第4話  試験当日 陛下にお出しする料理 牛肉の赤ワイン煮 グラタン フライドチキン 宮女から才人へ梅食膳妃誕生

 試験までには数日あった。その間に任に色々なことを助けてもらった。帝の嫌いな物、好きな食材。連華が考えられる最高の料理を作るための設備や材料の確保。それだけでも目まぐるしく日が過ぎていくのに、連華は新しい調味料の開発までしていた。


 そして気がつけば試験は当日になっていた。帝の住む竜政殿は後宮に設けられている四門の一つ正門を奥手に進んだ後宮の中央にあった。帝であろうともこの正門を通らなければ外に出ることは出来ない。外より戻るときもこの正門を使う。


 そして内膳省からは数々の腕自慢の出来上がったばかりの料理がこの竜政殿へと運ばれてきていた。


 一品一品運んでいたのでは仕方がないので五〇品ずつは運んでいることを任は確認していた。豪勢な金で作られた竜の彫り物に、豪奢な殿舎。そして幅広いテーブルに部屋。そこの真ん中に帝こと梁・風輝〈リャン・フキ〉は座っていた。服には豪奢な金の竜の刺繍がしてあり、白を貴重とした服には他にもさまざまな凝った刺繍がしつらえてある。帝の年齢は二六でまだまだ精力的に動く年齢だ。顔は細面で美男と言っても差し支えのない顔をしている。


 一五〇品目に入った辺りで風輝は料理に対して嫌気が指してきていた。どの料理を見ても食べる前から内膳省の料理となんの代わり映えがあるのだろうかという料理が並んでくる。風輝は料理に手に付けずに次の料理を運ばせるように指示をする。


 二百品目入り、風輝はとうとう不満を口に出した。

「もうよい。どの料理も同じではないか」


 眉間に皺を寄せながら、風輝は側で控える任にそう言った。更に側に控える内務大臣の金・宇軒〈ジンユーシェン〉は顎髭に手を当てながら任に鋭い視線を向ける。老獪であり、狡猾でもあり、それでも実力主義者に対して寛容な金は任に対して口を開いた。


「任殿、だから私はこのような試験に意味はないと言っていたはずだ」


 任はそこで一度揖令してから金に言った。


「しかしもとより試験を設けたいと言ったのは大家でございますゆえ。私は大家の意見を尊重したまでです」


「 それでは大家が悪いと言っているのか?」


 任の言葉に金は態と噛みつく。


「そうではございません。この試験こそが大家が望んだことですし、それが大家の心の安寧に繋がる可能性があると考えたわけでございます」


「もうよい。試験を続けることにする」


 金と任の老獪極まりない言い合いに、確かに試験を設けたのは自分であったと風輝は思うと争いを中断させると共に、試験の再開を告げる合図をした。


 三百品目、五百品目、七百品目、どれを見てもなにも変わらない。風輝は箸に手を付けずただ料理を運ばれてくるのを見ていた。もはや流れ作業以外のなんでもない。


 そして七百一品目に入り、変わった容器に入った料理が運ばれてきた。


「ん?」


 風輝はその容器を見て首を傾げた。他のものは全て皿の上に載せてくるかなにかだったが、この料理は違った。料理は三品あり、1つは正方形型の木枠で囲まれた容器。2つ目は薄い広い木枠で作られた料理。3つ目も正方形型の木枠で包まれた料理であった。


「なんだこれは」


 風輝は運ばれてきた木箱に目が行く。今までの料理と違う。そう風輝の胸中がやや小躍りをし始める。


 毒味役が明治時代に開発された保温効果のある木箱、いや保温箱を開くと、蠱惑的な香りが室内へ溢れ始める。なんて良い香りなのだと風輝は喉をゴクリと鳴らした。


「なんという良い香りよ、不思議なことに温度も一定に保たれている。しかもこのような料理はこの宋周国にあったであろうか?」


「作ったものをお呼びになられますか大家」


「うむ。少し話が聞きたいものである」


 それから暫くして任に連れてこられた連華は風輝に膝をついて顔を隠すようにして揖礼し、そのままの体勢で固まっていた。風輝にしては早くこの料理がなんであるのか聞きたいので、連華に言った。


