第3話 不協和音

 時は入学式の前日に遡る。

 その就寝直前の夜も更ける時間帯、急遽、小学校の教頭から一ノ瀬分家の自宅に向けて、一本の電話連絡が入る。


「……夜分遅くに申し訳ございません。明日の入学式ですが……」

「はい。大丈夫です。なにか問題でもございましたか?」

「はい。ええ、その、入学式の新入生代表なのですが……誠に申し上げにくいのですが、諸々の事情により緊急会議にて、代表者変更が決定し……」

「……え? そ、そんな馬鹿なことが……」


 その内容として、それまで新入生代表の役を任じられていた一ノ瀬分家の家族に向けて、新入生代表の変更・交代が知らされたのだった。


「……はい。ではそういうことですので失礼いたします……カチャ」

「ちょ、ちょっと待ってくだ……ツーツーツー……くそぉ」


 理由を尋ねたが、成績が上回ること、理事長 (当主)の判断とだけ返し、新しく代表となる子どもは名前のみで、素性や血筋については受け付けるいとまも与えられず無情にも電話は切られる。


 家族は憤りを露わにし、急遽、分家内緊急会議が開かれ、代表だった男の子にもその旨が伝えられる。


 一ノ瀬の分家の代表予定の男の子、フミヤは驚愕し、気持ちは激しく失速するが、そのとき伝えられた新しい代表となる子どもの名前から、2年前に幼稚園で起こした小さな事件に思い当たり、それを家族に告げるが、マコトの素性はほぼ不明な状態。


 この一ノ瀬家分家の情報網の総力をもって素性の洗い出しにかかるが、母親がどこの国ともわからない外国人である、ということ以外、何ら情報は掴めない。幼稚園のとき、自ずと構成されていたカーストの上位の扱いではなかったこと、またフミヤやその分家の面々がほとんど知らない=一ノ瀬本家以外であるとの前提の認識でフミヤとその親は怒りに震える。


 と同時に、それまで分家の面々は、フミヤが代表の役務を獲得してからはちやほやと褒め称えていたものの、手のひらを返すように接し方を変え、状況は急速に暗転する。


 明日に備え今日は寝なさいと親は表面を取り繕いながら優しく促す言葉をかける。


 まだ真実が判明しないからこそ直接的にではないが、フミヤが扉から出ていくのを見届けると、その裏の顔が表出する。怒りが収まらないからか無配慮にも扉の向こう側にも普通に聞こえるほどの大きさの声で、2年前の幼稚園での事件の失態と、そのときの女の子が新代表となる事実からも、あのときの事件はまだ終わっていなかったと、むしろあのときにフミヤの命運は終わっていた、なんということをしてくれたのだ、と過去を蒸し返し、フミヤをなじることばが飛び交う状態だった。


 フミヤは聞こえないふりをして、自分の部屋に駆け戻り、悔しさに枕を濡らしながら、どこでどう間違ったのだと何度も何度も振り返る。夜明け頃まであまりの悔しさに気が張って寝付けずにいたが、気疲れが蓄積し、1時間ほど寝落ちすると朝を迎えていた。フミヤは昨夜を振り返り、夢ではないことを認識し、気を落ち着けながら慌てて朝食を済ませて入学式に向かう。


 ……


 入学式前々日に遡る。

 小学校の職員会議。その開催直前に理事長 (一ノ瀬家当主)が成績等を理由に新入生代表の変更を決断したことの発表を行った。


 その数週間前の新入生代表を決定する会議では、さまざまな事前調査から、一ノ瀬分家の優秀な男児新入生として、フミヤがほぼ全員一致で選出され、様々な連絡も整う状況だった。そんな状況から事態が覆ることなど、誰が予想できようか。


 しかし、本家からの非公式な割り込み (詳細は伏せられたまま、本家、ジンの兄が手を回しての入学手続きであったため、校長含む一部の職員しか知らない状況と、そこでも本家の血筋との関連は伏せられたままであった)で急遽、個別の入学試験を受けさせられたマコトの試験結果 (イルの編入試験結果含む)が判明し、あまりの優秀さと本家との関連性不明な状況だったことから連絡が後手にまわったことも原因の一つにはあるが、結果、ギリギリの理事長への報告となっていた。


 このときまでは、理事長もマコトに対する認識は浅く、訪ア前の、ソフィアに対する不信感はあったものの、孫に対する愛情のみが全てだった。そんなところ、試験結果のあまりの優秀さからマコトやソフィアに対する見方は大きく変わっていく。


 そこで改めてジンとの会話を持ち、そのとき初めてソフィアの素性を知ることになる。その高貴過ぎる素性に認識を完全に改めるが、秘匿する事情にも理解を示し、また首席入学であること、しかも本家の一員のジンの娘であるなら、新入生代表は当然紛うことなくマコトであると、決定を覆すことになる。


 しかし、秘匿事情ゆえに、決定変更の詳細は事前に公にすることはなく、また土壇場での代表変更となってしまったから、関連各所はもちろん、直前となる前日夜間、交代を知らされた、当の新入生代表予定児童のフミヤとその家族 (分家)の面々には不満だけが蔓延する状況となっていた。


 そして、このときはまだマコトたちにも交代の事実は告げられず、周りを固めるべく、新入生代表のことば、その原稿を急遽作成するなど、一族当主 (理事長)は指示を徹底する。


 ……


 入学式当日、 新入生代表挨拶の場面、の前の在校生代表挨拶の場面に戻る。


―― ……うわぁ、ドキドキしてきた。原稿は覚えたけど、うまく言えるかな? 自分で作った文章じゃないから全くイメージ沸かないけど、この在校生代表の人の言葉で少しは繋がりがわかりかけてきたかな?


