チョコケーキ姫へ突撃
放課後の静かな教室前廊下。
そこに、息を潜むように数人の男子生徒がドアのガラス窓から1組の教室の中を覗いている。
「何やってんの?」
亜希ちゃんが声をかけると男子たちはうわっと声を上げ、「べ、別に」と決まりが悪そうに去っていった。
「噂を聞いてチョコケーキ姫を見に来たんだろうね」
亜希ちゃんは馬鹿にしたようにフンっと鼻で笑うと、さきほどの男子たちと同じようにガラス窓に顔を近づけ、中の様子を伺う。
「お、やっぱりいるいる。本当にケーキ食べてるじゃん。っていうか、めちゃくちゃ可愛いんだけど! さすが姫と名のつくだけはあるわね……」
教室の中まで声が聞こえてるんじゃないかと心配しつつ、興奮気味の亜希ちゃんに愛想笑いをする。
「じゃ、じゃあ、見れたことだし帰ろっか」
「何言ってんの、お話ししないと来た意味ないじゃん!」
見るだけで満足するかもしれないという私の淡い期待を裏切り、ドアの取っ手に指がかけられる。
そして、すっかりヒートアップした探偵魂の勢いをそのままに、ドアが開けられた。
窓際の中央の席。
噂通り、机の上にチョコレートケーキを置いた孤高の姫がそこにいた。
綺麗な黒髪も白い肌も、茜色の空に溶け込むようにほんのりと赤みがかっている。見ている情景がすべて彼女のために用意されたものであるかと思うほど、美しく存在感があった。
勢いよく教室に入ってきた私たちに、彼女は一瞬目線を向けるだけだった。そして、特に気にする様子もなく、上品に目を閉じながらケーキの乗ったフォークを口に運ぶ。
入学式で見た時からずっと変わらない。
「桜木姫乃」は見とれるほどに美しい人間だった。
私が見入っている間に亜希ちゃんは桜木さんの席の前まで行き、机に手を置く。
「こんにちは、探偵部の鷲羽亜希です! あなたがチョコケーキ姫ね」
「ちょ、亜希ちゃん……」
相手が誰であろうと躊躇なく話しかける精神はすごいが、本人に直接チョコケーキ姫と言うのはどうかと思う。
桜木さんは口の中に入れたチョコケーキを慌てることなく咀嚼し飲み込んでから、ゆっくりと口を開く。
「こんにちは。なにかしら、チョコケーキ姫って」
見た目に違わず上品な声。愛嬌を見せるわけでも冷たくあしらうわけでもない、無駄な感情を含ませるのを嫌うかのような返事だった。
「あー、知らなかったんだ。あなたが毎日チョコケーキを食べてるから、そういう異名がついてるの」
「そう……」
ずいぶんと配慮に欠けている亜希ちゃんの説明だが、さすがというべきか、桜木さんは特に興味がないような反応をする。
「それで、亜希さんは私にどういった用なのかしら」
彼女はそう言うと、続けて今度は私に目線を向ける。
「あなたは確か、同じクラスの……みみ子さんよね。あなたも探偵部なの?」
「へいっ!? そ、そうです、私も探偵部で……」
桜木さんに目を向けられ、おかしな声が漏れ出てしまった。蛇に睨まれた蛙、とは少し違う。高貴な人から声をかけられ、つい気を張ってしまうような、そんな気持ちだった。
亜希ちゃんに鼻で笑われる。
「えーっとね、用という用はないんだけど、ちょっとお喋りしたくて来たの!」
そう言って、純粋無垢な子供のように亜希ちゃんは混じりけのない笑顔を桜木さんに向ける。
「そう、別にいいわよ」
返ってきたのは、優しく子供を相手するかのような、余裕の微笑だった。
亜希ちゃんはご機嫌な様子で、桜木さんの前の席の椅子を後ろに向け、向き合うようにして座る。私もジェスチャーで促され、近くの椅子をずらして横に座った。
「まず、あなたの名前を訊いてもいい?」
「桜木姫乃よ」
