Jet Black Witches - 4萠動 -

AZO

第1話 入学式

 1988年の春。咲き誇る桜が幾重にも折り重なる桜並木通り。


 少し離れた両側の位置に立ち並ぶ校舎の壁に反響されながら、透き通るソプラノで歌い上げる校歌とともに在校生の団体が行進し、入学式会場へと向かう情景。


 ここは小中高一貫教育、かの一ノ瀬家が設立した名門私立小学校である一ノ瀬学園初等部、通称、一ノ瀬小学校。


 そして今日はその輝かしき第一歩を飾る新入生を迎える記念すべき入学式。


 空高く晴れ渡り、東の空からさんさんと降り注ぐ陽光と校舎の影のコントラストに映える薄いピンクの桜は見事な咲きっぷりで、観るものの心をどこまでも惹きつける圧巻の美しさを放つ。


 しかし、それ以上に子どもたちの歌声が校舎の壁の反響で幾重にも合わさるからか、まるで天使のように透き通る歌声は得も言われぬ感動を呼び起こすようだ。


 最新技術の音響デザインを施した校舎間庭園のハーモナイズが秀逸なのか、プロデュースする音楽講師が凄いのか、ここで響かせる合唱は毎年素晴らしく高評価を得ているものだが、特に今年は例年と異なる趣向を凝らしているとのことだ。


 それは、先日転入してきたばかりの少女のあまりの美声に、あっという間に奇跡のソプラノの呼び声高い状況が確立すると、音楽講師は彼女の歌声を主軸とした合唱構成へと急遽組み換えを行ったのだ。


 このため、まさに天使の歌声の噂は駆け巡り、マスコミも多く呼び寄せてしまうほどの歌声に多くの者が心を震わせるのだった。


 今日の入学式に来場する父兄と新入生の心はあたかも夢心地にいざなわれるがごとく鷲掴みにされる。


 この瞬間を味わうためにこの学校に入学させたと漏らす親も多いくらい好評で、学校設立以来、欠かすことのない伝統にもなっているものだ。


 だが、特に今年は、好天気にも恵まれ、美しく咲き誇る全開の桜を瞳に映しながら、まさに天使のような奇跡の歌声まで聞けるとあっては、参席者のボルテージが振り切れそうなほどの感動とこの機に立ち会える幸運に打ち震えるのも頷けるというものだ。


「パパ、ママ、見て見て。イルたちだ」


 来場者の群れの中に、この物語の主人公、一ノ瀬 マコトとその両親、ジンとソフィアが両側に並び、今日の入学式に新入生として参加するために、学園内を進んでいる場面だ。


「髪の色ですぐにわかるけど、聞こえてくる歌声、その中心にあるのがイルの声みたいだよ?」


 しだいに大きく聞こえてくる合唱の歌声。


 その迫力ある声量、その旋律の隙間を縫うように、得も言われぬ、聴くものの脳裏を擽る一人の少女の声が、存在感を増しながら、合唱のメロディーをさらにメロディアスに引き上げていく。


「イルは可愛いだけじゃなく、声がすごく綺麗だよね? フフン」


 イルは一緒に暮らしているマコトのお姉さん的存在だ。


 普段から聞き慣れる声も、歌声となるとまた印象が異なるものだが、単独の声質はもちろんのこと、合唱のメロディーと見事に溶け合い、そのクォリティを押し上げ一体感のある美しいハーモニーとなって、聴くものの心を震わせる。


 イルが大好きなマコトは新たな魅力発見に自身もときめきながら、嬉しさのあまりドヤ顔を隠せない。


「マコちゃ、また自分のことのように嬉しいみたいね? でもイルちゃの声はほんとに素敵ね」


 そんなマコトの言葉にいざなわれるように、合唱行進する団体に視線を移すソフィアとジン。


 見た目の髪色とともに、音の像の発信源に自然と目が向くから、すぐにイルの姿を中心に捉えられる。


「あぁ、ホントだな。ケインも一緒に来ればよかったのにな」


 イルはただの転入生で、その母親であるケインは、マコトの晴れ舞台なのだからと遠慮して自宅で帰りを待つことにしたようだ。


 それとは別のこんなにも華々しい晴れ舞台のイルを拝めたことに驚くジンは、強引にでも連れてくるべきだったとやや後悔気味だ。


「そうだよね。でも、よく知らないけど、なんかイルって凄いらしいよ? 皆で歌っているけど、イル、一人の声がよく響いて染み込んでくるね。イルはここでも早速人気者みたい。さすがイルだね。フフン」


