第2話 新入生代表
1988年の春。ここは小中高一貫教育、かの一ノ瀬家が設立した名門私立小学校である一ノ瀬学園初等部、通称、一ノ瀬小学校。そして今日はその輝かしき第一歩を飾る新入生を迎える記念すべき入学式。
空高く晴れ渡り、東の空からさんさんと降り注ぐ陽光と校舎の影のコントラストに映える薄いピンクの桜は見事な咲きっぷりで、観るものの心をどこまでも惹きつける圧巻の美しさを放つ中、今や毎年の定例イベントとも言える、少し離れた両側の位置に立ち並ぶ校舎の壁に反響されながら、透き通るソプラノで歌い上げる校歌とともに在校生の団体が行進し、入学式会場へと向かう情景。
今年も多くの入学式参列者が集い、桜の美しさとそれを彩るような天使の歌声に心震わせながら、ここから始まる夢の第一歩を踏みしめるべく、皆に意気揚々とした空気が漂っていた。
……
入学式の数週間前に遡る。
マコトを除けば、一ノ瀬の血筋の新入生は3名いて、いずれも分家だがその中の成績優秀な男の子が代表となる内示を受け、本家当主からも激励の声を掛けられる。
新入生代表とは、入学試験の成績で首席となったものが務めるしきたりがあり、その名称が示す通りの一瞬の事柄であるとはいえ、その後の学園生活のみならず、将来にも影響を及ぼすほどの、極めて誉れ高い役割でもあった。
新入生代表となった者は、その後もことあるごとに学年の代表を務め、その行動を統制し、皆が納得のいくゴールへと見事に導かなければならない役割が暗黙の了解として課されることになるから、その重要性や秘める価値が高いのも頷けるというもの。リーダーとしての真の資質が試されると同時にとことん高められるということだ。そこに一ノ瀬家の血筋の縛りはない。
しかし、一ノ瀬家当主自らが運営する一ノ瀬学園において、常に筆頭を目指しなさい、という設立者の教えを受け、代々の当主はこれを固く守るべく、一ノ瀬家に生を受けた者は、例外なく過酷なまでの英才教育が施される。
一ノ瀬学園は名門中の名門でもあるため、厚い信頼のもと、全国の名家から優秀な人材が集まる傾向にあり、そのような中においてなお、一ノ瀬家の血筋には抜きん出た人材であることが求められていた。
一ノ瀬家の影響力は国内省庁や国内巨大企業の各業種に及び、一ノ瀬家に関わることで誉れ高いポストに就けることからも、その系譜の始まりに位置する一ノ瀬小学校の新入生代表とは、まだ幼き子どもであるとはいえ、その当人個人の枠を越えた、途轍もない名誉な役柄でもあった。
このため、一ノ瀬家の血筋が在籍しない年代でも、一ノ瀬家に関係の深い一族がその役を買って出るほどだが、一ノ瀬家の血筋が在籍する年代の子ども、特にその分家にあればこそ、分家の一ノ瀬一族内プライオリティの向上、果てはそんな優秀過ぎる人材が多く台頭することで、本家に取って代わるかもしれない可能性さえも秘める、そんな輝かしい名誉として、分家内の英知を結集してでも獲得を願う、それほどの名誉でもあった。
もしも一族内の頂点に君臨する本家の該当世代の子どもがいたならば、虎視眈々と狙ってくる分家の子どもを上回ることはもちろんのこと、完膚なきまで叩き伏せるほどの圧倒的な結果が求められていることは言うまでもない。
今年の入学式で新入生代表を務めることとなった男の子の分家内では期待を一身に集め、当の本人も誇らしく、代表という立ち位置と、首席入学の肩書に酔いしれていた。男の子の名は、一ノ瀬
ただ、この子の場合、約2年前に幼稚園で起こした小さな事件でやや面目を潰しかけたことがあり、その汚名挽回と面目躍如を果たす絶好の機会でもあった。
その事件とはマコトが絡むもので、その影をやや引きずっていた男の子だった。
フミヤはそのときのことを回想する。
―― 幼稚園のときの、確か『マコト』という名前の生意気なやつだったな。
―― オレは物心着く前から帝王学というものの触り程度だが、それを教え込まれていたから、オレは生まれながらの強者、それ以外は弱者でオレに従い何でも言うことを聞くのが当たり前。
―― オレだけがエラい。
―― そう思っていた。
―― 実際に周りにいた子どもたちは、その親がそう教えるからか、オレをちやほやして機嫌を取る。
―― それが日常だった。
―― その日も気の弱そうな奴に苛ついて少し虐めてやっただけで、気が済んだらそいつもへこへこ従うようになるだろうからそれで終わりのつもりだった。
―― その頃、新しく幼稚園に入ってきたマコトという女がそこに割り込んできた。
―― なぜコイツは歯向かってくる?
―― なぜオレのやることの一つ一つに意味を求める?
