舞台装置の恋

秋人聖

舞台装置の恋

「いや~ん!やっぱり黒髪に赤目って至高よね!!濡羽の髪に潤んだピジョンブラッドとか正直有り得ない!!!完璧が過ぎる!!!」


 爆心地のど真ん中。頭上に降る声に反応して見上げた人物の顔は太陽を背に立つためか強烈な逆光で目鼻立ちすら満足に認識出来ない。が、先程の声の調子から鑑みるに酷く笑み崩れた表情を浮かべているのだろう。


「ん~、いくら世界を滅ぼさせないためって言っても……脇役令嬢が魔王拾っちゃって大丈夫かしら。義務教育+一般教養+α程度の私じゃやっぱ手に余る気しかしないんだけどなぁ」


(ワキヤクレイジョウ?ギムキョウイク?)


 理解の難しい単語をそこかしこに含んだ言葉を独り言ちながら少女と思しき人物は眼前の幼児のなりの脇に手を差し入れ、「よいしょ」と抱えあげる。急に前方に増えた目方にふらつく足元をむんと気合で堪えているが、それが不安定でとても危なっかしい。


「ふぅ、魔王って言ってもちっちゃい頃からちゃんと愛情持ってお世話したら愛着持ってくれるよね、きっと」


 幼児の顔を覗き込んだ少女は徐に目を瞑り、自身が抱え上げた幼児の額に自身の額を合わせる。コツンと伝わる小さな衝撃とともに齎された温みに呆気にとられて数秒、これまた唐突に触れ合っていた額がぐいと離され高く掲げられる。同時に見開かれた目と浮かべられた微笑みは先の呟きとは裏腹に年相応に無邪気に輝いていた。


「うん大丈夫!君はひとりじゃないよ!これからは私が責任持って面倒見るから!!!」


 ◆◆◆◆◆


 『魔王』。魔物たちの王として君臨し、生命を脅かし、世界を滅ぼすもの。汎ゆるものを憎み、混沌を望む悪しきもの。それがこの世界における常識いっぱんろんだ。

 実際はそんなものではない。魔王はこの世界における一つのだ。この世界に生きる生命の根幹に深く関わる魔素と呼ばれる物質の安定化を司る一つのであり、。一応、物質的には生命体として定義される形にはなるが嵐や地震と何ら変わりがない。

 その生態は魔素が変異した瘴気を吸収し、蓄積。臨界点に達した時点で破裂し、浄化した魔素を放出するというものだ。この世界を円滑に回すために必要な一種の舞台装置。瘴気を吸収する際に周囲の生命が死滅し、魔素を放出する際に周囲の環境を荒廃させる。文字通りの災害。


 そんなものを態々拾って育てたとて何も変わりはしないだろうに全く物好きなやつもいたものだ。


 ◆◆◆◆◆


 自身の父親である公爵が治める辺境領の果ての果てから帰還した後の彼女の勢いは正に怒涛という他ない。

 父親が目に入れても痛くないと豪語する未だ齢10に満たないその公女は『ずっと前から弟が欲しかったのだ』と駄々をこねにこね、周囲を騒然とさせた。彼女の熱意に根負けした公爵が、幼児の保護を認めるやいなや、片時も離さず傍に置き、言葉通り弟のように接し、その後、従者として自身に仕えさせるにまで至った。


「お待たせしました。お嬢様」


 3分蒸らした紅茶を漉してティーカップに注ぐ。最後の一滴ゴールデンドロップまで余さず丁寧に注ぎ入れ、シュガースプーン2杯半の砂糖を入れ、波立たないように丁寧に溶かす。従者として仕えて長いという訳ではないがこれが彼女の好みだと体が覚えるまでにそう時間はかからなかった。


「もう!二人っきりのときはその喋り方禁止っていっつも言ってるじゃん!!君も!私も!互いの身長、体重、趣味嗜好、その正体までもぜーんぶ把握して!!腹割って!!話せる!!唯一の協力者兼共犯者なんだから!!!」


 差し出したティーカップを持ち上げ、口元に運ぶ。その所作は公爵令嬢というだけあって優雅なのだが、口をつける前に一瞬躊躇する。熱いものが苦手でそれらを口にするのが下手な彼女の癖だ。おずおず口をつけるとティーカップを傾け、香りと共に吸い込むように一口。コクリと喉を鳴らしてティーカップから口を離すとほぅと溜息と共に笑む。


「うん、美味しい。さっすがチート。てか、魔王が入れるお茶とか飲めるの何気に凄くない?」


 満足気にティーカップを置き、最下段のキューカンバーサンドを手に取り、口に含む。忙しなく口を動かしているというのにその手は既に次の獲物を狙って最上段を彷徨っている。

 ――――流石に令嬢としてその様はいただけない。

 嗜めようと開けた口にすかさずプティフールを押し込まれた。反射的に閉じた口内に溢れたのは甘酢っぱい柘榴味。歯に触れたサクリとした食感からどうやらねじ込まれたのはマカロンらしい。彼女がこの前から食べたがっていた人気店の新作だなと当たりをつけ、口元を押さえながら口内の異物を片付けるため、咀嚼を繰り返す。噛む度に広がる好みの味と甘さに口角が上がってしまうのを隠しきれなかったのだろう。


