第14話

 ミツキはグループ内でも有名なファンのひとりだ。ウル・ラド結成当初から応援してくれている女性で、デビューしたての頃の地方巡業でもその姿を見ないときはなかった。

 人気が出てチケットが取りづらい状況になってからもライブツアーは全公演参加(すべての会場のプレゼントボックスに彼女からのプレゼントが入っていたことから明らかになった)、ファンクラブイベントや握手会はもちろん、リリース記念イベントや観客を入れてのテレビ収録現場、海外公演に至るまでありとあらゆる場所に現れるという猛者である。

 どんな生活をしているのかは知らないが、見た目からして自分たちとそれほど変わらない年齢だ。学生にしろ社会人にしろ、よく金と時間があるものだとタビトは思っていた。

「ヤヒロってば知らなかったの?ずいぶん前から付き合ってるのに」

「なんだよ……知らなかったの俺だけ?」

「いや、俺も知らなかったよ」

 ペットボトルの蓋を捩じ切りながらアキラが言い、丸椅子にまたがるように座る。

「タビトは?」

「……知らなかった」

「このあいだも関係者に混じって撮影現場に来てたじゃん。もう……みんな自分の顔にしか興味がないんだから。ま、とはいえ彼女も変装してたからね……よく見ないとわかんなかったけどさ」

 セナがあきれたように言うと、なにかがぶつかる硬質な音が楽屋内に響いた。一斉にその方を見れば、ユウがこちらに背を見せたまま俯き気味に立っている。

 床にはペットボトルが転がっていた。どうやらさっきの音はこれを壁に投げつけた音らしい。

 ユウは何度か相手に呼びかけたあと、スマホを耳から離した。一方的に切られてしまったようだ。タップしてもう一度掛け直すも繋がる様子はない。何度かそれを繰り返したのち諦め、スマホをテーブルに放る。

 床に転がったままのペットボトルを拾い上げ、椅子に腰を下ろしたユウは団子のように固まっているメンバー達を見た。

「ごめん」

 そう一言のみ口にすると、唇を噛み締めて俯く。

 その姿を見て一番最初に動いたのはアキラだった。ヤヒロも続き、セナとタビトも彼の元に近寄る。アキラはユウの隣に座り、彼の丸まった背中に優しく手を添えた。こういうときいつもからかうのがヤヒロだが今日はやけに神妙な顔をして、珍しく何も言わない。タビトはというと、困惑した様子でメンバーたちを見守るばかりだ。

 ユウとミツキの関係をずっと知っていたからだろうか、セナだけがいつもと同じような軽いテンションで言った。

「めんどくさい女だったんでしょ。だからやめとけって言ったのに」

「……うるさい」

 洟をすすって、前髪の隙間から睨む。赤く滲む瞳を一瞥し、セナはなおも続けた。

「だって、もともとタビトのファンだったのにさ。ユウの方が自分に気があるってわかったとたん心変わりするなんて碌なやつじゃないと思ったよ」

「え、箱推しじゃねえの?いつも全員にプレゼントくれるのに」

 ヤヒロがようやくいつもの調子で言う。

「違う違う。みんな本当にわかってないんだなあ」セナは首を振り振り言いながらタビトを見上げ、「タビトはさすがにわかってたよね?」

「うーん……サイン会のときにメンバーのなかで一番好きって言われたことはあるけど、誰にでも言ってるんだろうと思って本気にしてなかったな……」

「みんなミツキのSNSチェックしてないの?ユウと付き合い始めるまでタビトの写真ばっかりアップしてたんだよ?」

「隠し撮り?」

「そう。宿舎の前でファンが待ち伏せしてたでしょ?ミツキはいつもあの中にいたよ。気づかなかった?」

「確かに何人かいつもいたけど……写真撮られるからそっちに顔向けないようにしてたし、わかんないよ。おまえよく見てるな」

 タビトが感嘆半分あきれ半分で言うと、セナより先にアキラが口を開いた。

「付き合い始めたのっていつ?」

「……半年くらい前」

 ユウが答えると、アキラは思案顔で黙り込む。全員が沈黙したその瞬間を待っていたかのように、着信音が鳴り響いた。

 ユウのスマホだ。彼はテーブルに放ったままであったそれをひったくるように掴むと、即座に応答ボタンをタップし耳に当てた。その一連の行動に、メンバー全員が通話の相手を悟る。セナが盛大な溜息をついて、付き合いきれないといったように楽屋を出て行った。

