03 神像
※
――油皿で揺らめく小指の先ほどの灯火。
その明かりが、粗末な寝台に寝かされたゾラの横顔に沈鬱な陰影を落とす。
彼女の身体を覆う黒い毛布の中央は、野火を終えた丘のように丸く隆起しており、それがゆっくりと内側から押されて動いている。影に揺れる錯覚のようだが、違う。
重いため息と共に、ゾラは再び目を覚ます。
しばらく真っ暗な天井を見上げてから、徐々に、その頬が緊張を帯び始める。
おそるおそる左手を腹にやって、その硬さに驚いた指先が痙攣して止まる。
鋭い呼気が漏れる。
そのまま長い沈黙の後、手はそれ以上先には進まず、静かに脇へと下ろされる。
「……混乱と恐怖は、無限の泉。これから先も決して枯れることはない」
声のする方に向くと、奇妙な姿が視界に入る。
寝台の横の小机に、手のひらに収まるくらいの木彫りの像が置いてある。
簡素な造形の顔が、後頭部を接しながら三つ。
胴体はひとつ。なのに、腕は左右合わせて六本ある。
異形である。
「それは僕よりもずっと先に来た誰かが造り、この部屋に残していったものだ。悪くない工芸品だとは思うが――おそらくその作者は、ここへ来る前から正気ではなかったんだろう」
喋っているのは像ではなく、その先の暗闇に佇んでいるユキオ。
ここは非常に暗い小部屋のようで、明かりは壁の穴の灯明皿ひとつ。
四角く切り抜かれた出入口が足元側にあり、仄明るい廊下が見える。
「すまない、部屋の扉は羊小屋の修繕に使ってしまった」
「……ここはどこなの」
掠れた声で訊き、ゾラはすぐに咳き込む。喉の奥が張り付いている。
ユキオが水の椀を手に近づき、差し出す。
「飲みたまえ。貴女を落ち着かせるのが我々の役目だというのに、さっきはとんだ失態を晒してしまったな……。謝罪するよ」
「ここはどこ? 私に、何が起きたの?」
「順を追って話そう。この寺院はそのために建てられた」
ゾラは上体を起こし、椀を取ろうとしたが、また自分の腹を見下ろして硬直する。
が、今度は深呼吸を繰り返すことで冷静さを維持する。
大きな手で椀を受け取り、ゆっくり、時間をかけて水を
ユキオはその様子に感嘆を漏らす。
「……素晴らしい胆力だ。もう混乱を克服したね」
「私が今、感じている恐怖に比べたら、パニックなんて可愛いものだわ……。呑み下したら消えてしまう」
それを聞いてユキオは薄く笑い、寝台の脇のスツールに腰を下ろす。
ゾラに与えられた毛布は丸い腹を覆っているものの、その上に分厚い乳房が垂れて載っている。彼女はそれを隠す様子がない。
ユキオはしばらく無遠慮にその膨らみを眺めてから、口を開く。
「問題を切り分けよう。この世界についてと、貴女自身についてだ――まず、ここがどこなのかを説明できる者はこの世界にいない。僕は勿論、フィデルにも、他の寺院の僧にも。軍閥の連中にも、野盗にも、隠者にも。……我々はここではない場所からやって来て、無惨な死を繰り返し続ける宿命にある」
「…………」
「人は、死ねば己の
「ねえ……。貴方は随分大人びてる気がするけど、幾つ?」
一瞬虚を衝かれた顔をして、ユキオは黙る。
しかしすぐに苦笑し、首を振る。
「わからない。ここには年齢がないんだ。再誕のたびにランダムな身体年齢で発生するから。今の僕の身体は御覧のとおり、たぶん思春期が終わったところといった様子だが、既に一万夜を超えてこのままだ」
「……四半世紀以上、歳を取ってないということ?」
「誰かに殺されるまで、僕はずっとこの身体で過ごすことになる。フィデルはあの老人の姿で。そして年齢がないということは、一年二年というスケールも必要ない。だから正確な時間の経過は誰にもわからない。歳月は大抵、過ごした夜の概算で示す。……それも、最近は段々と夜が長くなってきたとも言われていて、あまり当てにならないが」
「
「そのとおり。ここには季節もなければ、太陽すら本当にあるのかどうか、定かではない」
ゾラは長い黒髪をかき上げ、頭上を見上げる。
暗闇に慣れてきた目は、それが木材を使わない石造天井であると認識する。
「……じゃあここでは、木は貴重品なのかしら」
小机の上の奇怪な像に目をやる。
彼女はそれを手に取って、軽そうに数回振り、細部を確認する。
よく見ると三つの顔は、それぞれ僅かに面持ちが異なっている。
「察しが良いね。ずっと西の方に枯れ木の森があって、木材はそこでしか採れない。おそらく我々人間が発生するより前に、この世界の全ての樹々は枯れてしまったのだろうと言われている。生きている木を見た者がひとりもいないから」
「ここに人間はどのくらいいるの」
「正確な数は不明だが、二万夜ほど前の大規模な戦争以降急速に減ってきているのは確かで、僕の印象ではもう五千人くらいしか残っていないんじゃないか。往時には、その五倍はいた」
「死んでも生き返るなら、どうして減っているの」
「生きることに
ユキオはフッと息を吹き、埃を払うように片手を振る。
小さな風が舞い、灯明皿の火が怯えるように揺れる。
「そんな風に、再誕はしたものの動こうとしない連中を屋外に運び出すのも、我々の仕事だ。立て続けに来られると中々の肉体労働だよ。でも、そうやって祭壇を空けてやらないと次が戻って来られないから、ここでは必要な仕事なんだ」
灯火に合わせて影が動き、ゾラの手の中の像が表情を変えたように見えた。
「……
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