「甘い物好きの魔王ってなんか可愛いよね。ていうか、私のせいだね、それ」


 まんじりとこちらを見つめる彼女の目元と口元がゆるりと弧を描く。その瞳はどこか満足そうで若干癪に障る。


「ああ、そうだ。俺は本来、食物自体摂取する必要性がないからな。お前が手当り次第に俺の口に突っ込んだ結実だな、これは」


 マカロンを嚥下し、苛立ち紛れの同意を返しつつ、口元を押さえていた手でやや乱暴に拭う。


「しっかし、たった5年弱で10年近い年齢差と体格差をひっくり返されるとは思わなかった。魔王って成長率すごいんだねぇ。たっぷり栄養採ったのが好転したのかなぁ……あーあ、ちっさくてすっごく可愛かったのに」


 顔のみに集中していた視線がいつの間にか上へから下、下から上へとくまなく注がれるものへと変化している。折に混ざるジトリと睨め付けるようなものは何処と無く重い。どうやら幼い姿の俺に大層未練があるらしい。


「何度もいうが栄養とやらは関係ない。俺の成長に関与するのは瘴気のみだ。魔素も吸い込みはするがそちらはお前たちと同じように魔力源になるだけだ――――それはそうと望みとあらば戻せるが?」


 躊躇いを多分に含んだ語尾を聞き取った途端、彼女は喜色満面に溢れた笑みを浮かべる。そわそわと揺れる体は待ちきれないといった風体だ。

 俺に注がれる期待のこもった視線に心中で『これは早まったな』と後悔しつつ、溜息と共に指を鳴らす。

 どの程度の姿を所望しているのかまでは判別が難しかったので俺を拾った当時の彼女を目安にした。

 久々に使う魔法ではあったが発動、結果共問題はない。ただ、予想を超えて低く、短くなった目線と手足に内心困惑しはしたが。


(――――あのときは結構デカく見えたんだがな)


「ポリモーフってやつだよね、その魔法!?ドラゴンが得意だったり、ローブ着た女の子が薬飲んで変身したりするの!!やった!実際に見てみたかったんだよ!願いが一つ叶った!!!」


 憧れの魔法を直に見れて嬉しいのか、幼い姿を晒す俺を見て嬉しいのかは判らないが容赦なく抱きついてくる彼女を、幼くなった体で制するのは至難の業だということだけは解った。頭と言わず、顔と言わず、本当に所構わず撫で回され、もみくちゃにされる。窒息の危険性を感じる程の勢いだ。このままではいけない。

 全身全霊の力でなんとか拘束から抜け出し、もう一度指を鳴らす。

 間の抜けた音と共に、するりと魔法が解けて元通りの身長と肩幅、腕の長さを取り戻し、彼女の肩を掴んで完全に引き剥がす。


「ちぇっ、もっと愛でていたかったのに……じゃなくて、こんな人外地味た成長速度だと違和感どころの騒ぎじゃないよね。いや、まぁ、君は実際人じゃないんだけどさ」

「現に認識阻害一つでどうとでもなっているからな、気にする必要はない」


 元の姿に戻っただけだというのに露骨に残念そうな顔を浮かべられるのは予想外に腹の立つものだ。

 彼女のいうように赤子とも幼児ともつかないものが数年で成人並みになっているのだ。それだというのに本当に人間の認知能力というのは緩いと沁沁感じる。紛れ込んでいる異物としては感謝すべきところではあるのだろうが。


辺境領ここは魔素の滞留が起きやすいんだろう。正直、今も呼吸するだけで成長している実感がある」

「うぇ、つまり瘴気溜まりだらけってことですか。ここで生活してる側としてはそんな実感ないんだけどなぁ」


 不機嫌を隠しもせず、栗鼠のように頬を膨らませながらスコーンに齧りつく口元には公爵家のシェフ謹製のクロテッドクリームと木苺のジャムがべったり張り付いている。

 右手のドレスグローブを外し、彼女の口元を親指を使って心持ち強めに拭い取る。指にクリームとジャムがしっかり移ったのを確認して自らの口元に運ぶ。態と見せつけるように親指についたそれを舐め取った。先程のマカロンの意趣返しだ。


「行儀が悪いぞ。お嬢様」

「つ、ついてるなら言ってくれればいいじゃん!!」


 大慌ててハンカチを引っ張り出し、もう何も残っていない口元を一生懸命拭う様が大層可愛らしい。『うう……生意気な』と真っ赤になった頬で上目遣いに睨む顔に余裕有りげに笑みを返す。


「ちゃんとお前好みに育ったろう?この魔王は」


 ◇◇◇◇◇


 『魔素マナ』。 


 原初より大気中を漂い、生命の誕生と成長、及び魔法と呼ばれる事象の原動力ともなるこの世界における根幹物質。汎ゆる物が生まれながらに体内に魔素を蓄え、それが枯渇すると死に至る。

 特定の条件が重なる場所に誘引され、滞留する性質があり、一定期間を減ると淀み、有害なものへと変質する。また、生命体の発する特定の感情にも大きく影響を受け、その際も有害なものへと変質する可能性がある。


 この世界に必要だというならばどうして変質してしまうのだろう。


 ◇◇◇◇◇


 辺境領の瘴気溜まりの増加が著しいと皇宮に報告を入れて暫く、神殿から浄化部隊が派遣されたとの一報が入った。腰が重いと有名な連中が珍しく積極的に動いた理由は先日任命されたばかりの聖女にそれらしい箔をつけるためだと聞いてほとほと呆れた。肝心の浄化作業は遅々として進まず、不平不満を垂れ流すばかりの集団を尻目に案内役として付き添わされた俺と彼女が内密に行っているのが現状で。

 今日も今日とて本日分の作業を早々に切り上げていた浄化部隊に隠れて先んじて確認しておいた瘴気溜まりを2、3消滅させたところで見切りをつけ、這々の体で野営のため、設置しておいたテントに戻った。