 そう思いながら、マコトは出番の瞬間を待っていた。


 ……


 その日の朝のこと。

 入学式会場に家族とともに現れたマコトたちは別室に案内される。入学式開催の直前の時間帯だ。そこへ、一ノ瀬学園理事長が現れる。この理事長とは、マコトの父、ジンの父親、即ちマコトの祖父となる人物だ。


「マコト、入学おめでとう。よく入ってくれたね」

「うん。おじいちゃん、ありがとう。でもホントだよ。普通の小学校に入るって聞いていたのに、急遽こんな大袈裟な学校だなんて……でも、桜は綺麗だし、歌う行進もすっごいよかった」


 うん、うん。そうだろう、そうだろう。と目を閉じた自慢げの理事長は嬉しそうに頷きを繰り返す。と、祖父 (理事長)と会って間もないマコトの馴れ馴れしそうな言葉使いに、父 (理事長)から厳しく育てられたジンは怯み顔で注意する。


「こら! マコト。確かにおじいちゃんには違いないけど、この人はとても偉い人だから、少なくとも学校じゃそんな接し方はマズイ……」

「あー、よいよい。ジン。お前には厳しくあたってきたからだろうが、ワシも少しは丸くなったのだ。孫は可愛いし、何にせよ、アレほどの優秀な成績を修める子なのだ。マコトとの関係はもっと密接でよいから大丈夫だ」


 慌てていたジンは、すっかり丸くなった父 (理事長)の言葉に驚きを隠せない。


「あー、おじいちゃんは怖い人だったんだね。パパのこんな萎縮する姿なんて見たことないよ」

「わははは、そうか、そうかもな。ところでじゃが、今日の入学式、その新入生代表にマコトを抜擢することが決まったことと、それにあたって挨拶する場もある。引き受けてくれるか?」


 場が和んだところで、理事長は新入生代表挨拶の件を切り出すと、マコトとジンは目の玉が飛び出そうなほどに驚き、その無謀さと疑問を返す。


「え? ととと、突然過ぎるよおじいちゃん。あの大勢の前で喋るの? マコが? 無理だよそんなの。大体今から文章作るのなんて間に合わないし……それになんでマコなの?」

「そうですよ、お父さん。いくらなんでも当日言われて、はい、やりますなんて、無謀にもほどがあります」


 慌てふためくマコトとジンの姿を、愉しんでいるかのように余裕のニコニコ顔で聞きながら、言い終わるのを確認すると、理事長は用意していた返答を話し始める。


「あー、それなら問題はない。文章なら既に作らせてある。読むだけだから難しいことはない。もしかして緊張して喋れないほうか?」

「うーん。緊張はもちろんするし、トチるかもしれないけど、パパとママの娘だもん。喋るだけなら大丈夫かな?」


 もしも喋るのが苦手な場合は、この依頼は無謀極まりないことになるから、その点が問題ないことを理事長は確かめると、ニッコリしながらマコトの問いの答えを返す。


「なら大丈夫だ。それにどうしてマコトなのか、の問いの答えだが、マコトの入学試験の試験結果は、ほぼ満点。首席入学だったのだ。首席が代表となるのは当たり前だろ? ジン。お前だってそうやって新入生代表として挨拶したからわかるだろう」

「あー、まー、首席だったのか。やはり凄いなマコトは。それなら仕方ないといえば仕方ないか。特に何の勉強もしていなかったのにな」


 首席という結果を修めるからには、何かしらの努力をしていたのだろうと想像していた理事長は、そうではないことを告げるジンのことばに驚く。


「なんと、それは誠か?」

「あー、うん。これはソフィアの血筋なのかもしれないけど、やったとすれば、あらゆるビデオを観まくったくらいかな? 頭の良さはピカイチで、いろんな言葉や状況、事象が頭に入っているからか、もうそこらの大人とも違和感なく会話できるレベルだよ」


 頑張った結果の首席=優秀な能力保持状態ではなく、何もしていない素の状態で既に首席を取れるほどの秀逸な素養を備えている事実に驚愕しつつ、自分の孫の恐るべき資質に嬉しさと期待が込み上げる理事長は、もう、既に一ノ瀬の未来を担える、いやそれ以上の逸材なのだと確信する。新入生代表かどうかを選出するといった次元で思考していた自身の考えを改め、強い語気の指示に変わる。


