第6話 緊急離脱

 マコトたち、新一年生は入学式会場を出て、担任教師誘導の下、各担当教室へ向かう。その行列に、少し間隔を空けてマスコミの集団も付いていく。


 マスコミの大半は一年一組、即ちマコトのクラスだが、その真横付近に一定間隔を挟んで追従し、引き続き写真や動画の撮影に余念がない。そしてその随行スタッフは隙あらばマコトからコメントを引き出そうと画策中だが、生徒が清々と移動を続けている今はまだ平静を保つ状況だ。


 同じ頃、まだ式場の父兄席で退場の案内がアナウンスされるのを待つジンとソフィアは、娘のこれ以上ないほどの晴れ舞台の余韻に浸り、感動を噛み締めていた。


「マコちゃ、とても立派だったわぁ。すすん」

「あぁ、そうだな。ここまで心を震わされるとは思わなかったな。ずずっ」


 感慨にふけりながらも、ふとソフィアは心に引っかかっているものをジンに尋ねる。式中にマコトのまりょくが漏れ出ていた件だ。


「そうね……そういえば、まりょく、なんとかなったのかしら?」

「あー、それなんだけど、念のため、ここの上空にシールドを張っておいたんだ」


 ジンは式の直前に、ふと気になり、小学校の入学式会場の上空にオーラのシールドを張っていたことを告げる。それを聞かされたソフィアは、質問の内容から離れた突拍子もない返答に、顔をしかめながら再び尋ねる。


「え? 何のために?」

「ああ、マコトの力発現が周囲に露見しないことも大事なんだけど、V国諜報員の存在も気になってね」


 まだここまでの話では登場していないが、日本に到着したその日、空港でV国諜報員による災難に見舞われたばかりだった。だからこそ、可能性があるならば最大限の構えで臨む必要性を肌で感じるジンだった。


「え? ああ……そっちね」

「オレたちの消息はなんとか追わせないことに成功したけど、ヤツらはロストポイント付近に張っている可能性がある。ヤツらの捜索範囲の広さにもよるけど、ここだってそう遠い場所じゃない。ヤツらのターゲットはソフィアだけど、マコトの力がもしも見つかっては元も子もないだろ?」


 ジンの意図するところは理解したものの、物理的なシールドを張ったところで、マコトたちのオーラはすり抜けてしまうことから、その部分の疑問をソフィアはぶつける。


「なるほど。でもマコちゃに限らず私たちのこのまりょくは、シールドなんてなんの抵抗もなく突き抜けちゃうよね?」

「そうなんだよ。だけどそれ、突き抜けるタイミングを検知できるなら、もしかしたら対策も打てるかなって。オレとマコトはオーラで識別する修練を積んでいるから、マコトのオーラならオレは認識できるからな」


 そんなソフィアの疑問に対して、ジンとマコトは魔力修練の際に、どうやらお互いのオーラを感じ取る能力を高めていたようで、その旨の回答を返す。納得のいったソフィアは、今度はその成果を尋ねる。


「ほーほー。それで検知できたの?」

「ああ。残念ながら。会場のボルテージが最高潮のころかな? 若干突き抜けていったよ。だから今ちょっとヒヤヒヤしてるんだ。やっぱり案内待たずにもう行こうかソフィア?」


 ジンは問いに目を伏せながら肯定を返す。問いの答えを言語化したところで、ジンの迷う気持ちも晴れたようだ。マコトの漏れる魔力が検知されたかもしれない事態を想定する行動に移行することをソフィアに告げる。


「そうね。そういうことなら行くべきだわ。実は私も気になっているところがあるし、お義父さまには話は通してあるんでしょ?」

「ああ。屋上にヘリもスタンバイさせてある」


 国の要人でも来ない限り、通常なら、入学式後などに誰かをヘリで緊急移送するような対応はない。在ったとしてもせいぜい豪華な車が準備される程度だ。しかし、空港でのV国諜報員による災難を重く見たジンの兄とそれに理解を示す理事長の特別の計らいにより、秘密裏に事前にヘリが準備される状況となっていた。


