第7話 帰国直後

 ジンたちが、S国から航空便にて日本に到着した直後に遡る。


 帰国直後、ソフィアは空港内の病院に運ばれる。


 テロ組織、エニシダの数多の猛攻を凌ぎきるマコトたちだが、その最後の攻撃の際にマコトとともに分身体に意識を移して機外に展開したソフィアだった。しかし、マコトの臨機応変の即断による緊急行動で、抑止するいとまも、抗うほどの力も不足する状態で、咄嗟に上方、数十kmの高度へ移動するマコトにより、自身の制御限界を強引に突破させられ、意識が途切れるソフィア。もはや意識さえ保てないほどの状態で、屍のごとくぐったりとしていた。直ぐに手を尽くして命は取り留め回復させつつも昏睡状態となる。


 魔女は身体の外側に溢れ出るオーラを操ることで特殊な力を発揮する。魔力の行使は、母体となる身体を基点に生体エネルギーであるオーラを外部に展開させて行うが、大いなる力を振るえる代わりに、勢い余ってオーラの全てが身体から出ていくことは生体エネルギーの枯渇、言い換えるなら、抜けきった身体は死んだも同然の状態となる。


 それゆえに、魔女は自身のオーラの総量を認識し、決して抜けきることのないよう制御することは、魔女の魔女たる基本中の基本とも言える心構えでもある。


 着陸直後に目を覚ますが、ソフィアは記憶を失っていることが判明する。精密検査が必要な場合、それができるのは明日以降となる見込みだが、まずは現状の診断を行うべく空港内の病院にて、診察を受けることとなったのだ。


 ハイジャック事件に関してメディアが空港に詰めかけ記者会見を行うことになったが、あくまで矢面に立つのはジェイムズと機長たち。ジンやマコトの活躍は伏せた形で取材に応じる状況だ。まずは取り調べを受け、概要整理が整った後に記者会見、そしてその後は身体検査や事件詳細の聞き取り等、身体が空く暇もなく、そのまま暫くは空港に釘付け状態となる。


 それとは別の記者会見も行われる。日本に常駐する海外メディアは、同機に搭乗していたサミュエルに対して、事件内容の会見を行う。


 サミュエルとは、とある組織の代表にして、やや小太りながらも、その人当たりの良い整った見た目という表面的な要素からも、広告塔の役目を果たす世界的な有名人だ。何か神がかり的な力を持っているらしく、マスコミを前に天使の加護がどうの、と世間の注目を浴びやすい存在でもある。


 実際に彼の勤める会社のビルが内戦の誤爆を受け倒壊しかけたとき、大勢の安否が気遣われた事後の救出時、ただの一人も負傷者がいないという出来事があった。その後の調査によると、サミュエルにより負傷が回復したらしいことと、当のサミュエルは天使の加護によるものとの会見をしたことから、その真相のほどはそこそこに、ユーモアのある不思議な語り口のサミュエルというキャラクターが受け、一躍世界中に名を轟かせる。


 その後、会社は急成長し、彼の貢献度の高さと広告塔としての重要性から表向きのCEOという立場にまで登り詰める。


 組織を動かすコアな組織は別にあり、水面下ではアフリカ全土の内戦を加速させる死の商人の一面があるという噂が各国の軍事情報網では囁かれたりもする。しかし、世間一般では、そんなサミュエルのクリーンなイメージが受けるのか、表向きの会社は今も急成長を遂げる優良株だ。


 コア組織にとって、サミュエルは隠れ蓑とするにはうってつけの存在でもあること。また、サミュエルのその特殊能力もここぞという危機を乗り越えるために大きな価値を発揮すること。そんな功績から、組織内でも裏の一面と切り離された形でサミュエルは大爆進することになったわけだ。


 そうして、事ある毎にサミュエルの映像が流れるほどの著名人となってしまっていたため、今回の事件でもマスコミはこぞって注目し記者会見の場が設けられたという流れだ。


 基本、サミュエルはこの事件の真相を知らないが、機内で目にした状況を脚色して話す。その中にはまるで妖精のような天使が祝福を振りまく状況などが織り込まれ、数々の危機的状況を無事潜り抜けたのは、神の御加護によるもの、そんなストーリー展開のもっともらしい会見が行われる。


