第3話 第三話 揚徳妃様へ直談判

 料理を食べ終えた任は少し気まずそうにしている。冷静で有名な自分が料理で声だけ取り乱す ということは正直 恥ずかしかった。しかしそれ以上に感激を覚えたことも確かなので、連華に感謝の心すら浮かんだ。

 

 任は顔を上げると連華のほうをじっと見る。そして聞いてきた。


「料理法にしても 調味料の配分にしても、味付けにしてもこの宋周国では考えられもしない技術です。どこで覚えたのですか」


 連華はそこで困ったかのようにして少し任から顔を背ける。本当にこの料理を作ったのは自分なのかと錯覚するぐらいなのだ。そしてこの知識は一体どこから来たのかも自分自身でもわからない。


 そこの意思を汲み取ったのか、任は組んだ手に顎を乗せこう連華に言ってきた。


「答えにくいことなのですね」


「はい」


 連華の返答に、任は卓子〈テーブル〉の上で両手を組むと連華に向かって言った。


「それではあえて 私はあなたに聞こうとは思いません。人間答えにくいこともありますからね」


「そう言っていただけて本当にありがとうございます」


 さてと任はここで考える。自分は今この国では考えられない技術を持った人間と対峙をしている。これをどう扱うべきか。やはり後宮のために働いてもらうしかないだろう。


「あなたは一体どこの妃様にお仕えなのですか」


 連華は気まずそうににしながらも質問に答える。


「徳妃様のところで侍女をやっています」

「なるほど」


 そこで任は顎に手を置くと連華の顔を見ながら妖狐の笑みを浮かべる。


「それでは今から揚德妃様のところへ参りましょうか」

「え?」

「あなたは優れた料理人だ。侍女で終わらすには勿体ない」


本当のところを言えば任は喉から手を出るほど連華の料理 知識が欲しかった。それにどうやら心を読む能力もあるらしい。


調略にしろ計略にしろ。後宮内の揉め事や悩みの解決にしろ、連華の能力が非常に役立つことを聡い任が分からないわけがなかった。


「いえ、下手をすれば外交問題にも使えるかもしれない・・・・・・」

「え?」

「いえいえ、こちらの話ですからどうか忘れてください」


どうやら上手く話をもみ消された気がしたが、連華は任の促しを受けるようにして翠令宮に連れていかれるのだった。


まず翠令宮へ戻ってきて出迎えたのが豪奢な宮と立派な瑠璃瓦であった。夜に月のあかりでもあれば濡れたように輝いていただろう。残念ながら今日は曇りだ。


宮の裏側には宮女達の住んでおり、なお且つそこには縫殿や厨などもあるので自分の同僚である宮女達が忙しく働いていることだろうと連華は思った。


暫くきらきらと輝く玉砂利の上を歩き階〈きざはし〉の前に辿り着くと、任は宮女に揚德妃様は今日はここにいらっしゃいますかと聞いていた。宮女は後ろに付いてきた連華の顔をちらちら見る。一緒にこの翠令宮で働く同僚だ。なぜ宦官と一緒に来たのか後宮内の噂にするほどまでには興味津々だろうと思っていたが、任の素性を聞いた瞬間ガクガクと震えだしてしまった。


(当たり前だ)


内侍庁長官や中宮尚書と聞いて震えない人間などいない。これはなにかやったんではないだろうかという悲惨なものでも見るかのような目で同僚は連華を見やる。


「ふむ、おられるということですね。わかりました連華。行きましょう」

「は、はい」


もうこうなったらやぶれかぶれでついて行くしかない。階を上がり上へと登る間にも幾らかわからないほどの高価な瓶や絵画などが並んでいる。そんな中を任と連華は二人で歩いていく。


建物の二階中央付近に大きな扉があった。こここそが德妃様の部屋だ。どうしよう、勢いで試験に応募してしまったことを怒られてしまうのか。そうなったら自分はどうなってしまうのか、そう考えるととてつもなく不安になってきてしまった。


やはり扉の前にも侍女が一人居て門番の役割をしていた。侍女は任と連華の顔ぶれを見た瞬間に真っ青な表情になった。


「こ、これは任様」

「や、おつかれさま。ところで揚德妃様はおいででしょうか?」

「は、はい。おられます」

「こちらの連華と共に面会したのですが大丈夫かな」

「も、もちろんでございます」


そういうと侍女は扉を開ける。任と連華は部屋へと入っていく。そして室内に入ると、連華は顔を隠すように揖礼をしながら揚德妃の前へ進み出る。


「これは任様お久しゅうございます」

「いえいえ揚德妃様に至っててはおかわりないよう」


  格子の窓からは明るい光が差し込み、揚徳妃の体を輝かせていた。美白であり、とても美しいと連華はいつ見ても思ってしまう。艷やかな黒の髪を長く伸ばし、その髪は腰まで届いている。女から見ても魅力的な体つきをしており、息を飲んでしまう。頭には簪〈もとどり〉が刺してあり、青色の歩揺〈ほよう〉を揺らす。紅色の衫襦〈ひとえ〉に胸元まで引き上げた同色の桾〈くん〉を翻す。花の刺繍がしてあり、それがとても揚徳妃を蠱惑的に見せた。