「面をあげよ」


「は、はい」


 風輝がそう言うと連華は恐る恐ると言った様子で面を上げた。


「この目の前に並んでいる三品の料理はなんという」


「ブラウン色、失礼しました。茶色のものは牛肉の赤ワイン煮といいます。牛肉に焼き色を付け、全体をくまなく焼き、その後赤ワインを入れて煮込みます。更にそこに観賞用のトマトを砕いた物を加えじっくり煮ます。煮えたらなんどか火元から下ろし、保温箱の中に入れ沸騰する状態を保ち、煮込みます。その後にんにくと玉ねぎを鉄鍋で炒め、それを先程の牛肉を煮ている鍋の中へ入れます。そこから更に煮込み、煮上がったらこし器こし煮汁を別皿に取ります。火に掛けて牛乳を少しまぜ、そしてその煮汁を牛肉にかけて出来上がります」


「複雑な手順を踏むのであるな」


「フランス料理は技法の塊ですので。これでも正規の作り方とは大幅にかけ離れております。正式な手法で作るには季節が違いすぎますので」


「ほうふらんすとはなにかはわからぬが、季節まで考慮されているとは複雑極まりない」


「し、失礼いたしました。フランスとは異国のことでございます。そ、それで二品目はグラタンともうします。油を取り除いた鶏肉を一口大に切り、小麦粉で作ったマカロニを鍋で茹で、鶏肉を炒め、や黄色がついた時点で玉ねぎを加えます。玉ねぎが透き通ったら小麦粉を加えて、粉っぽさがなくなるまでよく炒めます。そこへ牛乳を加え、更に適宜に応じて牛乳をまた加えます。煮てとろみがつくのをみて塩、胡椒、加えて味を整えます。それからその材料を鉄の皿の中へ入れ、チーズを載せてから石窯で焼きます」


 風輝はそこで感嘆の息を漏らした。


「まかろに……まあよい、それにしてもこれもまた複雑極まりない」


「洋食は西洋料理を魔改良したものでございますので」


「ようしょく? せいようりょうり? まかいりょう」


「し、失礼致しました。三品目はフライドチキンでございます。鶏肉に黒胡椒、にんにくを絡めそのまま置いておきます。よく味がしみたら、鶏肉に小麦粉を絡め、暫く油で揚げた後に……」


「あ、油で揚げるのか!?」


「そうでございます。この宋周国にはない技術でございます」


「ほう……」


「暫く油で揚げた後に一度上げ、油をしっかりと切り塩と黒胡椒を更に振りかけます。そして今度はカラッとするまで油で揚げて出来上がりでございます。この三品を持ってして私の料理はおわりでございます」


「ほう……それでは食べてもよいか?」


「どうぞでございます」


「してこの牛肉はどうやって食べる」


 この日のために特注で作ってもらったナイフとフォークが風輝の前にある。


「そちらの指す形をしている鉄を肉に当て、隣にあるナイフで切り分けます」


「そ、そうであるか」


 風輝はフォークを当てナイフで牛肉を切り分ける。ナイフで切り分けると牛肉の中からジューシーな肉汁と脂が溢れてくる。


「おおっ……では味はいかに」


 飴色の黄金ソースがかかった牛肉を風輝は口内に入れる。噛むと風輝の背中に電流が走った。とろけるように柔らかい肉。肉厚もあり、牛肉の臭いが赤ワインで煮込まれているおかげで臭みが取れていた。しかし牛肉本来の味はまったく損なわれておらず、それが尚蠱惑的に見せる。


「……ふぉ……この肉の素晴らしきことよ。そしてこのソースも赤ワインと牛肉の脂、そして野菜の旨味がしっかりと凝縮されていて素晴らしきことこの上ない」


 風輝は口元を脂で濡らしながらもがむしゃらに牛肉の赤ワイン煮を食していく。風輝が次に目をつけたのはグラタンだった。グラタンの前には匙が置いてあった。つまりこの匙で食べろということなのだろう。


 鉄容器と保温箱の中に入っていたおかげで殆ど熱が逃げていない。表面のホワイトソースからはまだぷくぷくと湯気とともに気泡が浮かんでいてそれを見ていると、心の中が小躍りする。対決するようにそれを見ていた風輝だったが、覚悟を決めることにした。風輝はチーズで茶色の焦げ目がついた純白なグラタンを救うと口に入れる。


「あちち、ふうふうー」


 熱さとともにまろやかな味が口の中に広がった。糸を引くチーズの味、ホワイトソースの旨味あふれる味があった更に食べ進めると鶏肉の淡白な味とマカロニの味が融合し神の領域まで達してしまう。と風輝は思った。