 その内容はジェイムズたちとは異なる見解ではあるが、幸か不幸か、肝心の真実の部分を話せないジェイムズたちの会見に対する一部の不可解さを補うこと、そしてサミュエルの株をまた一つ上げることに一役買うこととなる。


 ジンの兄も空港に駆けつける。事情の概要と犯人や体内爆弾除去手術が必要な旨をジンから簡単に聞き取った後、ジンの兄は犯人たちの対応に追われることとなるが、警察組織に対して事情説明や手術の手配など、事件収束に向けて奔走する。


 そうして必要な情報の伝達を一通り終えたジンは、空港内病院へと赴き、先に向かったマコト達と合流して、ソフィアに付き添う。


 空港到着後の慌ただしい状況とは別のところで、人知れず暗躍する者たちがいた。V国の諜報員たちだ。テロ組織エニシダに纏わる今回の実行犯達は、全て逮捕拘束され手を出せないため、まずは状況を静観する姿勢だ。


 しかし、V国首脳陣の中では、事件に纏わる各種事象等、説明が着かない部分を問題視する。それはエニシダに相対あいたいする存在が他にいるのでは? との疑いがあったからだ。


 エニシダへの報復行動とは別の視点から、関連する諸々を炙り出すべく、スーパーコンピューターに演算させて出てきた『ソフィア』という名前にも着目し、あらゆる情報網、暗号通信解析を行う。


 するとソフィアと符合する乗員名簿の調査結果に、過去の経緯を含め驚きながらも、ソフィアに対する新たな陰謀が膨らむことになる。


 この過去の経緯とは、超能力軍事利用を目論む北の軍事大国であるV国の機関が世界中から、異能力を聞きつけては攫って、研究開発を行う計画の中に、7年前のN国王室のソフィア王女がターゲットとなり、日本への留学のための移動を諜報員が追跡していたところ、別の民間機撃墜事件に巻き込まれ、ソフィアはその能力を振るった痕跡が認められるもそのまま失踪、いや見つからなかったために死亡認定されたことでやむなく計画は中断していたものだ。


 V国諜報員自体はソフィア生存を疑わず継続追跡したいところだったが、それ以上の追跡は世論の注目を受ける可能性があったことから断念せざるを得なかった、という経緯だ。


 当時、携わるV国の計画立案者の胸には、あの墜落時に暴れまくる民間機から乗客のほとんどを救ってみせたことで証明されたソフィアの底しれない能力の高さへの執着心が再燃し、即断でソフィアの再拉致計画が起案・承認・決行される運びとなっていたのだった。


 突然のことながらも、在日諜報員を招集して、各所に即座に配置することが決定する。そうして空港にも諜報員が配され、到着口で張ってみるが容貌含めた特徴合致者は見当たらない。しかし傍受した空港内通信から病院配送の業務報告にソフィアの名前を見つけ、すぐさま二名の要員を充てたのだった。


 一方、エニシダのオペレーション本部は既に解散し、組織に関わる痕跡、エニシダ教へ繋がる情報を全て抹消。エニシダ教は別の教祖を立て、そこそこ優良な活動を継続するように引き継ぎを終えると、ヴィルジールとシエラはさっさとその地を離れて日本へ向かう。


 流石にコンコルドを手配することは叶わないが、ヴィルジールの人脈からプライベートジェットを保有する富豪に当たりを付けて既に動き出していたのだった。


 空港サイド、空港内病院に戻る。


 ジンの兄が手続き・手配する国立病院でのソフィアの精密検査を明日予定しているが、その前に診察の他、現時点での身体データを取っておくことが有用であるとのジンの兄の采配でもあった。


 診察の結果、特に異常はみられず、簡易とはいえ各種検査の結果も気になるところはなかった。採取した血液、その他の撮影映像等、一通りのデータが手渡され、明日の本格検査に臨むこととなる。本格検査ではより詳細な検査項目を行い、更に精緻なデータを採取することになるが、事前データからの状態変化を診る意味でも現在のこの簡易検査は意味があるらしい。


