第4話

 社長への報告会は1時間ほどで終わった。

 このあとは新曲のダンスレッスンが待っている。彼らは社内のロッカーで動きやすい服に着替え練習室に集まった。そこには「オールドキングスタジオ」のプロダンサーの面々がすでに待機している。

「タビト。待ってたよ」

 ストレッチしていたユリアに声を掛けられた彼は、疲れを隠していつも通りの笑顔を返す。

 ユリアはオールドキングスタジオ屈指のプロダンサーだ。数々のダンスコンテストにて優勝するほどの実力の持ち主で、最近では有名アーティストのミュージックビデオに出演して話題になった。

 しかし本人は周囲の注目などまるで他人事だ。世間の強い関心を集めているというのに積極的に自分を売り出そうとはせず、これまで通りにオールドキングスタジオが運営するキッズダンス教室で講師をしている。

「すごく忙しくしているみたいじゃん。振り付けは覚えられた?」

「だいたいは」

 言いながら手に持っていたモッズコートをソファに投げ、ユリアの傍にあぐらをかくとバックパックを開いた。体をほぐしながらそれを眺めていた彼女にキャラクターの描かれた紙袋を差し出す。

「去年借りたゲーム。なかなかできないから、返すね。ありがとう」

「かわいい袋を出してくるから何かと思っちゃった」笑いながら言って受け取る。「私はもうクリアしたし、急いで返さなくてもいいのに」

「借りたまま忘れちゃいそうだからさ」

 ファスナーを閉め、軽やかに立ち上がる。ユリアは紙袋をまじまじと見て、

「この犬のキャラクター、見たことある。なまえなんだっけ……いま流行ってるよね」

「あ、モニピポじゃん。懐かしい」

 そう言って彼女の手元を覗き込んできたのは、振付師のテオだ。タビトは瞳を輝かせて問う。

「知ってるの?先生」

「もちろん!小学生くらいのときだったかな、女子のほとんどがこのキャラクターのグッズ持ってたよ」

 小さな帽子を被った犬のキャラクター「MoniPipo」は40年以上前に海外で流行していたアニメの主人公だ。30年ほど前に日本でも放映され、ちょっと間の抜けた見た目の愛らしさが多くの子どもの心を掴み人気を博した。

 アニメだけでなく映画も制作され一大ブームとなったものの、時と共に人気は下火に。その頃には海外でも過去の存在となっていたため新たなコンテンツが提供されることもなく、モニピポは時代の流れの中に姿を消したのだか――近年、レトロコレクションとして復刻したグッズがインフルエンサーの目にとまったことをきっかけに関心が集まり、若い層を中心に人気が再沸騰しているのである。

「もう20年以上前になるか……当時の熱狂ぶりは端から見ててもすごかったよ。いろんなところでキャンペーンやっててさ」

「先生は興味なかったの?」

「なかったなあ。姉ちゃんが好きだったからちょっと知ってるくらいで」そう答えた彼はふいに小首を傾げ、宙に視線を投げる。「――そういやあの大量のグッズどうしたんだろ」

 するとそれを聞いたタビトが飛び上がり、鼻息荒く彼に迫った。

「俺、モニピポのファンでグッズ集めてるんです。もしいらないのがあったら買い取らせてください!」

「まだあるかな……嫁に行くときに部屋を掃除してたから、そのとき処分しちゃったかも。ま、今度会ったときにでも聞いといてやるよ」

 嬉しそうなタビトの髪をぐしゃぐしゃと掻き混ぜひとしきりじゃれ合った後、テオはみんなの方に振り向く。

「よーし!始めようか!」

 手を叩いて促し、爽やかに笑った。

 オールドキングスタジオは素人向けのダンス教室を主軸とした企業だが、楽曲のコンセプトに合った振り付けの考案やプロダンサーのキャスティングも請け負っている。

 プロダンサーのユリアと振付師のテオとはウル・ラド結成当時からの仲だ。新曲リリース時やライブでバックダンサーが必要なときなど多方面に渡って世話になり、力を貸してもらってきた。特にテオが考案した1stシングルのミュージックビデオの振り付けはメンバーも気に入っており、サビ部分を彩るプロダンサーとの群舞は圧巻だとファンの間でも評判だ。

「まずは、4thシングル『DYING TO KNOW』発売決定おめでとう。今回のミュージックビデオのコンセプトは“夢と現実”ってことで……それをイメージしてざっくり構成を考えてみたけど、踊ってみてどうだった?」

「イメージ的にはぴったりです。でも、通して踊ってみると歌うパートの関係でうまく連携が取れないところもあって」

 テオの質問にそう答えたのはアキラだ。

「Cメロからラスサビにかけて、一気に盛り上がる部分だろ?あそこは歌うパートが細かく分かれてるから、移動のステップが多くなるんだよな。君たちはこのあたりの兼ね合いが難しいね……メンバーがもっと多ければ違う魅せ方でカバーできるんだけど」