「姫乃ちゃん、ね。……あ、ちょっと待って、メモするから」
亜希ちゃんはポケットからメモ帳とボールペンを取り出す。抜かりないなと感心したが、探偵部ならこれくらいは当然で私の意識が低いだけなのかもしれない。
しかし、これではあからさまにお喋りという名の聞き取り調査だ。桜木さんが気にしてないなら問題はないけれど。
質問事項は、やはりチョコケーキについてが主だった。
「チョコケーキ好きなの?」
「まあ、そうね」
「そうだよね、毎日食べるくらいだもんね。どこのケーキ屋さんで買ったやつ?」
「買ってないわ」
「どういうこと?」
「貰い物よ」
「貰い物……誰から?」
「さあ、わからないわ。この学校の誰か、かしら」
「誰から貰ったかわからないの?」
「ええ」
どこにも着地しないまま、質問が収束してしまう。要領を得ない答えに亜希ちゃんは唇を突き出し、むーっと唸る。
「ちょっと、みみ子からもなんか質問してよ」
「う、うーん……」
そう言われても、特に目的もないのに何を質問すればいいのだろう。
私たちが頭を悩ませている間に、桜木さんは最後のケーキの欠片を丁寧にフォークですくい取り、口に入れた。そして、静かに飲み込んだ後、おもむろに机の横にかけてあったカバンから銀色の水筒を取り出し、蓋をコップにして中身を注ぐ。その飲み物の色は、窓に映る夕暮れの空と似ていた。
「紅茶よ」
その一連の動作を目で追っていた私たちに桜木さんはぽつりと答えを教え、両手で持ったコップを口に運ぶ。コクリと一口飲んだ後、また静かに机の上に置いた。
考えがまとまったのか、亜希ちゃんはまた質問を再開する。
「毎日チョコケーキをくれる人が学校にいるってこと?」
「そうね、それで合ってるわ」
「でも、誰かはわからないんだ……。どうやって貰ってるの?」
「申し訳ないけれど、これ以上詳しくは教えられない」
「え、なんで?」
「秘密よ」
「もー、わけわかんないよー!」
亜希ちゃんはまた口を尖らせ、足をバタバタさせる。
桜木さんは少し口角を上げ、クスッと笑った。その表情を見れたことにすら、私は密かに感動する。
「それじゃあ、質問されてばかりだから今度は私から。探偵部さんはどんな活動をしているの?」
その質問に私と亜希ちゃんは目を合わせ、苦笑する。
「実はね、部員が足りなくてまだ正式な部として承認されてないんだ。だから、探偵部としての活動は全然できてないんだよね」
「あら、そうなの」
恥ずかしそうに笑いながら説明する亜希ちゃんに淡白な言葉を返した後、桜木さんはまた紅茶を一口飲む。
「姫乃ちゃんは何か部活やってる? あ、でも毎日放課後にチョコケーキを食べてるってことはやってないか」
「ふふ、そうね、部活動はやってないわ。でも、放課後にウサギ小屋の掃除をしているの。だから、ずっとケーキを食べてるわけじゃないわよ」
「掃除って自主的に?」
「そうよ」
「へえ、偉いもんだね」
亜希ちゃんは腕を組み、純粋に感心しているようだった。かと思えば、「そうだ」と声を出し、胸の前でパチリを両手を合わせる。
「ねえ、よかったらさ、姫乃ちゃんも探偵部に入らない?」
「お断りするわ。悪いけど、あまり興味がないの」
「……っ!」
即答気味の拒否に亜希ちゃんの眉尻ががくんと落ちた。ひどく落胆した彼女の横で、私は場を取り繕うために笑う。
やはり申し訳なさを微塵も見せない桜木さんが、コップに残った紅茶を一飲みし、片づけを始めたところで今日の調査は終了となった。
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