第13話

 ホズミへの返信を考えていると、髪にしっかりと寝ぐせをつけたシュンヤがリビングに入ってくる。それを見たチカルは自分の髪に指を通した。彼を笑えないほど寝ぐせだらけなのがわかる。髪を乾かさないままベッドになだれ込んだ昨晩の自分たちを想像し、思わず溜息が漏れた。

 朝の挨拶もそこそこに冷蔵庫を覗きながら腹が減ったとわめくので、仕方なく、目玉焼きとチーズトーストを用意してやった。

「半熟がいいって言ったのに」

 固い黄身をフォークでつつきながら、シュンヤが不満そうに口にする。

「次から自分で作ったら?」

 チカルはスマホに視線を落としたまま素っ気なく答える。先ほどから綴っては消し綴っては消し……ホズミへの返信に悩んでいた。

 頬肘をついていつまでも黄身をいじっているシュンヤは視線だけをチカルに向ける。

「さっきからなにしてんだよ……真剣な顔しちゃって」

「んー…」

 曖昧な返事をする彼女を軽く睨んで、トーストにかぶりついた。チーズがついた唇を指で拭って、フォークで黄身を乱暴に突き刺す。そうしながら彼は再度問うた。

「仕事?」

「うん……」文面が決まったのか淀みなく指を動かしながら続ける。「2日から出勤するかも」

「2日って、1月2日?」

「返事が来ないとまだわからないけれど」

 メッセージを送信し、スマホをテーブルに置いてシュンヤを見た。視線の先の彼はあきれたような表情をしている。

「利用者が来いって言ってんの?」

「いいえ。私から申し出たの」

「はあ?」

「だって初詣にも行かないし暇だから……シュンヤも2日はいつもの友達と新年会でしょう?」

 新年会は毎年恒例だ。年が明けるとすぐに友人宅で行われ、たいてい一泊することになる。

 チカルはその友人を知らない。毎回大量の酒とオードブルを携えて出掛けるのだから複数人だろうとは思うが、訪れる家の主が男か女かもわからない。集まる人々が会社の仲間なのかプライベートでできた友人なのかすらも教えてもらえていなかった。

 シュンヤは詮索を嫌う。チカル自身もそうだ……だから彼の気持ちを尊重し、こちらの問いに対し言葉を濁されたときは、それ以上訊かないようにしてきた。

 気にならないと言えば嘘になる。疑心と不安に駆られ、問い詰めたくなるときもある。明確な証拠を突きつけて説明を求めたいと思うことだってある。

 それをやらないのは、いや、できないのは――

「暇を持て余すくらいなら働いていたいの」

「新年会、行く予定ないけど」

 シュンヤが射貫くような目でチカルを見つめる。

 そのとき、彼女のスマホが鳴動した。ホズミからだ。彼女は液晶画面をタップし、メッセンジャーアプリを開く。

「そうなの……わかった。でも私は仕事になったから。ごめんね」

「三が日から行かなくてもいいじゃん。断れよ」

「私の仕事に口出ししないで。シュンヤ……昨日からちょっと変よ?」

「変?変なのはそっちだろ」

 フォークを皿の中に置き、彼は真剣な顔でチカルを覗き込む。

「もう辞めちまえ。もともと反対だったんだ、あんな仕事」

「今さらよしてよ……」

「俺の稼ぎだけで暮らしていけるんだし、そんなにあくせく働くことないだろ。欲しいものがあるならなんでも買ってやるから」

「馬鹿にしないで」

「なんで馬鹿にしてるように聞こえるんだよ」

「――わからないの?本当に?」

 悲しみと怒りがチカルの胸を満たす。込み上げてくる言葉をぐっと呑んで、視線を外した。

 そんなチカルを睨むように見つめたまま黙って立ち上がると、シュンヤは皿をキッチンに下げてリビングを出ていく。しばらくしたあと、玄関のドアが閉まる音がした。チカルは浅い呼吸のまま、白くなるほど握りしめた拳を見つめる。

 静まり返るなか、スマホが軽快な音を立てる。

 苦悶の表情を滲ませたまま目を閉じた。しばらくしてまぶたを上げると、氷のように冷たい指を伸ばしメッセージを開く。

 “先ほど埜石に伝えましたところ、那南城さんのお心遣いに大変喜んでおりました。何卒よろしくお願いいたします。”

 泣きたいような気持ちになったが、まぶたの裏が熱くなるばかりでやっぱり涙は出ない。彼女は乾いた瞳のまま立つと、キッチンに放置された皿を洗い始めた。



 正月特番の収録を終えて楽屋に戻ると、メンバーのユウが通話相手となにやら真剣な顔で話し込んでいた。

 タビトは彼から離れた鏡の前でネックレスなどの装飾品を外しながらなるべく聞かないように努めたが、どうやら口論となっているらしく声のボリュームが徐々に大きくなり、嫌でも耳に入ってきてしまう。

「さみしい思いさせてるのはわかってるって!でもいますごく大事な時期だって前にも話したじゃん」

 相手は感情的になっているのか、受話口から漏れる声がこちらにまで聞こえてくる。甲高い女の声だ。ユウの方も怒鳴るとまではいかないがかなり頭に血が上っているらしく、語気が荒い。彼はそれほど気が長いとはいえないが、普段はクールで口数も少ない方だ。こんなに早口で捲し立てている姿を見たのは初めてかもしれない。

「そうやって俺のこと試すのやめろよ。――だから……いい加減にしろって」

 ぞっとするほど低い声で言うので思わずユウの方を見た。そのときドアが開いて、ヤヒロが騒がしく入ってくる。その後ろにアキラとセナが続いた。

「うっせえな。電話してんだけど」

 スマホから耳を離し、ユウがヤヒロに言葉を投げる。いきなり言われたヤヒロは声を詰まらせ驚いた猫のように目を丸くしている。アキラが手元のスマホから顔を上げてユウの方を見た。それからタビトに視線をずらす。

「どうしたの」

 顎でユウを示す。恋人との痴話喧嘩なことは間違いないが、タビトは素知らぬふりをした。アキラは、アイドルが恋人をつくることに対してあまりいい顔をしない。どちらかというと反対の立場だ。ユウが隠しているとしたら、下手なことは言えない。

 そんなタビトの首に腕を回し、ヤヒロが耳打ちする。

「なんだよあれ……感じ悪ぃな」

「たぶんミツキでしょ。最近もめてるみたいよ」

 タビトの気も知らずにセナがあっさりとそう言うと、ヤヒロの顔に動揺の色が広がる。彼はセナに顔を寄せると、ひそめた声に驚愕を滲ませた。

「はあ?!ミツキってあのミツキ?あいつと付き合ってんの?」

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