「うぇ~、『聖女の覚醒イベントの一環』とはいえ、今回もまぁた聖女様に睨まれるのかぁ。人畜無害を徹底してる脇役牽制してどうすんだっつの。何?私が瘴気ばら撒いてるとでも思ってるんですかね、あの人」


 埃塗れの姿のまま、行儀悪く仰向けにベッドに倒れ込む彼女は疲労の色が濃く、指一本すら動かすのも億劫だと言わんばかりだ。

 戻る途中に出会ったあの聖女に因縁付けられたのが疲れを助長しているのが見て取れた。

 彼女の足元に跪き、紐を緩めて足からブーツを引き抜く。上半身をもぞもぞと動かしている様子からどうやらマントは自力で脱ぐ気らしい。そちらは彼女の自主性に任せて、ブーツをベットの足に立てかけて立ち上がる。タイミングよく、差し出されたマントを受け取ってブラシを掛け、砂埃が落ちたのを確認してからコートラックへとかける。世話をする方もされる方も慣れたものだ。


「単に報告より瘴気溜まりが少ないことを訝しんでるだけだろう。俺達が先んじて吸い上げているからな」

「そんなの仕事が遅いあっちが悪いんじゃん、責任転嫁すんなし」


 寝しなにいいカモミールティーを用意しつつ、彼女の愚痴を聞き、相槌代わりに返事をする。柔らかなハーブの香りを嗅いだお陰か彼女の怒りも戻ってきた当初より幾分落ち着いてきたようでほっとした。


「あの人達がやってるの瘴気化してない魔素溜まり狙って魔力だか神聖力だかをぶつけて散らしてるのが殆どであんなの直ぐ元に戻るし、未覚醒の聖女が出来る浄化っていっても毒化した水や土をほんのちょっと薄める程度なんだから……」


 ベッドに腰掛け、受けとったティーカップを口にしつつ、不満を漏らしている。

 それはそのとおりなのだが、魔素の瘴気化はこの世界の解決すべき命題にも等しく、聖女だろうが誰だろうが魔王が吸い上げる以上の効果は期待できない。それが現実であり、この世界の理だ。

 彼女も彼らに何の期待も抱いていないだろうが、出来ないことを出来ると言い張る神殿連中の見栄に付き合わされ、振り回されている現状は腹に据えかねるようだ。


「見廻るのは俺一人で十分だろう。お前が付き合う必要はない」

「何言ってるの。一人でやらせたら余計な魔素ごと吸っちゃうでしょ。君は」


 気遣う俺の提案は彼女のぐうの音の出ない程の正論に一刀両断に切って捨てられた。

 瘴気と化した魔素を判別する閾値は実はとても曖昧で、魔王という機構はその閾値をほぼ考慮しない。瘴気に反応したら纏めて吸い上げて溜め込む。実にシンプル、かつ大雑把。故に多くのものが瘴気を吸い込む過程で魔素まで奪われ、結果死に至ることになる。

 長年、魔王として稼働していた俺すら認識していなかったその事実を何故か彼女は最初から把握していた。


「魔王が世界の腎臓なら私は魔王の腎臓になるって決めてんの!」


 魔王に閾値を認識させ、瘴気のみを吸収するようコントロールするという無茶をやってのけた彼女は、瘴気化しきっていない魔素を分離させるという荒業を駆使して瘴気の回収のサポートをも行ってくれている。この二人がかりの共同作業を俺は結構気に入っていた。

 むん!と気合を入れて胸を張って高らかに宣言された彼女の覚悟に喜びと嬉しさが溢れ、同時に悪戯心が疼いた。


「ふむ、『魔王の』というのは唆られるが、そこは腎臓ではなく、心臓だろう?折角の熱烈なプロポーズだが、その台詞では『百年の恋も冷める』と返さざるを得ない」

「なっ!?そ、そういうふうに聞こえなくもないけど!!そーゆーつもりで言ってない!!」


 唐突な俺の言動は彼女の意表を突く事に成功したらしい。『誤解しないで』と珍しく泡を食ったように慌てふためく彼女の様子に胸がすく。


「そうなのか?それは残念」

「さっきは冷めるって言った癖に!」

「唆られるとも返したはずだが?」


 いつもやり込められてばかりの会話で優位に立てるのは思う以上に楽しい。

 戯れるような会話が続く中、遮るように彼女から漏れた欠伸がいい合図だった。いい加減夜も更ける。


「おっと、言葉遊びもここまでか。流石にそろそろ寝たほうがいいな」


 眠りにつく女主人のテントに男の従者がこのまま居座るのは体裁が悪すぎる。


「おやすみなさいませ、お嬢様」


 就寝の挨拶と共に踵を返した俺の背中に投げられた呟きを拾うことは叶わなかった。


「――――今更、言葉一つで冷めたりなんかしないんだよ。私の恋は」


 ◆◆◆◆◆


 魔王は本来決まった形を持たない。

 発生時に周囲の生命に適宜擬態し、群れに潜伏、同化しながら周囲の瘴気を吸収し、成長する。

 如何様な姿形であれども全て同一個体であり、総ての記憶と知識、経験を共有し、維持する。

 一世代に必ず一個体のみ発生し、同一世代に複数個体が発生することはない。


 そんなものが人の形を取ったとて所詮は紛い物に過ぎないのに何故ここまで心を砕くのだ。


 ◆◆◆◆◆


 聖女の偉業を祝う目的で皇宮で開かれることになった舞踏会に辺境公爵家まで招かれたのは爵位による名分でなく、実際にそれを行ったのが略々公女とその従者だったという事実を誤魔化すために他ならない。