 マコトはもちろん、ソフィアもジンも、急遽入学することになったこの一ノ瀬小学校についての予備知識はないから、いろいろな事情に疎い状況だ。


 にもかかわらず、今日、校門をくぐり、ここまで歩いてきた中で、耳に入ってくる声から、いろんな前評判の話題が飛び込んでくる。


 最初は誰ともわからない風評のような人物像だったが、次第にそれがイルを指していることが浮き彫りとなっていくことにマコトはソワソワし始めていた。


 ドキドキが次第に高まり、今実際に目の前のイルと照合を果たした瞬間のマコトの至福の表情。イル大好きなマコトにとっては堪らない瞬間で、誇らしさは口に出さずにいられなかったようだ。


「そういえばママ、今日はいつもと違ってカッコいい感じだね。この前からいろんなコーデ研究してた、その成果がこれなんだ。なんか知的に見えるのが変な感じ」


 ソフィアはその素性を隠すためにアップスタイルの髪型で眼鏡をかけて、どこか知的なオフィスウーマンのような出で立ちだ。


 日頃は瞳を隠すように色の濃いサングラスを着用しがちだが、流石に娘の晴れの舞台で怪しげな印象は避けたかったようだ。


 ソフィアをよく知る者でもない限り、気付かれることはなさそうだ。


「あら、ありがとう。って言っていいのかな? なんか日頃がおバカさんみたいにも聞こえる気がするのだけど……」


 褒められたような、けなされたような、どう反応すべきかが微妙な表情のソフィア。

 マコトは慌てて返す。


「ううん。そうじゃないんだけど、普段のママはキラキラが振りまかれるくらい美貌に溢れてるから、知性が目立たないんじゃないかな。いつもは皆振り返るからいろいろ気になるけど、今日みたいな感じだと、普通に一緒に街を歩けそうだよね?」


「あら、そう? じゃあ今度のショッピングはこんな格好がいいのかしらね。普段着も沢山買わなきゃだもんね。ザックさん達にも日本の装いを増やしてあげなきゃだし、ジェイムズさんや市長さんもまだ滞在中のはず、せっかくだから皆の観光もさせてあげたいしね」


 ショッピングと聞けば、マコトの心も自然に弾み出すようだ。

 さらに観光と聞けば、マコトの目も少し大きめに開く。口も緩んでその子細を尋ねる。


「お、やったぁ。イルとケインに、ザックさんたちもだね。大勢でショッピング、あと観光なら旅行ってこと? うわぁ、楽しそう」


「そういうことになるわね。だから今日の入学式は大事な一区切り。ちゃんと務めてらっしゃい? くれぐれも『まほう』は発動しちゃダメよ?」


「そうだぞマコト。今までと違って沢山の人が関わるんだ。同じ新入生だけでも多いけど、今日の場合は在校生や父兄、マスコミを含めた大勢が集結するわけだから、マコトの感性を刺激する火の粉が降りかからない、とは言えないからな」


 マコトが喜んでいると、ソフィアとジンは気を抜いてうっかりな場面を想像するのか、気を引き締める意味で力の抑止を喚起する。


 マコトにも自身に心を砕く両親の想いが伝わるからむず痒い気持ちになるが、マコトは安心させたい説明を返す。


「わかってるってばぁ。もう、二人とも心配性だなぁ。入学式なんて座ってるだけでしょ? 突然、髪が黒くなったら皆びっくりしちゃうし、そうなったら明日から学校にも来れなくなるってわかるし、そうなるのはマコだってイヤだもん」

「あー、まぁ、それもそうね。ちょっとはおねーさんになったのかな?」

「もう!」


 なんとなく皮肉にも聞こえるソフィアの言葉だが、成長したのだとの認識で捉えれば、またまたむず痒く、照れくさそうなマコトだ。


 ザック達はS国の現地人、ジェイムズはS国の警察官、市長とはS国のマコトたちが暮らしていた市の市長で、ともに帰国時のハイジャック事件で深く関わりを持ち、暫く日本に滞在する輩たちだ。


 特にザック達はとある事情から暫くの間、私生活の面倒まで見ることになった者たちだ。


 入国後間もない状況だから、衣服や生活用品の買い出しが必要な状況でもあった。


 またケイン達は入国後直ぐに養子縁組をして、ケインはジンの義理の兄妹、その娘のイルはマコトの従姉妹として、マコトより一足先に、一ノ瀬 衣瑠イルとして転入していた。


 イルは転入後直ぐに、この入学式の合唱行進のために歌声のチェックをされるが、その才能を見出され、すぐに現在の合唱構成への変更がなされたのだとか。


 海外暮らしだったことと、日本でも情報番組に疎いマコトたちだったから、圧倒される感動の渦にうっとりしつつも、周りの参列者やマスコミのあまりの熱量に驚くさまだった。


 今年も多くの入学式参列者が集い、桜の美しさとそれを彩るような天使の歌声に心震わせながら、ここから始まる夢の第一歩を踏みしめるべく、皆に意気揚々とした空気が漂っていた。

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