 検査後診察を終えると、帰って良いとのことで、いよいよ帰宅の途に就けるわけだが、まだ入居予定の家は決まっていないため、まずはホテル暮らしとなる算段だった。


 しかし、ジンの兄を通じてしまった以上、一ノ瀬本家をスルーするわけにもいかず、一ノ瀬家に向かうことになってしまっていた。


 ジンとしては、日本出国前の騒動からも、関わりを持ちたくない心情を秘めていたのだが、今回の騒動に遭遇し、一ノ瀬家に帰国が知れてしまった以上、避けては通れぬ道だと覚悟を決めていた。


 ただ、実家に住まうことを回避する口実も兼ねて、とある事情から機内で知り合い、急遽日本に滞在させ、その生活や日本での技術習得のための働き口などの面倒をみることになったザックたちS国現地人の件をジンは兄へ話したところ、その一切合切を含めて実家帰宅する羽目となったことは大きな誤算でもあった。


 やや身構えていた住居やその他諸々の生活費などが浮くことになるのは助かるのだが、それでなくても貧しい生活水準のザックたちに対して、普通の人の素の生活ではなく、桁違いの裕福さを見せつけることになってしまうことと、ジン自身が苦労知らずのボンボンと思われてしまうのは、これまでの会話を繰り返すことで獲得していた信頼が揺らぎそうなことが何より心配でもあったわけだ。


 ジンの兄が手配するワンボックスカー2台を受け取るために、同じく機内で知り合ったサトルとともにソフィアたちから一時離れる。


 肝心のソフィアだが、記憶を失った状態には違いないが、特に狼狽えたり混乱したりなどの感情の起伏はなく、割とあっけらかんとした様子だった。


 もちろん、持ち前の性格もあったのだろうが、記憶を失って初めて目を覚ましたときに目にした金髪碧眼の女の子であるマコトが印象強く目に焼き付き、その後にふと自身の顔を鏡で見たときに、黒髪黒目という大きな違いはあるものの、自分にそっくりの顔つきの少女が娘だと名乗るのだから、何の疑いもなく親子であることを飲み込めた。


 そうであるならと、周りの言う事を正しいと受け止め、自身の記憶は失われていても娘がいて夫がいて、そんな家族に守られていることの安堵感に心を委ねることにしたのだった。


 それゆえに、取り乱すことなく、家族に向き合うことにしたソフィアで、記憶の繋がりはないものの、もう普通に楽しく会話できるような安定した感情で接し、素直に皆に従うソフィアだった。


 今レンタカーを回してくるまでの待ち時間だが、ソフィアは化粧直しに行くことを告げ、家族たちの元を一時離れる。これまで自身を心配してくれる周囲の沢山の人たちの存在が嬉しくて、記憶喪失の最中さなかにある自分自身の姿をまだじっくりと見たことがなかったから、そんな隙間時間を活用しての全身を鏡に映して確認したいと思ったからだ。


「ちょっと化粧室に行ってくるわね」

「あ、ママ、それならマコもついて行くよ」

「あら? マコトちゃん、優しいわね。ありがとう。でも大丈夫よ。鏡見てくるだけだから、ここで待っててくれる?」

「う、うん。わかった……」


 マコトはそんなソフィアがもちろん心配だからついて行こうとするが、ソフィアから大丈夫と告げられ、直ぐに戻る様子でもあったため、マコトはその場で離れる様子を見送る。


 30秒ほどして、それでもやはり気になるマコトは、化粧室の入り口付近まで行き、そこで待つことにした。


 もう夜の時間帯だから、比較的、人の多い空港にあっても、この空港内病院の近くの人は疎らで、化粧室の様子もやけに静か過ぎる状況だ。そんな中で鼻歌のように「ふふふふん……」と少し小さめだが声が聞こえることから、確かにソフィアがそこいることが実感でき、やや楽しそうな雰囲気を感じ取るマコトにも笑みがこぼれ、あと少しかな? っと戻りを楽しみにしていた。


 そんなマコトの脇を二人組の女性が通過し、その一人が見下ろす視線とかち合うマコトだった。その二人は同じ格好のどこかの事務職員のような風貌だ。いや帽子を被りマスクをしたズボン姿の、トイレ作業員にも見えるから、トイレ清掃の係なのかな、と想像するマコトだったが、目の合った一人はマコトを見て、目を見開き、少し驚きの表情を浮かべると、クスっと笑ったようにも見えた。


 何か違和感を覚えるマコトは数秒前の目に映る姿を思い浮かべる。


―― あれ? 清掃員だとすれば、掃除道具を持っているはずだけど、かなり大きめな、何か旅行バッグのようなものを運んでいた?