 普段から領地に引き籠もっているため、『滅多なことではお目にかかれない公爵様ご自慢の深窓のご令嬢』との噂だけが独り歩きした我が公女様に群がる自称高位貴族令嬢や自称名門子息をいなし、未使用だったバルコニーに滑り込み、窓を閉じる。後ろ手に進入禁止に序に防音を施した結界を付与してようやく人心地ついた。


「これがお前の言っていた『悪役令嬢との邂逅イベント』というやつか。なかなかに凄まじいご令嬢だな」


 ドレスに宝石、化粧に至るまで赤で統一した目に痛い出で立ちの件のご令嬢は初対面だというのに恥も外聞もなく、俺の赤い瞳が気に入ったなどと宣い、『私に侍ることこそ貴方の栄誉になるのではなくって?』と露骨に勧誘してきた。少々……いやかなりネジの外れた残念な性格らしい。


「まぁね。前回は美形騎士にご執心だったから目ぇつけられないように騎士になって貰うの諦めたのに、今回は見目麗しい従者フットマン侍らすのが趣味になってるとか思わないじゃん!案の定、私の従者やってる君に色目使うし!!」


 ドカリと令嬢らしからぬ音を立ててバルコニーに設置されていたソファーに腰掛けて早々、鬱憤を晴らすかのように先程捌いてきた相手の中で最も手強かったであろう相手への称賛とも言える罵倒を口にする彼女の雄々しさが可愛いと思うのは俺の欲目だ。


「ああ!もうホント腹立つな!私は!必要だから従者やって貰ってんの!侍らして楽しんでるわけじゃないの!一緒にすんな!!」


 抑え切れない怒りとともにソファーに備え付けられていたクッションに向かって穴が空きそうな勢いで拳を見舞う姿にくつくつと喉の奥で押し殺した笑いが漏れる。


「必要とされているのは大変光栄だが、もう注目されようが関係ないのなら今からでも騎士になろうか」

「ふえ?個人的には今が慣れてるし、気に入ってもいるんだけど……危なくない?」


 俺の提案は彼女にとっては予想外だったらしく、間の抜けた返事と見当違いな心配が返ってきた。


「従者だろうが襲われるときは襲われる。騎士になれば帯剣が許可されるんでな。それは悪くないだろう?」


 別に剣など無くても彼女を守るのに特に支障はないが目立つ武器を持つだけで寄って来る不埒者が減るのは事実だ。


「ん~まぁ、君がいいならいいけどさ」


 いまいち納得はしていない様子だが、言質は取れた。


「ならば、騎士になる祝いと労いに一曲お願いしたいのだが?お嬢様」

「――――私、ダンスはそれなりだからね。足踏まれないよう気をつけなさい」


 バルコニーまで響いてくる会場の音楽に合わせて跪き差し出した手に軽い溜息と共に彼女の細い手が乗る。包むように握り、立ち上がりながら腕を引いて彼女を抱き寄せ、腰に手を添える。


「ああ、知っているとも。練習相手はいつも俺だったろう?」


 公式のパートナーこそ彼女の婚約者に譲る形になっているが彼女と一番踊っているのは俺だろうと自負している。彼女の癖まで熟知している俺の足に靴跡が付くことはない。その域に達するまでに既に散々踏まれたからだ。歩幅もタイミングも完全に合わせることが出来る。きっと彼女は俺以外とは上手く踊れない。そう断言してもいい。


「折角だから公爵家の騎士団の副団長に任命されているお前の婚約者だかの地位も奪ってやろう」

「へっ?ナニソレ!?いや、気不味いにも程がある!抑々、却って同伴させにくくなるじゃん!!それは却下!!」


 彼女にとっては寝耳に水のような告白だったようだが、そもそも公爵家の騎士になることも、その公爵家が誇る騎士団の副団長になることも既に公爵及び騎士団長から打診されていたことである。ただ主人である彼女が望まぬという理由で返答を保留させて貰っていたに過ぎない。

 伊達に騎士団の全ての訓練に参加し、団長を除く全ての団員から勝利を得ていた訳ではない。必要な外堀ならとうの昔に埋めている。


「名ばかりの婚約者を気遣う必要がどこがあるのかは判らんが、副団長であっても『護衛騎士として侍ることに問題はない』と公爵様にお墨付きは貰ってあるぞ?」

「うわぁ、嫌味なくらい隙がない!って一番危険なの君じゃん!魔王じゃん!!」


 踊る彼女の耳元で囁く。首筋まで真っ赤になった彼女の言う危険が何を指しているのか想像するだけで面白くて堪らない。


「ああ、護ってやるさ。魔王以外の総てからな」


 ◇◇◇◇◇


 『瘴気ミアズマ』。


 魔素が変質したもの。触れたもの総てを徐々に侵食し、対象が侵食の臨界点を超えた際、対象の性質を悪しきものへと変化させる。例を挙げるならば水や土は毒へと変質、動植物及び人間は魔物へと変貌する。

 動植物及び人間におけるこの変質は不可逆なものであり、変質を遂げた者は正常な者を敵視し、その生命を脅かすようになる。

 水や土の場合は聖女や聖者の持つ神聖力によって浄化が可能である。

 しかし、瘴気そのものを魔素へと浄化する術はないとされている。 


 瘴気の浄化が必要だというならなぜその重荷を彼ひとりが背負わなければならないのだろう。


 ◇◇◇◇◇


 皇室が昨今の瘴気の大量発生及びそれに纏る政情不安の原因が魔王であるとし、その討伐のために聖剣とそれに選ばれし勇者を求めているというのはこの国に住むものなら知らないものはいない。