「そ、そうなのか。それならば余計じゃ。引き受ける、引き受けない、というレベルじゃないな。これは首席の必須事項。マコト、キチンとやってのけなさい」

「えー、もう、決定事項な流れなの? もー、仕方ないなぁ。何か変なことを口走るかもしれないよ? それでも良い?」


 理事長は、マコトとのやり取りに嬉しさを感じながら、わからない者へガイドライン的な指示をする次元で接するのではなく、自身で何かを考え、どんな答えを導き出すのかを見てみたくなった。まだまだ幼いマコトだが、その少し未来の成長した姿を笑顔で想像しながら、自由裁量を与えることを告げる。


「おー、構わんぞ。なんならマコトが考えていることをぶち撒けてくれて構わんぞ。そんなことができるならむしろ将来が楽しみじゃ」

「お、お父さん、そんなこと言って、本当に大丈夫ですか? 一応言っておきますが、このマコトはけっこう規格外なところがあって、入学式が壊れないかも視野に入れないといけないかもしれませんよ?」


 ジンは、マコトがある程度の常識に則りながらも、例えば魔法が発動したり、自身の高すぎる能力が一般的常識にそぐわない結果となる可能性も心配しながら接してきたこともあり、自由裁量の構えで話す理事長に、そうなった場合の覚悟の有無を確かめる意味の警告を鳴らす。


「そうなのか? うん。まあよい。もしもそうなったらワシがケツを持つから大丈夫じゃ」

「おお、おじいちゃん。カッコよい。それにマコが式を壊すわけないでしょ? パパ。ちょっと大袈裟に盛り過ぎじゃない?」


 理事長に覚悟がある旨を確認できたジンはいったん安心する表情を返す。


「あー、マコト、済まない済まない。一応予防線は張っておいて損はないからな」


 マコトはそんな理事長の頼りがいのある姿をべた褒めするが、まんざらではない表情で返す理事長。


「おー、カッコよいか。ふむ。嬉しいものだな。一応そういうことだから、マコト? 頑張ってみなさい」


「うん。おじいちゃん。わかった。やってみるよ」

「うん。頼もしい孫じゃ。これからが楽しみになってきたよ。マコト、頼んだぞ」


 そうやって新入生代表交代の旨と、入場時の順番やあいさつのことばを述べることなど、理事長から直接指示が下されることとなった。もちろんマコトたちにとっては寝耳に水の話だったわけだが。


 マコトにとって突然の指名だから、挨拶のことばなど、考えているはずもない。しかし、当然そう仕向けた学校側は事前に準備しておいた原稿として、元の新入生代表の原稿案をベースに突貫工事で加筆編集された原稿が教頭から渡される。


 記憶力の良いマコトは直ぐにそのすべてを暗記してのける。


 ……


 入学式の新入生代表挨拶のために呼ばれた瞬間に戻る。

 それぞれの言葉が表すものなどはさておき、今はただその内容を喋れば良いのだと自分に言い聞かせ、いざ登壇する。


―― あら? 事前に聞いていた子とは違うわね。何かあったのかしら?

―― なんだアイツは。突然、新入生代表交代だなんて。それに聞いたことのない名前だぞ? 一ノ瀬家にそんな名前の子はいなかったはずだが。外部から何か手を回して代表の座を奪ったんじゃないのか?

―― あらあら、金髪碧眼の可愛らしい子ね。可愛い子は得するっていうけど、まさかね。いやいやまさかよね。由緒ある一ノ瀬学園だもの。まさかよね〜。


 しかし、眼の前に広がる新入生、在校生、父兄、教師陣、マスコミ等の聴衆の面々が瞳に映り、ざわめき漏れる動揺と、周囲の不満に満ちた空気を感じ取る。マコトは原稿の内容を脳裏に思い描きながら、ことばを連ねていく。


「春麗らかな今日このとき、私達は栄えある一ノ瀬学園初等部への扉を開くことが……」


 マコトの耳は地獄耳だ。その異常に鋭い聴覚は、嘲笑にも近い呟きを捉え、また眼前に連なる多くの面々から滲み出るその圧を真っ向に浴び、原稿が上っ面だけを捉えた内容だったことからも重なる不協和音のような違和感を激しく感じ取る。マコトの気質上からもそれを続けて読み上げることへの抵抗が生まれ、喋れなくなる。原稿から思い描かれる情景はマコトの知らない世界であり、それも粒度が荒いため、今の状況が重なった結果の思い浮かべるイメージも粗雑さに負の要素が混じった禍々しいものに思えたからだ。


 このまま挨拶を中断するようでは新入生代表挨拶自体が頓挫すること、これを成し遂げられないことで及ぼす悪影響を回避したい思いから余計にのしかかるプレッシャーに押しつぶされそうになり俯くマコト。


―― マコトーっ!

 ふとマコトは自分の名前を呼ぶ声に気付き、視線を少しだけ上げると、ジンやソフィアの姿、エールを送ろうとする挙動がマコトの瞳に映る。

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