「まあ! それは素敵ね。期せずして東京遊覧飛行が楽しめるってことね」

「こらこら」


 やや本気で言っている節もあったようだが、ジンに諌められ、冗談だと濁すものの、ソフィアはシリアスな表情で心に燻る本題を告げる。


「冗談よ。でもあながち絵空事でもなさそうよ? この気配……異質な何かが近付くような感じがするわ……」

「う、マジか。ソフィアのそういう感覚はいつも確かだからな。それと記憶を取り戻してからは特に切れ味が増したような……」


 ジンの指摘の通り、ソフィアは少し前と較べ、言動・振る舞いに頼もしさが増しているようだ。


「そうね。任せて。まだ多分遠いところだと思うわ」

「そうか……それにソフィアやマコトを護るだけでなく、学園に被害があってもいけないし、できれば関わりはっておきたい。接近する前に引き離しておく必要がありそうだから、これは大掛かりなミッションになりそうだな?」


「そう……そうであるなら今すぐの、ここからの緊急離脱は必須よね? しばらく学校も休ませるとして、イルちゃも連れて、うーん、そうねぇ。どうせやるなら曖昧化の力を振るいながらちょっと派手に? ヘリで華麗にエスケープ……うーん。いいわねぇ」

「ちょ、ソフィア? なんかノリノリじゃない?」


 緊急事態でありそうなことは認識しつつも、やはりソフィアはその心の中で空の旅をどこか愉しみたい節がありそうだ。ジンのツッコミにやや慌てながらも、ソフィアは急かし返す。


「そ、そんなことはないわよ。それより行くんでしょ?」

「お、おう。じゃあ、ゴーだね。ソフィアはイルを頼む」


 カタ、カタン。スタスタ……。

 会場はやや感動的な雰囲気に包まれる中、立ち上がるジンとソフィアは周囲の耳目を集める。ジンは理事長の座する教員側ブロックのある会場内の右翼側へ、ソフィアはその反対側へと、ブロックの後方を回りながら歩みを進める。


 新入生退場の余韻で、周囲は既にざわついているものの、皆お行儀よく座して待つ状態の中で、急遽席を立つジンとソフィアに、近いほどに一部が反応を見せ、呟きが連鎖する。


―― え? 何?

―― あら? あれは、本家の一ノ瀬仁さんよ? それにもう一人はその奥様で、ソフィアさんと言ったかしら? 例のまことちゃんのご両親ね。

―― え? ほぉぉーっ。あの子のご両親ね。違う方向に進まれるけどどうしたのかしら? でも、あの子にしてあのお母さま在り。あぁ、普通は逆よね? だけど、あんな素敵な子のお母さまだから、きっともっと素敵なのよね? あのブロンドのアップスタイル、お綺麗なだけでなく颯爽としててカッコいいわね。

―― ホントね。一ノ瀬仁さんは理事長のところでお話されているけれど、何かあったのかしらね。

―― あら? お母さまのほう、在校生のストロベリーブロンドの子を連れ出したわ? あの子って、今朝の合唱団の天使の歌声の子じゃない? あの子も一ノ瀬の関係者なのね。仁さんはこれまであまり目立つことはなかったと記憶しているけど、やはり本家の血筋なのかしら。きっと溢れ出る人望が引き寄せるのよね。あーん。羨ましい人たちよね。神さまはなんて不平等なのかしら?


 周囲から漏れ出す声はゆっくりと伝搬していくが、ジンは理事長にこれからの行動を伝え、ソフィアはイルを連れ出すと会場の別の出口から出ていく。

 ジンは、その場に居ないジンの兄からの受取品である無線のヘッドセットを受け取る。これでヘリパイロットとのやり取りをせよ、との指示のようだ。


『こちら一ノ瀬仁。聞こえますか? チッ』

『ああ、話は聞いている。離脱するということだな? エンジン始動してよいか? チッ』

『はい、お願いします。チッ』

了解ラジャ。チッ』


 会場に残る面々は、ジンたちの退場をなんとなく惜しみつつも、引き続き自分たちへの退場の合図を座して待ちながら、再びひそひそ話に興じるようだ。


―― あら、行ってしまわれたわね。

―― そうね。でも、まことちゃんだけじゃないのね。今年の一ノ瀬学園は何かが起こりそうで愉しみね。

―― そうよね。どうしてだか、私ワクワクしているわ。


 会場を出たジンたちは、マコトの移動する集団に向けて急ぎ足で進む。すると突然女性から声を掛けられる。


「ジンさん、ソフィアさん」

「え? あなたは……いらっしゃってたんですか?」


 それは帰国後、空港で出会い、特殊な能力により、窮地を救ってもらった女性だった。ジンは驚き、ソフィアも間の開かない意図せぬ再会に目を丸くするが、直ぐに優しい瞳で挨拶を交わす。