 今回の式典は長きにわたる捜索がついに実を結び聖剣が発見されたこと、そしてその聖剣が勇者を選んだことを大々的に広めるものらしい。

 問題なのはその式典で勇者の洗礼を行う際に宝具を手向ける乙女役に我がお嬢様が選ばれてしまったということだ。曰く皇女、聖女に次ぐ身分の高い未婚女性だからとのことなのだが、彼女の表情を鑑みるに甚だ迷惑そうだ。

 今もこうして、皇室から贈られた祭服に着替えさせられた彼女と共に与えられた控室で洗礼の儀の開始を長々待たされている。


「当の魔王様はウチで平和に従者兼副騎士団長兼護衛騎士やってるんだけど。勇者も聖剣も要らないのに何を洗礼するっていうのさ」


 皇室の身勝手に利用されるのが我慢ならないというのがありありと見て取れる。

 そも、件の聖剣を見つけたのは公爵家が誇る騎士団だったし、台座から引き向いたのは魔王だ。魔王を殺す聖剣を魔王に探させ、魔王に引き抜かせるのはどう考えても本末転倒ではないかと思う。


「聖剣探してきたウチの騎士団への対応はおざなりだったくせに……こっちの功を労うのが筋ってものじゃないの!!なのに面倒事ばっか押し付けてきて!!」

「騎士団の件に関しては侯爵様の方から既に抗議を入れてあるそうだ。今回の面倒事に関しては……最悪、独立するとか言い出しかねないぞ。あの剣幕」

「お父様気ぃ短いからなぁ……どうやって宥めよう。今から憂鬱だよぅ」

「正直魔王なんかより余程恐ろしいからな、あの人は」


 実際、帝国から独立しようと思えば出来る程度には公爵家は強い。娘煩悩な公爵閣下は彼女を見世物にされるのを殊の外嫌うので今回のことについて激怒するのは目に見えている。魔王が滅ぼすまでもなく、この帝国は消えてなくなる気さえしている。

 揃ってこの後に待つ厄介な後始末を思い、辟易しながら嘆息していると彼女がなにかを思いついたような顔をして問うてきた。


「そういえばさ、聖剣引き抜いたの君なんだよね?あーゆーのって選ばれた人しか引き抜けないとか、魔王が掴んだらダメージ受けるとかってなってるもんじゃないの?」


 この、偶に彼女が見せる妙な知識の偏りとそれに纏る好奇心に振り回されるのも大概慣れたと思っていたがまた今回も唐突だ。


「ああ、アレが刺さっていた台座が魔力に反応する性質のようでな。一定量を送り込んでやったらすぐに抜けたぞ?あと魔王に何かしらの痛手がというのもないな。掴む分にはなんの支障もない」

「台座!?そーゆーのって聖剣本体が判別するもんじゃないの!?」

「刺されたことは幾度かあるが、握ったのは今回が初めてだからなんとも言えん。が、アレに意思があるようには思えなかったがな」


 聖剣を握った手応えを思い出しながら彼女の疑問に返答する。魔力の浸透率が思ったよりも高く、耐久力もそこそこありそうではあったがそれだけだ。特段特別な力を感じることもない。少なくとも俺と同じくこの世界の維持を司る機構の一部ということはなさそうだ。


(刺されたときにはそんなことはどうでもよかったからな……これもある意味、貴重な経験というやつか?)


「いや聖剣が勇者選ぶって言ってたじゃん!?じゃあ、今回選ばれた勇者ってなんなの?」

「それは知らん。大方、皇室のパフォーマンスとやらの一環なのではないか?」


 聖剣に選ばれたとされる男は皇室騎士団のホープと言われている輩で金髪碧眼の整った美貌でご令嬢方に大層人気があるらしい。家門もそこそこ有力で人気取りにはうってつけの人物ではあるようだ。


「い、一応、魔王を倒すための特別な武器ではあるんだよね?」


 なにか都合の悪いことを確認するような気まず気な顔で再度、聖剣について問うてきた。そもそも話を聞く相手を間違っている気もするが俺の所感を述べることにする。


「単純に魔力に対する抵抗力が高いから魔王に刺さりやすいというだけだな。それ以外は普通の剣と対して変わらん」

「なにそれ、聖剣て呼ばれる程、御大層なもんじゃないじゃん……そんなの玉羊羹つついて割る爪楊枝と大差ないよ。何でそんなの態々探しに行かせてんの、あの皇帝」


 頭痛を誤魔化すように額を押えて俺の返答に深い溜め息を返す。確かに公爵家の全精力を注いで探すような価値があるものかと問われると首を横に振るしか無い。まぁ、そこそこ強い剣であるとしか言いようがないからだ。

 そんなことよりも、だ。


「玉羊羹は判らんが、俺も同様に侮辱されている気がするのはどうしてだ?」

「え?何で私が君を侮辱しなきゃいけないの?何、玉羊羹?気になるの?私、アレ大好きなんだよね。渋茶に合うの。うーん、思い出したら久しぶりに食べたくなっちゃった。懐かしーなぁ」