「な、なんという料理よ……宋周国三〇〇年の歴史においてこのような料理を出されるのは初めてではなかろうか」


「そう言っていただき恐悦至極の極みでございます」


 風輝は唇にホワイトソースを付けたまま、フライドチキンにかぶりつく。


「なんという香ばしく風味豊かな味よ……」


 毒味役さえも側で唾をゴクリと嚥下している様子だった。風輝は豪快に持つと食らいついていく。グラタンのときと違い、揚げるという技法を加えられていることで肉が物凄くジューシーになっていることに気がついた。衣はパリッという音共に香ばしい香りと共に黒胡椒やにんにんくの魅力的な香りがいた。浮かぶ肉汁と脂を見ながら風輝は骨までしゃぶりつく勢いでフライドチキンを食していく。


「……揚げたてを食したかった。それにしてもこの世の贅沢の粋を極めた料理達よ……お前は名をなんと言う」


 連華は一度揖礼すると恐る恐ると言った様子で答える。


「梅・連華と申します」


「そうか、名をしっかりとこの心に焼き付けるように覚えておこう」


 一方側に控えていた金は面白くないような表情をし、任は笑みを浮かべ、目線で連華によくやったと送っていた。


 そこまで言うと残りの試験があるので、連華は場から去った。このように素晴らしい料理を食べた風輝はこの後も上機嫌のまま試験を続けていく。試験は夜になって終わり、出された料理は合計三〇〇〇食に及んだ。


 簡潔に言うと風輝は連華の料理以外口に運んでいない。だから風輝は周りの者に宣言するようにして言い切った。それは誰にも否と言わせない迫力があった。


「私はここに出された二九九九食より梅・連華の一食を選ぶ。異存はないな」


 この呼びかけに金も任も揖礼して異存はございませんと言葉を返した。その後、風輝は梅・連華を読んで参れとというので任は連華を呼びに行った。


 暫くして連華は風輝の前に居た。風輝は連華の顔を見て再度言う。


「他の料理を圧倒する素晴らしき料理であった」


「そのようにおっしゃって頂いて恐悦至極でございます」


 そこで風輝は連華の顔を見ながら打診するように言ってきた。


「連華よ」


「は!」


「お主に才人の位を与える。今日から食膳妃となのるがよい。お主の料理によってこの後宮の者たちの多くが救われることであろう」


 この風輝の言葉に連華のみならず金も任も周りの者も絶句する。宮女が一夜にして妃になったのだ。驚かない者が居ないほうがおかしい。


「わ、私が妃……」


「夜伽をせぬ妃だ。お前は妃の中でも特別な存在と言うべきだな」


 正四品の妃といえど、帝直属の特殊な妃と言うことになる。妃にならねば、後宮の妃嬪達に料理を振る舞うことはできないだろう。そこまで考えた上での風輝の発言だった。


「私の命令は聞いてもらうがよいか?」


「は、はい! 承知致しました」


「それでは今日よりそなたには殿舎を与える。名はそうだな……食膳宮でよいだろう」


 そこで風輝に初めて連華に向かって柔和な微笑みを向けた。更に風輝は連華に問う。


「連華よ、侍従の一人なども付けねばならぬだろう。誰か希望するものはいないか?」


 そこで連華の頭に浮かんだの明凛の顔であった。揚徳妃様に足を向けるようで申し訳ないが、どうしても明凛の存在は側に置いておきたかった。


「揚徳妃様の下で私と一緒に働いている侍女の明凛という者がおります。その明凛を私の侍女として欲しいです」


 そこで風輝は少し考えるような素振りを見せたあとに、分かった揚徳妃には私から話を通して置こうと言った。


「確か西門の方に空いている殿舎があったな任」


 任はそこでいつもの妖狐ではなく美しい妖狐といわれる狐精の微笑みに変えて風輝に言った。


「はっ、以前の才人が住んでいた殿舎がございます」


「掃除は行き届いておるのか」


「掃除はしっかりとしております」


 そう言うと風輝は連華に向き直り、言葉をかける。


「それでは本日よりそこに住むが良い。揚徳妃との話もあるし明凛は翌日にでも向かわせよう」


「ありがたき幸せにございます」


「それと突然申し訳ないが、明日相談に乗ってもらいたいことがある。今日は疲れているので仔細は明日に話す。それでは案内役を付けるので今日より食膳宮に住むが良い」


「は、はい」


 連華はそこで揖礼を再度する。正直な心中、自分が正四品の妃になるなんて思ってもないなかった。更に夜伽もないという。あまりにも驚愕的なことなので頭がしっかりと回らない。


 そしてそんな連華を尻目に案内役は連華を食膳宮へと案内をするのであった。


 こうして才人 梅・連華が誕生し、これから彼女は多くの妃嬪と関わるようになるのであった。いやひょっとしたらそれだけではないかもしれない。何故なら金が値踏みをするような視線で見ていたからである。どちらにせよ、才人連華の物語はここから始まる。

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