「先日はどうも」


「いえこちらこそ。えぇと、少し気になってもいたのですが、例の集団の気のようなものを感じて、その向かう先を予測すると、自分たちのいた場所に近かったからやってきてみたらココでした。その元となる発信はおそらく娘さんかと思いましたが違いますか?」


 この女性は、気などの流動的なものの扱いに長けていることを先日知ったが、今のような広域の流れまでわかるとは思ってもいなかったジンとソフィアだった。今のような状況では、確かに相手の状況が掴みにくく、またこちらから相手を欺くようなことがしたくともどうにもできないものと思っていただけに、この女性の能力はジンの心の中では魅力的に響き、何ができるのかを尋ねてみたくなった。


「そ、その通りです……うーん。この状況であなたに何かできたりしますか?」

「そうですね。私は気などの流れを読むことが得意なのですが、その流れをいくらか変えることもできると思います。おそらく今困っていらしてこの場から離れようとしているのですよね? そうなら、何かお役に立てることもあるかもしれません」


 今の現状に対する理解、そしてこれからこの難局を打開できるかもしれない何かをこの女性は持っているかもしれないことを知り、藁にもすがりたい思いのジンは頼ることを決意する。


「え? そうなのですか……いやご迷惑をおかけするのは心苦しいですが、今は確かに緊急事態……お力をお借りできますか? シエラさん」

「もちろん。喜んで。もう一人もあちらで待機しています」


 先日会ったもう一人の男性と目が合い、手を挙げる反応に、ジン手を挙げて軽く会釈で返す。


「うゎ、先日に引き続き、ご迷惑ばかり申し訳ありませんがよろしくお願いします」

「はい」


 ジンの依頼を受けたところで、この女性は離れた位置にいる男性に大声で声を掛ける。


「ヴィルさま、行きますよ~」


 やることが決まったところで、女性はジンに向き直り、最初のアクションを尋ねる。


「で、まず、どうされますか?」


「あぁ、前方の集団にいるマコトを拾って、あの屋上にヘリが待機しているので、それで一旦この場を離脱します。その後は状況を見ながらで。先に屋上に行ってもらえますか?」

「わぁぁ、ヘリが使えるんですね。それは頼もしいし、是非乗ってみたいですね。承知しました。ではまた後ほど」


 この女性は、目を輝かせながら返事すると、もう一名のところへ駆け寄り、軽く説明したところで校舎の階段に向けて急ぎ駆けていく。


 その姿を見送ると、ジンは新入生一団を見遣り、マコトを探す。マコトは先頭位置のため、すぐに見つかり、そのまま名前を呼ぶ。


「マコトーっ!」

「あ、パパァ、どうしたの? ママやイルも連れ立って一体……」


 ジンの呼びかけに気付いたマコトは、誘導する先生に一声掛けると、一時離れる許しを得て、ジンに駆け寄る。


「説明は後だ。ちょっとこの場を離れるぞ。如意棒を準備して」

「え? う……うん、わかった」


 すると、ジンから慌てながらの指示を受けて、事態が急変していることを察して飲み込むマコトは、直ぐに右手に如意棒を出現させる。


「ソフィア、すぐに曖昧化のやつを掛けてくれるか? このまま屋上まで移動だ」

「わかったわ」

「ソフィアはマコトに掴まって、イルはオレが抱き上げる。それぞれ如意棒を伸ばして、カギ状に変えた先の部分で引っ掛けて、あの校舎の屋上に一っ飛びするぞ!」


 やや突拍子もない派手な行動の説明に、ソフィアもマコトもイルも目を見開く。理解の早いソフィアはすぐに次の段取りを口にしながら、ふとマコトの協力も得たい旨をマコトに投げ掛ける。


