうのではないか。

 興奮状態の教室内の空気を感じながら、私は桜木さんを心配する気持ちでいっぱいだった。




 桜木さんが声をかけてきたのは、帰りのホームルームが終わってすぐのことだった。


「みみ子さん、ちょっといいかしら」


「桜木さん……! な、なんでしょう」


 クラス内で声をかけられたのは初めてかもしれない。しかし、昼の出来事もあって、桜木さんを相手にするのは一層緊張してしまう。


「今から時間あるかしら? 少し付き合ってもらいたいの」


「ええと、今からは部活があって……」


「あなたにしか頼めないことなの」


 そう言って真っすぐに私の目を見てくるので、慌てて目線を下によける。


「う、うん。わかった」


 そこまで言われては私は頷くしかなかった。

 亜希ちゃんの怒った顔を想像し、後でちゃんと謝ろうと心に決めておく。



 着いてきてとだけ言われ、案内された場所はウサギ小屋だった。私たちの学校では校舎裏で四羽のウサギを飼っている。白いのが二羽と茶色いのが二羽。

 桜木さんはポケットから鍵を取り出し、ウサギ小屋の扉を開ける。入るように促され、一緒に動物臭のする小屋に足を踏み入れた。ウサギたちは大して警戒してないのか、私の足の近くで飛び跳ねたり糞を出したりしている。


「小屋の掃除、手伝ってもらえるかしら」


「う、うん」


 昨日、桜木さんが放課後にウサギ小屋の掃除をしていると言っていたことを思い出す。

 掃除を手伝ってほしいというのが頼みごとだったのか。どんな要件を言われるのだろうと深く構えていたので、肩透かしを食らった気分だ。


「水、替えてくるわね。そこにある箒で適当に掃いといてもらえるかしら」


 そう言って、彼女はバケツを持って一旦小屋を出た。私は言われた通り、そこら中に転がるコロコロとした丸い糞を、踏まないように注意しつつ箒で小屋の隅の方に集める。その間、ウサギが足元をぴょこぴょこと行ったり来たりしていた。

 触りたい欲求にかられた私は驚かさないようゆっくりとしゃがみ、ウサギに手を伸ばす。しかし、こちらから近づくのは受け付けないようで小屋の隅の方へ逃げてしまった。


「触りたい?」


 振り返ると、バケツに水を汲んだ桜木さんがうっすらと笑みを浮かべて立っていた。


「う、うん」


 見られていたのかと恥ずかしくなり、少しくぐもった声が出た。

 桜木さんは水替えを済ませた後、小屋の中にある木箱の蓋を開ける。そこから両手でひとつかみできる分の乾いた草を取り出し、餌箱の中に入れた。

 小屋の中に散らばっていたウサギたちが我先にと寄ってきて草を食べ始める。


「今なら触れるわよ」


 そう言われ、私はさっきと同じ動作で近くのウサギに手を伸ばす。想像よりも柔らかい毛並みが指に触れた。たまらず、そのままの勢いで背中を撫でる。


「触れた……!」


 そう喜ぶ私の横で、桜木さんもしゃがみ込む。


「私ね、ストーカーされてるの」


 私のウサギを撫でる手が止まった。

 ぽかんと口をあけながら桜木さんを見る。


「えっと、なんて……」


「ストーカーよ。誰かは知らないけど、最近つけられてるのよね」


「ストーカーって……」


 なぜ唐突にそんな話をしてきたのか。

 なぜそんな事案を軽々とした口調で話せるのか。

 ストーカーについてよりも先に、桜木さんの見えない心情が私を困惑させた。


「今日つきあってもらったのはそれが理由よ。まあ、ボディーガードってところかしら」


 なるほど、そんなに重い要件だったのか。

 それにしてもこれほど頼りないボディガードは他にはいないだろうと思ったが、確かにこんな頼みごとができるのは私くらいしかいないのかもしれない。

 桜木さんはその美貌と凛とした気品ある言動が故に、人を寄せ付けない。そのため、クラスの中では私と同じく一人ぼっちであり、ある意味私以上に浮いている存在だ。だから、昨日少し話しただけの人間でも頼らざるを得ないのかもしれない。

 私は周囲を見渡し、人の気配を探る。


「だ、大丈夫なの? 先生とかに相談した方が……」


「大丈夫よ、そんなに心配しなくても」


 桜木さんはそう言って、残りの小屋の掃除を済ませる。

 しかし彼女はなんの根拠があってこんなにも平然としているのだろう。もし本当に大したことがないのなら、私を連れてきた意味もないように感じてしまう。


「じゃあ、教室に戻りましょうか」


 矛盾を感じながらも指摘はせず、桜木さんに言われるがまま後をついて行く。







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