 困ったように笑って腕を組んだテオは、穏やかな声で言葉を続ける。 

「歌割りにこだわらないフォーメーションなら立ち回りが楽になるしもう少し余裕が出ると思う。それか、振り付けをもっとシンプルなものに変えてカメラワークに頼るのも手だ。そうすることのデメリットとしては……ライブで披露したとき迫力に欠けるかもしれないってことかな。まあ、その辺は演出とかライティングでそこそこカバーできると思うけどね。……さて、どうする?」

 ヤヒロは横目でアキラを見た。この楽曲の作詞作曲は彼なのだ。

 視線を感じてもそちらに振り向くことはなく、アキラは静かに言った。

「今のままの振り付けでお願いします」

「よし、わかった。コツを掴むまできついだろうが、がんばれよ。君たちならできるさ」

 ただでさえタイトなスケジュールだ。振り付けを覚えやすいものにしたいのはやまやまだが、その妥協を一部のメンバーが許さないのをヤヒロは知っている。ダンスに関しては特にタビト――ストイックな努力家である彼が、見劣りするとわかっていて振り付けの変更に納得するはずがなかった。

 ヤヒロはタビトに視線をやる。思った通り、彼はすでに鏡の前に座って入念なストレッチを始めている。セナとユウに関しても、今回の決定に異論がないことは一目でわかる。分刻みのスケジュールのなかでダンスの練習をしなければならないことに焦っているのは、自分とアキラだけだろう。

「アキラ。どうしても無理だったら言えよな」

「なにが?」

「忙しすぎて次のアルバムの曲づくりにまだ取りかかってないんだろ。ダンスの練習に時間を取られすぎるようなら、振り付けを変更してもらおうぜ」

「平気だよ」

「おまえさあ、いつもそうやって言うけど……」

「レッスンで足を引っ張ってんのは俺とヤヒロだけでしょ」シューズの紐をきつく結び直しながら言葉を継ぐ。「俺たちがあの3人に遅れを取らなきゃいいだけ。やるって決めたんなら、ヤヒロも本気になってよね」

 レッスンは2時間の予定だったが、テオとユリアは他のダンサーが帰ったあとも残り、根気強く指導してくれた。

 途中で食事や休憩をとりながら練習を続け、解散したのは夜の10時。練習室の鍵を閉めると、彼らは棒のようになった足を引きずるようにして1階のオフィスへ向かう。

 事務仕事をしながら待っていてくれたホズミは、疲れ果てているメンバーを見るなり慌てて帰り支度をし各々の家に送り届けるために急いで車を出してくれた。天鵞絨ビロードのような夜と心地よい揺れにつつまれて、全員すぐ夢のなかだ。



 マネージャー兼ボディーガードであるホズミは仕事が早い。

 家事代行の件でもその有能ぶりは遺憾いかんなく発揮されている。タビトから相談を受けた翌日には家事代行とハウスキーパーの斡旋サービスを生業なりわいとする「株式会社サフェード」のプランナーをタビトの家によこす手配が済んでおり、当日に向けての仕事の調整も完璧であった。

「ご依頼の内容ですが、洗濯と掃除、日用品や食料品の買い出し……でよろしいですか?」

 ぱりっとしたグレーのスーツを着こなしたプランナーが、愛想よく笑う。向かい合わせに座っているタビトはリラックスした様子でにこやかに頷きつつ言った。

「宅配便の荷物とクリーニングの受け取り、アイロンがけ……あと、ゴミ出しもお願いしたいです」

「かしこまりました。では――お食事の準備等はいかがいたしましょう?作り置きなども対応しておりますが」

「帰宅時間が不規則ですし、外食も多いので結構です」

「他にご要望はございますか?」

 問われ、タビトはすこしためらう様子をみせたが、視線を上げる。

「ファンからもらうプレゼンとファンレターがたくさんあるので……それの整理もお願いしたいんですけど」

「かしこまりました。善処いたします」

 善処ということは前例がないということか……イレギュラーなことを頼むとなると予算を越えてしまうかもしれない。見積りが跳ねあがればホズミはいい顔をしないだろうが――部屋が散らかる一番の理由がこれなのだから仕方がない。

 オフィシャルホームページからの応援メッセージが圧倒的に多く、紙で送ってくれるファンは減ったがそれでもかなりの枚数だ。保管作業を手伝ってもらえたらこれ以上ありがたいことはなかった。

「プレゼントや手紙に関する作業は前例がございませんので、担当スタッフに万全を期すよう指導いたしますが……万が一ご満足いただけない場合はすぐにお申し付けください。スタッフチェンジは即日可能ですので」

 タビトに絶えずほほえみかけながら、彼は朗らかな声で続ける。

「その他の作業におきましても、担当が記入する報告書の内容などをご確認していただきまして……なにか問題やご不明な点がありましたら、お手数ですがこちらまでご連絡いただきたく存じます」

 手で指し示された先、カスタマーサービスの電話番号を目で追いながら、タビトは落ち着いた声音で問うた。

「スタッフチェンジが即日可能っていうのは、指示通り片付けられてなかったり汚れが残ってたりしたときにすぐに連絡すれば、当日中に掃除のやり直しをしてもらえるってことですか?」