 そう思っていると、化粧室の中のソフィアの声が聞こえてくる。


「ふんふふん……きゃ! あ、ごめんなさい……」


 先ほどの二人組がちょうど入った頃合いで、それにソフィアが驚いた様子だ。


「いえいえ。あら? あなた日本人かしら? 黒髪黒目でとてもおきれいだけど、外にいらっしゃるのは、あなたによく似てるけれど、金髪碧眼のとても可愛らしい……まるでお子様なのかと……いえ、この髪色の違い……御親戚かしら?」


「あぁ、来てくれてたのね……いえ、私の娘……です。ああ、髪色はちょっと……」


「あら、そうなのね。ちょっと失礼……」


「きゃ! も……ぅぐ……」


 そんな化粧室の会話だが、マコトの地獄耳ならディテールまで聞き漏らすことはない。ソフィアがそこにいるということの安心感を感じながら、他の誰かにとはいえ、ソフィアの意思で紡ぎ出す言葉が声に表れる様子に愛おしささえ覚える。


 ほんの数時間前に、ソフィアはもしかしたら命を失っていたかも知れない、そんな心の境地にあったマコトだからこそ、ソフィアの一挙手一投足から、その時々の喜怒哀楽の表情の変化など、せいの煌めきの瞬間の一つ一つを噛み締めるようになっていたのだった。


 そんな感慨にふけりながらも第三者との会話が必要以上に長いことにやや苛立ちを憶えるマコトでもあった。


―― やけに話しかける清掃員だな


 外にいるマコトはそう思いながらも、なぜか違和感の深まりを覚える。初めてマコトを目にしたはずの清掃員が中にいるソフィアの姿を見る前に、それによく似たマコトを子どもと思った節の言葉だ。


―― そういえば、マコトを見て少し驚いた様子と、そのとき浮かべた笑みは中で清掃員が発した『よく似てる』から驚いたのなら、その部分の言葉の辻褄は合う。

―― でも初対面だよ? まるでママの旧友がママの顔を知っている前提なら、それに似たマコを見て零す笑みも納得だけど、こんなところに知り合いがいるなんて聞いたことがない。

―― あれ? それにもしもそうだとしても、化粧室に入る前にママが先に入っていることを知っていないと、あの言葉も辻褄が合わなくなる。

―― いや、聞こえてきた中の会話は知り合いのそれとは違っていた……なんかおかしい。待てないから中に入っていこう。


 カチャ、ゴソゴソ、パチン。ゴロゴロゴロ……。


 化粧室入口に向けて歩き始めると、そこには大きなカバンを押しながら出ていき、反対側の通路に向けて去っていく二人組の姿があった。マコトに気付くと、やや速度を上げていく。


 マコトは化粧室の中に入る。


―― 誰もいない。

―― 個室も全て確認……全部空いてる。

―― 洗面所にママの持ってた小さなバッグ。

―― 声でも聞いていたけど、確かにここにいた。

―― それがいないということは……


 と急いで化粧室の外に駆け出し、マコトは出ていった二人組が去っていった方向を見定めるが、もう見える範囲にその姿は見つからない。


 慌てふためくマコト。今いないことは確かだと、記憶を振り返る前にジンに念話で呼びかける。今繋がっていない状態だから届くかどうかわからない。今どこにいるかもわかっていないから全方位へ一斉に放つ。


 『パパ? パパ、パパ、大変なの!』


 マコトが放つそれは、もはや念話とは言えない魔力の波動だった。ほんの2、3秒のこと、空港の建物に微振動が走る。ほとんどの者が気付けない程度の軽微なものだが、空港施設内の震度センサーには感知され、データとして痕跡が刻まれる。

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