 肩からかけられている純白の被帛〈ひはく〉を触り連華の方を見やる。


「起き上がれるようになったのですね、連華」


 連華は揖礼を解き、揚徳妃の顔を拝むようにして顔を上げる。


「は、はい。徳妃様の温情で仕事も休め、こうして体調も回復致しました」


 そう言うと連華は再度、揖礼をする。


「治ってよかったですね。連華。と言いたいところですがなにゆえ任様と共にいるのですか?」


「そ、それは」


「そこからは私が説明致します」


 揚徳妃と連華との会話に任が入ってくる。任は一つ咳払いをすると揚徳妃に言った。


「実はこの連華は大家の料理試験に応募いたしまして、料理も私は食べさせてもらいました。私の見立てでは試験に受かるでしょう」


 揚徳妃はそれを聞いた瞬間、顔を顰め、あまり良い言葉は出さなかった。


「まあ、連華、ここでの働きは不満でだったのですか?」


「い、いえそんな恐れ多いことはございません」


「ではなぜ」


 ここでの働きよりも料理に対する渇望が勝った、それを言いたいが言いにくくて仕方がない。


「あれだけの料理の技術を連華は持っていますからね。それは試験も受けたくなるでしょう」


 連華の気持ちを任が代わりに答えた。揚徳妃は少し考え込んでから言った。


「それほどに凄い料理なのですか?」


「少なくともこの宋周国であれだけの料理を作れるものはいないでしょう」


 それを聞いた揚徳妃はびっくりしたかのような表情をする。仕事の働きも真面目だ。字もかけるのでよく揚徳妃の代筆もしてくれた。しかし料理に対する知識がそこまで凄いことは聞いたことがなかった。


「料理ができることを隠していたのですか?」


「そんな恐れ多いことは……」


 そこで任が間に入った。


「隠していたわけではないでしょう。なぜならば自分でもなぜこの料理知識があるのか解っている感じではありませんし」


「それはどういう」


 任の言葉に揚徳妃が疑問口調で尋ねてくる。その表情は険しい。なぜなのか聞かないと納得できない様子だった。


「じ、実は病気から目を覚ますと急に料理の知識が湧いたのでございます。それ以外は私もわかりません」


 連華は真剣な表情を向けて揚徳妃に説明する。連華の話を聞いた揚徳妃は話の内容を飲み込めていない様子で首を傾げた。


 それはそうだろう。病気から目覚めると料理の知識が湧いてきましたと言われても納得できないのは当たり前だ。


 連華は次の言葉を見失った。なにを言えばいいのかもわからない。ただそこにあるのは揚徳妃の人を疑うような視線だけだ。

 

 いや疑うということも正確な表現ではない。この場合は連華がなにを言っているのか理解できないという方が正確か。


「と、まあ、揚徳妃様。ここで連華にどれだけ質疑をしても始まりません。ここは一つ私の顔に免じて連華に試験を受けてもよいという許可をいただけないですか? それに……」


 そういうと任は揚徳妃の耳のそばでなにかを囁いた。


「揚徳妃様は大家の良い相談役だと思っています。しかし相談役で落ち着くにはあまりにももったいない」


 それを言われた瞬間、揚徳妃はうろたえる。更に任は畳み掛ける。


「あなた様とて今のままでいいとは思ってはいないでしょう。特に今は皇后様がご病気であらせられる」


「うっ……」


「そこで連華の料理です。大家は近頃の料理に辟易となされている。そこで連華の料理を食べていただければ心中なにかおかわりになるかもしれません」


「し、しかし、そんな料理だけで大家がおかわりになるのでしょうか?」


 そこで任は妖子の笑みを浮かべて最後の一撃を食らわす。


「いいですか? 揚徳妃様。なにごとも些細なきっかけなのです。なんてことのないきっかけが人を変えることもあるのです」


「……」


 連華には殆ど聞こえていない声量で任の巧みな籠絡が続いている。そこまで聞いて揚徳妃は一度だけこくりと頷いた。


「暫く連華をお借りしてもよろしいですね?」


「え、はい、わ、わかりました」


 どうやら交渉は上手く行ったようだ。


「ということです連華。これであなたは試験に集中できます。存分に腕をふるってください」


「は、はい」


 連華はよくわかっていない要領でそう言葉を返した。


「それでは行きましょう。それでは揚徳妃様、今度は楽しいお席でお茶でも共にしましょう」


「え、ええ」


 そういうと任は揚徳妃に揖礼する。そして連華も倣うかのように礼をすると任と連華の二人は揚徳妃の部屋から退出し、階を降りて宮の外に出る。


 そして宮の前では心配そうな表情で佇む明凛が居た。もうこの翆令宮では噂で持ち切りなのであろう。明凛は宮から出てきた連華の下へと駆け寄ってくる。


「連華……」


「明凛……」


 二人して顔を突き合わせているが次の言葉が出ない。そんな明凛に向かって任は柔らかな物腰で言葉を掛けた。


「お友達のようですね。安心しなさい。連華は決して悪いようにはしませんので」


 明凛は喉を震わせながらやっとのことで声を出す。


「ほ、本当でしょうか」


「ええ」


 明凛は双眸に涙を溜めながら任に向かって頭を下げて頼む。


「色々おっちょこちょいで、手がかかる子ですが、それでも私の大事な大事な友達なんです。どうか、どうか連華のことをよろしくお願いいたします。ぐすり……」


 後宮は伏魔殿だ。うっかりとした行動を取っていると後から手痛いしっぺ返しを食らう。そういう明凛に任は肩に手を置くと安心しなさいとだけ最後の言葉を言って、連華を連れて行ってしまう。


 そんな任と連華の後ろ姿をただただ明凛は涙ながらに送り出すかしかなかった。


 こうして連華の帝に料理を出す準備が進んでいくのであった。

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