 セナが楽屋に戻ってきたのはそれから30分ほど経ってからで、ホズミも一緒だった。彼はまだ衣装のままでいるタビトらを見て目を瞠る。

「どうした。まだ着替えてないのか」

 腕時計に目を落としながら両手の荷物を置くと、急かすようにアキラの肩を叩く。

「さっさと支度しろよ。21時から社長と約束があるんじゃなかったか?」

「……うん。すぐ着替える」

 沈鬱な表情を笑顔で消すと、横のヤヒロの服の裾を引く。やれやれと彼は立ち上がり、まだ彼女と話を続けているユウのスマホをひょいと取り上げて耳にあてた。

「もしもし?ユウはそろそろ仕事に戻る時間だから。じゃーね」

 相手の返事を待たずに通話を切る。唖然としているユウにスマホを投げると、

「さっさと着替えろよ」

 言い捨て、自分も衣装のジャケットを乱暴に脱ぐ。

 私服に着替えた者からひとりふたりと楽屋を出ていくなか、ユウはメッセンジャーアプリでやりとりしているようで、なかなか着替えが進んでいない。タビトは途中まで彼のペースに合わせていたがあまりに遅いのでしびれを切らし、先に行くと告げて廊下に出た。

 あのミツキという女……最後に会ったのは確か、前回のサイン会のときだ。

 いつも通り名前の横にハートマークを描いてくれとせがんだり、新曲のあのフレーズがかっこいいだとか、振り付けに関する感想などを話してくれたことを覚えている。とにかくよくしゃべる子で、長い時間居座ってスタッフに注意されてもなかなかどかない。

 迷惑行為ギリギリのラインではあるが、メンバーに危害を加えたり嫌がらせをするわけではない。なにより各イベントやライブで彼女ひとりが落とす金額はかなりのものであり――スタッフもミツキの行動に眉をひそめることはあってもあまり強くは言えないようだった。ミツキはもうただの「ファン」ではない。ユウの女という肩書きを手に入れた彼女に物申せる者は、もう誰もいないのではないだろうか。

 それにしても、いつのまにユウと関係を持ったのだろう。デビューしてから、ミツキの名前はメンバーの中で度々上がっていたが、ユウの口からその名前を聞いたことはないと記憶している。

 元々無口であるし、なによりファンのことを裏でああだこうだ噂するのは嫌いらしかった。こういう男であるからさぞファンを大事にしているように見えるが実際は違い、その態度が原因で何人ものファンを泣かせたことがある。なぜアイドルになったのかメンバーすら疑問に思うほど愛想がなく冷たいのだ。塩対応で有名な彼が一人のファンにそこまで肩入れしていたというのは意外だった。

 悶々と考えながら地下駐車場に行くエレベーターに向かって歩いていると、いきなり後ろから肩を掴まれ引き留められた。驚いて振り向けば、アキラである。彼はタビトの耳に唇を寄せ、「ミツキのことだけど」そう早口に言ってから、逡巡しているかのように黙り込んだ。

 タビトはアキラを横目で見て、次の言葉を待つ。彼は、アキラが何を言うつもりなのかなんとなくわかっていた。

「あのふたりが付き合ったタイミング……俺たちが一人暮らしを始めたときと被ってるよね」

 確かにそうなのだ。

 半年前の初夏の頃、宿舎から退居する前にメンバー全員で大汗をかきながら掃除をし、そのあとにアキラのおごりで焼肉を食べに行った。帰りにコンビニでアイスを買って、誰もいない公園でみんなで食べた。昨日のことのように覚えている――タビトにとっては本当に幸せな時間だったのだ。この幸福な時間の延長線上にトラブルの気配があるとは、そのときは微塵も思っていなかった。

 ひとり暮らしするとなれば当然、女性を自宅に招き入れやすくなる。宿舎暮らしの終了がふたりの距離を一気に縮めるきっかけとなった可能性は否めない。

「ここから話すことはユウには黙っておくんだよ。いい?」

 思い出から引き戻された彼が神妙な面持ちで頷くのを見ると、アキラは低く言った。

「ユウは使われたのかもしれない。ミツキはタビトの情報を聞き出すためにユウに近づいたのかも……念のため気を付けて」

 アキラの推測する通り、ユウに近づいたのが彼女の計画だとしたら、それは狙った以上の大成功を収めているといえるのではないか……なぜなら今や彼女は、関係者に混じって撮影現場にまで侵入することができているのだから――

「ユウが付き合ってたこと、アキラは怒ってないの?人気が安定するまでは恋愛しないようにしようって言ってたのに」

「怒ってないけど……女絡みのスキャンダルのリスクを背負ってるって考えると、おもしろくはないね。あの子が相手となるとちょっと面倒なことになりそうだし」

 アキラがタビトの腕を取り歩き出す。引きずられるような格好のまま、タビトは彼の横顔を盗み見て密かに背筋を震わせた。怒っていないなどと言っていたが、静かな怒りがその瞳に燃えている。この感情の矛先はたぶん、ユウではない。

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