 キョトンとした顔で返事をした彼女の顔にからかいや、嘲りといった悪意はない。それどころか、好物を口に含んだときに見せる融けたような笑みを浮かべている。


「さて、時間つぶしもそろそろお終いにしよう。気になってたこと全部聞いたし。嫌なことちゃちゃっと終わらせてくるから、いい子にして待っててね。すぐ戻ってくるから」


 そう言う彼女と共に控室を後にした。



 ホールの柱に凭れて勇者洗礼の儀を眺めながらその終了を待つこと暫し、漸く戻ってきた彼女は大層ご立腹の様子だ。


「ええい!なんで脇役に粉かけてくるかな、あの勇者ヤリチン!聖女と悪女の両手に花でいいじゃん!!十分じゃん!!まぁだ足りないってなら公女わたしじゃなくて皇女おひめさま狙えっての!!」


 宝具である短剣を手渡すだけだというのに執拗に触られたらしい。ハンカチでゴシゴシと手を拭きながら『あのキモい手ぇ切り落としてやりたい』と随分物騒なことを呟いている。


「ああもう!手ぇ貸して!!」


 唐突な要請に先程の呟きの実行命令だと判断し、徐に帯剣にかけようとした手を掴み取られた。


「すっごいキモかったから!君の手で感触上書きさせて!」


 両手のドレスグローブを引き抜かれ、そのまま握り込まれる。直に触れてみて漸く解ったが彼女は小刻みに震えていた。先程までの彼女の剣幕でその事実に気づかなかった自分がなんとも愚かしい。


「落ち着いてください、お嬢様。少しの間、お手を放していだだけますか。そのままではお辛いでしょう」


 縋るように徐々に力が籠もる彼女の手をゆっくり制し、俺の手と共に握り込まれていたドレスグローブを受け取り、自身のポケットに仕舞い込む。

 そして彼女の小さな手が余すこと無く俺の手の内に収まるように両手で包むように握り込む。


「これならばよろしいでしょうか?お嬢様。ご不快な点など御座いませんか?」

「ウン、ありがと。ホッとした。やっぱ君の手、温かくて落ち着くね」


 幾分穏やかになった彼女の表情に胸を撫で下ろしつつ、彼女の恐慌状態の原因を睨みつける。

 件の勇者とやらは彼女の言う通り、祭服姿の聖女と悪女に囲まれ、緩んだ顔を晒している。階上から勇者の姿を見つめる皇女の姿も見て取れた。聖女と悪女の相手をしながら皇女にさり気なさげに意味深な視線を送る、あの単純で解りやすいアピールに気づかないものなどいるのだろうか。

 なるほど、本当に噂通りの男という訳だ。


「二物は与えられぬとはよく言いますが、なるほど、あの男に与えられたのは顔だけのようですね」

「うん、さっきは狙えって冗談言ったけどさぁ。実際狙ってるとか思わないじゃん。何、あの身の程知らず。頭湧いてんじゃないの」


 侮蔑を含んだ視線と共に勇者好色漢を観察する。

 勇者色魔からの視線に答えるように階下へ足を運んだ皇女愚かな獲物とその足元に跪く勇者色情狂。その口元から察するに調子よく『魔王を倒してご覧に入れましょう』等と口説いているようだ。

 こちらとしては出来るものならやってみろといってやりたい。それは彼女も同感のようだ。

 包み込んでいた筈の手がいつの間にか、また強く握りしめられる形になっていた。


勇者最低男の扱う聖剣爪楊枝なんか掠らせもしないんだから」


 ◆◆◆◆◆


 (ああ、お前は知っていたんだろう。知っていたはずだ、でなければ俺を変えるなんてこと出来るはずがない)


 俺がこの世界における一つの機構だと自覚したのはそう遠い過去むかしの話ではない。

 最初期にははっきりとした輪郭も自我もなく、大体3000年程度の周期で発生・吸収・消滅を繰り返していたように記憶している。蘇りを経る毎に徐々に周期が早まり、1000年周期になった辺りで不定形のままでは支障を感じることが多くなり、適当な生命体の姿形及び生態を模写するようになった。だが依然として俺自身の自我は不明瞭で個としての意識はほぼないも同然だった。それは獣を模ろうと人を模ろうと変わらず、ただ在るが侭に発生と消滅を繰り返し、徒に時が過ぎた。そんな俺に強烈な我を叩きつけ、個としての自我を与えたのがお前だった。


 俺と生きたお前は君はいつも煌めく宝石のような瞳で俺に笑いかけた。俺を滅ぼすだろう聖女も俺を欲するだろう悪女も俺を殺すだろう勇者も関係なく、俺だけ見るお前が不思議でたまらなかった。俺だけが価値あるものだと信じるようなその眼差しが擽ったかった。生を繰り返す度、得るものの無かった俺に唯一注がれ続けたお前の眼差しが無性に嬉しくて。


 魔王を滅ぼす聖女おまえが主役じゃなくてどうする。

 魔王が欲する悪女おまえが悪役じゃなくてどうする。


 何度生まれ変わろうとも、何も変わらなかった世界がお前一人のせいでこんなにも変わってしまった。


 過去世も来世も関係ないと識った。識ってしまった。


 その瞬間。これが舞台装置の恋だった。


 ◆◆◆◆◆


 一段と濃い瘴気が満ちる森を一人奥へと進む。森の中心にある大樹が俺の墓標にして最終到達地点。過去、蘇る度に俺はこの森に死にに来た。連綿と積み重なった俺の死がこの森を作ったといっても過言ではない。ここの瘴気を全て吸収することで臨界点を超え、魔素を開放して無に帰り、また目覚め繰り返すのが魔王の役目。幾年流れようとも変わらない絶対の理。本能とも言えるこの行動をやはり今回も放棄できなかった。



 それでも思えば今回は随分と遠回りをした。人に拾われ、人として生き、人のように笑った。永く存在して来たというのにそんな過ごし方をしたのは初めてだった。面倒だと思ったことも多かったが興味深いことも多かった。いっそ知らなければよかったと思う程度には。