「そういうことね。早速掛けるわね、曖昧化。マコちゃもできそうなら一緒に曖昧化の魔法を掛けれる?」

「わかった。できるかどうかわからないけど、赤ちゃんのときにできたってやつだよね。ママの真似をすれば良いんだよね?」

「そうね。できなきゃ仕方ないけど、できたらより強力になるから、まぁやってみてくれる?」

「OK! わかった、やってみる」


 そうして、ソフィアは曖昧化の魔法を周囲一帯に掛け始める。マコトはそれを見ながら感じ取る魔法を見様見真似で重ね掛けする。透明な視えない何かが降り注ぐソフィアとやや異なり、マコトの放つ魔法はやや黄色味を帯びた光が、先行するソフィアの魔法を包み込むように折り重なるように満遍なく降り注ぐ。


 その掛ける直前、記者団の誰かがジンたちの登場に気付く。


「おい、あれは一ノ瀬本家の確か、『仁』だったか? 例のまことちゃんの父君だろ? 急いでいるようだが、何かあったか?」

「わからんが、シャッターチャンスだぞ、早くカメラを構えろ!」


「おう、わかった、ちょっと待ってろ。目まぐるしく動くから上手く捉えられん……あ、新入生の集団に重なったぞ、ちょっと移動す……え? 浮いた? ……あれ? なんだか頭がふわふわ……すぅすぅすぅ……」


 記者団を含む辺りの者は、曖昧化の魔法により、瞼を閉じ、動くことを停止して立ち尽くしながら意識を失う。幸いカメラへの記録作業は開始されることはないまま、数秒間の空白の時間を過ごすこととなる。


 数秒遡る。記者団の視線が向けられていることをジンは意識しながら、新入生の一団の死角となる位置に移動しながら、ソフィアたちの曖昧化魔法の降り注ぐ状況を見守る。


 効果が表れ始め、カメラが向けられていないことを確認すると、ジンはマコトに合図して如意棒を校舎の屋上に向けて伸長、その先のカギ状の部分がガッチリ噛んだところでGOサインを出す。


 しゅぃーーーん。ガキッ。


「マコト行くぞ!」

「りょ! ママ、しっかりつかまってて」


 シュンッ!


 「「あぁわゎゎ」」


 ジンやマコトと違い、流れに身を任せるソフィアとイルは、目まぐるしく変化する状態に思わず声を漏らす。その一瞬後には屋上のフェンスを外側から飛び越えた状態となり、如意棒は縮小させて、イルを抱えるジンと、マコトを抱えるソフィアは無事着地する。


「「あゎゎゎっと」」


 一瞬の急速移動の結果、屋上に降り立った4人は周りを見回し驚きの声を漏らす。


「ひょえー、これは……」


 ちょうど屋上に待機していたヘリはエンジン始動を始めたところだった。


 キーーーン……シュゴーーーー……


 目の当たりにしたヘリは自衛隊のタンデムローター方式の大型ヘリ、迷彩塗装のCH-47 チヌークだった。ジンはそれほど大きくない民間ヘリを想像していたから、目の玉が飛び出るほどに驚く。


「ぎょえ、チチ、チヌークじゃないか。V国が絡むとはいえ、兄貴はよくこんなヘリを調達してくれたものだな。あぁ、事情が知られてたとしたら、ソフィアも見方によっては国賓級といえなくもないわけだが……」


 やや大袈裟にも思える待遇だが、あれこれ考える前に安全管理が重要だと、ジンは皆に注意喚起を投げかける。


「皆! ヘリの音が大きくて聞こえづらいと思うからあまり離れるなよ。後、このヘリはジェットエンジンを積んでるから物が吸い込まれないように注意することと、これからローターが回り始める。接近する時は要注意だ。必ずオレから離れないこと」


 ヘリの向こう側にある屋上の出入口から出てきた男女二人組をジンは視認し、大回りするジェスチャーの手招きで呼ぶ。


 この二人の名は、ヴィルジールとシエラ。空港での窮地を救ってくれた大恩人なのだが、その真の正体をこのときはまだ、誰も知らない。

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