―― 頭にきたオレは言い返そうとするがなぜか言い負けてしまう。
―― 幼稚園でのオレは絶対だから先生もオレに気を使うくらいだ。
―― 配下も使ってやっつけようとしたが、なぜか言い合いに持ち込まれて言い負けてしまう。
―― カッとなったオレは見境なく殴りつけようとする。
―― そうしたらナゼか身体が動かなくなった。
―― そのときのマコトを見たらかなり怖い目、瞳の奥が光っているような、そして身体の周りも変な空気が渦巻いているような感じで得体がしれない状況だった。
―― あれはなんだったのだろうか?
―― 今思い出してもよくわからない。
―― そのときオレは初めて怖いと思ってちょうど迎えにきたママに逃げ込んだ。
―― するとオレのママもそんな状況に得体のしれない何かを感じ取ってくれたのか、オレを庇いながら騒ぎ始める状況になった。
―― ただ他の親や先生には感じないようで、ケンカしたのかと仲を取り持とうとする。
―― オレは大声で泣きわめくと、その後はいろんな大人が入れ替わりやってきて、その後のことはよく覚えていない。
―― そのマコトという女は次の日から来なくなった。
―― ただ、この出来事はパパや親戚には大きく捉えられてこっぴどく怒られた。
―― その翌日から、帝王学、というものを本格的に叩き込まれることになった。
―― 強者と弱者の関係において、強者は弱者を従えるかわりに弱者を守る必要がある、ということや、盛者必衰、難しい言葉だが、要は調子に乗ってるといつか足元を掬われる、ということらしい。
―― それからは弱者は弱者なのだが、いつか裏切られることのないように、うまく持ち上げたり、かばったり、オレだけがお前を理解しているのだと、言葉を刷り込むようなテクニックを身に着けていった。
―― ただ言葉だけ、そんな振る舞いをするだけで、立ち位置の関係を踏まえて、ソイツらは従順に従ってくれる。
―― ただ口を開くだけなのだから安いものだ。
―― これが帝王学なのだとオレは幼いながらも学んでいった。
―― 学ぶ内に、オレも何かを示すことが相手にも信頼させることに繋がることがわかり、オレ自身も勉強や運動に力を入れるようになっていった。
―― そういう考え方はおそらく正しかったのか、今では新入生代表という役務がまわってくるほど、大人からも信頼される様子が見て取れる。
―― オレはやはり正しい。
―― あのマコトとの事件は消えない過去で、何かあるたびにそのことを持ち出して諭されるのは忌々しいことだ。
―― だけど、あの事件がきっかけだったのも事実。
―― あのマコトという子は今頃どうしているのかな?
―― 怖かった顔しか思い出せないけど。
そうして、あれから多くを学び努力を重ねたのであろう。フミヤは、元々の資質も高かったのか、新入生代表となるまでに躍進していたのだった。
……
そして入学式当日。間もなく入学式が始まろうとする頃のこと。
―― ちょっと、あれ、どこの子かしら? 今年は分家の子が代表だと聞いていたけれど……。
会場の入場入口付近に、その先頭付近に見え隠れする子どもたちが目に入るやいなや、今年の新入生代表はどんなものかと関心の高い一部の輩の注目が集まる。ところが、事前に聞き知った情報との異なりに、あちらこちらで小さなざわめきが起こり始める。
「新入生入場」
アナウンスを合図に、ブラスバンドの生演奏が始まり、新入生の一団は一列で整斉と入場を開始すると、それぞれの席位置で停止していく。
新入生の一団の全貌が明らかになると、当然、新入生代表交代の事実を事前に知らされていない周囲の父兄や関係者はこぞってざわつく。
―― おい、あれはどこの令嬢だ。今年の代表は……確か、分家の子息だったはずだが……。
―― 金髪の女の子よ? なんて可愛らしいのかしら。でも代表なら一ノ瀬の一員というのが通説よね? もしもそうならハーフということかしら? でも、これまで見たことも、そんな話を聞いたこともないから、一族外の新入生が抜擢されたということなら、もしかして相当優秀なのかしら? それとも……。
―― おい、聞いていた子どもと同じなのか? 黒髪の日本人だと聞いていたが。我が分家から代表の座を奪ったのだ。さぞ優秀なのだろうな。そうでないなら糾弾も辞さないぞ。
新入生代表として、なぜかマコトは急遽その役目に抜擢され、入場者の先頭を務めることになっていた。
好意の有無はさておき、肝心の新入生代表が誰なのか、その一点を中心とする話題が一面で囁かれる。
「えー、お静かに願います。お静かに……」
司会進行役から静粛を求められるが、ヒソヒソはやや残りつつ、進行は着々と進められる。
「新入生挨拶。新入生代表は前へ」
「はい」
新入生代表としてマコトが呼ばれ、登壇すると、ことばを述べ始める。
「春麗らかな今日このとき、私達は栄えある……」
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