 感傷に耽る俺の耳が聞き覚えのある声を拾った。

 振り向いた先にいたのは何時ぞやに見た悪女だ。あの夜会以降、直接の面識は一切なかった筈だが何故こんなところにこの女がいるのか。

 血走った目で俺を見つめ、振り乱した髪で『ああ、私を選んでくださいまし、魔王様!さぁ、この世界を共に滅ぼしましょう?』と世界への怨嗟を叫ぶ悪女に一体何があったというのか。

 見れば瘴気塗れのこの森を歩くにはあまりに無防備な格好だ。既に瘴気に蝕まれきっていて、手の施しようもない。肌はどす黒く変色し、自慢の金髪も白く色が抜けている。誇っていた美貌はもう見る影もない。魔物に変貌するのも時間の問題だろう。

 特段興味もないがこのまま放置するのは少々忍びない。この森に満ちる瘴気ごと吸い上げる。悪女の体は音もなく塵と化し、風に霧散していった。

 


 俺の本性を突きつけられたようで不快だった。息をするように命を奪い、無へと帰すもの。ほんの一時、その在り方を忘れていただけだというのにこんな嫌悪感に苛まれるのか。すぐ先にこれ以上のことが控えているというのに。



 想定外の行動は無用な客をさらに呼び寄せていたらしい。

 目的地の眼前だというのに杖を中段に構えた聖女とそれを庇うように剣をこちらに向ける勇者の二人組が立ちはだかる。先の悪女への対応中にいつの間にか先回りされたようだ。彼女がいうにはもう少し後で追い縋ってくる筈だったが。

 『やはりそれが貴方の本性なのですね、魔王。神の御名において貴方を止めます!』と宣う聖女に『彼女には指一本触れさせない!!』と己の姿に酔う勇者。

 その全てが見当違いも甚だしく、ただ滑稽で笑いが漏れるのを禁じえない。彼女といるときは終ぞ感じなかった人間への諦観と失望が頭を擡げてくる。


(――――ああ、邪魔だ。鬱陶しい。殺してしまいたい)


 身の内に渦巻くドロドロとしたものを不快に思うのにこの負の感情すら彼女のお陰で抱けるようになったものかと思うと一概に否定できない。本当に可怪しくなってしまった自身を自覚して自嘲を含んだ溜息が溢れた。

 攻撃の構えを見せないこちらに焦れたのか、『これでも喰らえ!!』と叫んで、勇者が飛びかかってくる。自ら攻撃のタイミングを明かすのは悪手なのだがこの男はそんな事も知らないのだろうか。繰り出される攻撃全てが読みやすく、躱すことは造作もない。

 どうやっても埋められない力量差故に俺を殺せない勇者と思考に焼き付いた彼女の姿が不要な死を嫌うので、勇者を殺せない俺との千日手が出来上がる。

 徒に時が過ぎ、上がる息に限界を悟ったのか、勇者が捨て身で懐に飛び込む勢いそのままに心臓めがけて突きを繰り出してきた。


(――――このまま刺されてやればこの男は満足して引き返すだろうか)


 あまりのくだらなさに降って湧いた思考に囚われ、避けるのを止め、急所を外す程度に留める。

 剣尖が俺に届くその数瞬前、横合いから投げ込まれた高密度に圧縮された魔力の塊が聖剣の腹に直撃し、それをへし折った。


「――――掠らせもしないって言ったでしょ!何、面倒臭がってるの!?」


 膝から崩れ落ち、無残な姿を晒す聖剣を抱えて無力に喚く勇者の傍らに駆け寄る聖女の驚愕に染まった顔も俺にはもうどうでも良かった。


「攻撃用に魔力練り上げるの下手だって知ってる癖に、私にこんな無茶させないでよ!」


 乱れた呼吸を隠しもせず、肩で息をしながら叫ぶ彼女の姿に他の全ては有象無象でしかない。


「何で、私を置いて行くの!?馬鹿!!ひとりじゃないって言ったじゃない!!ずっと面倒見るって約束したでしょ!!」


 幼き日に交したあの口約束一つ守るためにここまで来たというその愚直さに絆された身としては苦笑を浮かべる他ない。


「この森の瘴気を吸収したら最後なんでしょ?さっさと終わらせて一緒に帰るからね!!」


 当然のように俺の手を引いて瘴気に染まった大樹の前に立ち、いつもと変わらず笑う彼女の度胸は称賛に値する。


「ちょっと量は多めだけどいつものことだし、君ならイケるよね!」


 そう言いながら彼女はいつものようにサポートの体勢に入る。

 彼女に促されるままに瘴気を吸収すると、黒く染まった森が艶やかな緑を取り戻し始める。永く存在し、幾度となくこの森を見てきたがこんな美しい姿は初めて見たように思う。瘴気に染まったおどろおどろしい姿と魔素を失い、死に絶えた姿しか知らなかったのだと気がついた。


(――――本当に知らないことばかりだったんだな……)


「この森こんな綺麗だったんだね!今度ピクニックにでも来ようか!!」

「そうだな、来れたら……いいだろうな」


 難しいコントロールを必死で行っているというのに変わらず軽口を聞いてくる彼女の気遣いも今回ばかりは特別に感じる。

 瘴気を吸収し始めてから数時間、漸く森の瘴気を吸収し終わると思われた瞬間、俺の中でパツンと何かが反発した。慣れた合図だった。


「どしたの?」

「ああ、どうやらこれが今回の臨界点最期のようだな。本当に世話になった。感謝している、お嬢様」


 急に動きを止めた俺を訝しげに見上げる彼女に不器用な礼を返す。

 予定調和といえばそこまでだがここまで名残惜しいものだとは思わなかった。


「きゅ、急に何言ってるの?そんなお礼、こんなタイミングじゃおかしいじゃん!!」

「おかしくはないだろう?解っていたはずだ。なぁ、お嬢様」


 俺の言葉が唐突に発せられたものでないのは彼女が一番良く解っているはずだ。彼女が現状の直視を拒むことをどこか嬉しいと感じながら諭すように話しかける。


「待って!ねぇ、待ってよ!違う!違うの!」

「お前ならきっと俺から溢れる魔素の奔流にも耐えられる。あそこで呆けている馬鹿共を連れて可能な限り遠くへ。あまり長くは抑えられないだろうから――――」


 そこまで言って、はたと気づいた。可怪しい。

 臨界点を迎えた際に起こる溢れるような魔素の湧き上がる感覚がない。過去世いつもと違う自身の状態に軽く混乱する。


「ねぇ……その手……どうなってるの?」


 彼女の震える指先が指し示す先、俺の左手はスルスルと金糸の様に解け、光になって霧散していく。

 その手を見ながら唐突に理解した。魔王という存在機構そのものの定義が書き換わったのだと。

 舞台装置から管理者へ権限が変更強化された。

 もう魔素はどんな事があっても変わらない。淀まないし、汚れることもない。従って瘴気が発生することもそれによって大地が汚れることも生命が魔物に変化することもない。

 何故なら俺がそうする。そうすることが出来る。


(――――この世界にもう魔王は生まれない)


「こういうのをお前の世界ではバグるというのだろう?」


 大気に溶けるように消える俺を留めようと掻き抱くように縋る顔は既に涙と鼻水でグシャグシャで。拭ってやりたいと思うのにそのために必要な腕はもう俺には残っていない。


「嫌だ。嫌だ。嫌だよう。なんでこうなっちゃうの?こうなりたくなかったから頑張ったのに」


 唯一自由になる首を使って彼女が俺を拾ってくれたあの幼い日のように目を閉じて額と額を合わせた。数秒、懐かしく感じるほのかな温みを名残惜しく思いながら顔を離して目を開ける。思い出の中の彼女のように無邪気に破顔は出来ないが精一杯の笑みを君に贈ろう。


おめでとうありがとう。お前の願い約束は果たされた」


 ◇◇◇◇◇


 (ねぇ、君は覚えていてくれたかな。覚えてくれてるよね、だって忘れることが出来ないって言ってたもん)


 私が君に出会ったのはあの爆心地が初めてじゃない。


 私が物語の脇役令嬢になってしまったと認識したのはもう思い出せもしないほど過去むかしの話。

 流行り物のテンプレよろしく、勇者ヒーロー聖女ヒロインを中心にまわるストーリーを書き換えてやればどうにかなるだろうと高をくくって行動を開始したのはいいものの、実際は何をやっても失敗の連続で終末を回避するには至らなかった。

 どうしようもない無力感と自分への失望感に苛まれながら迎えた終わりは私にとっては始まりに過ぎなかった。


 聖女のお付きになって君を諭そうとしたこともある。

 悪女の取巻きになって君を御そうとしたこともある。


 何度やり直しても上手く行かなくて、魔王の死と同時に私はあの生を繰り返し続けた。


 私の出会う君はいつも曇ったガラス玉のような瞳で虚空を見ているばかりだった。君を諭そうとする聖女も君を御そうとする悪女も、汎ゆる物が総じて無価値だとでも言いたげで。その無価値なものに私が含まれているのが許せなかった。私を見もしない君の瞳が無性に苛立たしくて。


 君の瞳に私が映るのを見たいと思った。思ってしまった。


 あの瞬間。私は舞台装置に恋をした。


 ◇◇◇◇◇


 目を開けて最初に見たのは見覚えがあるようでない真っ白な天井だった。それもそのはず、友人宅のリビングの天井なんて記憶してる人がいたら逆に見てみたい。

 私が横たわっていたソファの前にあるコーヒーテーブル上のノートパソコンのモニタは未だ点灯していて私が意識を失ってからそう時間が経過していないことを示していた。


(久しぶりに遊びに来たら彼女の書いた小説の感想頼まれたんだったっけ……)


 差し出された小説を一息に読破した後、眼精疲労気味の目を休ませるために閉じたはいいがそのまま寝入ってしまったらしい。眠りながら泣いたのか、目の周りと頬に引き攣るような感覚がある。不快感をどうにかしたくて少し強めに目元を擦った。


「どーよ!私の処女作!!読み切りにしては面白くなかった?」


 明朗な声とともにキッチンとリビングを隔てるドアを乱雑に開けて親友が入ってきた。どうやらコーヒーを入れてくれたらしい。屈託のない笑顔で差し出されたマグを受け取り、一呼吸置いてから口をつける。一口嚥下して溜息をつく。やはり彼女は私以上に私の好みを理解してくれている。常人が飲むには甘すぎるくらい砂糖多めのコーヒー。


(――――彼みたいだ)


「ウン、荒削りって感じだけど悪くなかったよ。ただ――――」


 覗き込んだコーヒーマグから立ち上る湯気が温かく優しく乾いた頬を刺激して何故だかとても目が痛かった。


「こんなかなしい別れエンディングはもう懲り懲りかなって」


 強がりと一緒に溢れた雫が一つ、甘くて苦いコーヒーに吸い込まれて溶けた。

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舞台装置の恋 秋人聖 @fall-saints

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