「さようでございます。作業内容に納得していただけない場合、お客様のご都合がよろしければ当日中に別のスタッフを派遣させていただいております。その際の追加料金はもちろん頂戴しません」

「わかりました。ありがとうございます」

 その後も細かく内容を詰めながら確認すると、プランナーは見積りを置いて帰っていった。まだ14時、次の仕事まではあと2時間ほどある。時間を持て余した彼はリーフレットなどに改めて目を通しながら遅めのランチを摂った。

 タビトは食べることが好きだ。だが、痩せ体質のヤヒロやユウとは違い、彼は食べたら食べただけ素直に脂肪がついてしまう。

 水泳部上がりのがっしりした体形だったためか薄く贅肉がついただけでかなりの貫禄かんろくが出てしまい、デビュー当時は激しいダンスの最中に衣装のボタンや飾りが弾け飛ぶこともままあった(担当スタイリストはそんなことがないように補強をしてくれていたが、それでもだ)。それを見たファンからデブと笑われたこともある。

 ダイエットを決意したとき、まずは水泳部時代の食事量で大きくなってしまった胃を小さくすることから始めたが――最初は気が狂いそうだった。それでも続けたのは逞しい体つきや太っている姿はファンの望むものではないと知ったたからだ。

 タビトはファンを失望させたくない一心でダイエットに励んだ。厳しい食事管理、有酸素運動、そして適度な筋肉トレーニングを継続したことでだいぶ線が細くなり、現在もその体形をほぼほぼキープしている。

 ファンのためと努力し続け早2年――新曲発売を3月に控え、彼は再び食欲と戦っていた。オフのときは炭水化物もジャンクフードもあまり気にせずに食べ、食べすぎたと感じる日はきつめの運動をするようにして体重を調整しているが、新曲リリースの直前直後は雑誌の撮影やテレビ収録などで露出が多いため、体形維持やむくみ防止のために大麦や玄米以外の炭水化物はほとんど食べない。この期間は更にストイックに管理し――自分がより美しく見える肉体づくりをしていく。

 タビトの場合は筋肉をつけすぎないことや、標準体重をわずかに下回るくらいの体重をキープするのが目標だ。顔の輪郭が少しシャープになるだけで、写真にうつったときの見栄えがよくなる。少しくらい太ったところでいくらでも修正はしてもらえるし問題はないが、なるべくありのままの自分の姿をファンに届けたかった。

 それゆえにこの時期の昼はいつも少量のオートミールがメインだ。あとはゆで卵、バナナ、ヨーグルトなどを気分によって選んで食べ、足りなければドライフルーツやナッツ、茹で野菜、チーズなどをつまんで終了。

 朝はプロテインを飲むか、でなければボイルした鶏むね肉のサラダとフルーツ。夜ご飯はだいたいコンビニで済ませるが、白米や麺類の誘惑を跳ね除けて、サラダを買う。足りないときは豆と野菜のスープなどの水分多めの食事で空腹を紛らわせ、帰宅後体力に余裕があれば軽く筋トレをし、プロテインを飲んで寝る。リリース後はハードなスケジュールが続き体力的に厳しくなってくるため、週に何度かは玄米やもち麦などの炭水化物をしっかりめに摂るが、それも一日一食と決めていた。

 標準体重の見た目は太っている側に分類されるのがショービズの世界だ。ファンはアイドルの体重の増減に敏感で、やれ顔が丸くなっただの、ちらっと見えた腹が赤ちゃんみたいだの、ベルトに腹肉が乗っていただのと言いたい放題である。

 タビト自身は人の体形を評価したりするのはよくないことだと考えていたし、好き勝手に噂されることも気分が悪かった。しかし自分はアイドルという商品なのだ。

 ファンがアイドルに理想を投影し、理想に執着し、理想の維持を求め、その基準から外れれば文句を言う……それは当然のことだと彼は考える。期待に応え続ければファンは美や魅力にカネを払い、盲目的な愛と関心を捧げてくれるだろう。

 ファンの求めるもののため、そして、努力の対価としての報酬を堂々と受け取るために――もともとストイックで一度と決めたことを続ける粘り強さも持ち合わせている彼は、他のメンバーよりも体形維持を徹底していた。

 皿に入れたアーモンドをがらがらと口に放り込んで乱暴に嚙み砕きつつ、客に出したカップなどを洗っていると、スマホが鳴る。ホズミからだ。

「どうだった?」

「ホズミさんが事前に希望を伝えておいてくれたおかげで、スムーズに話が進んだよ。ありがとう」

「なによりだ。終わったなら少し早いけど、迎えに行くよ。いいか?」

「わかった。準備しておくね」

 通話を終えると、彼はテーブルを拭きながら家事代行のことについて所属事務所社長のムナカタに連絡を入れた。それから今日必要な荷物を鞄に詰め、先日アキラが忘れていったマフラーもそこへ一緒に放り込む。

 すべてが済むと、入念にハンドクリームを塗りこみながらベッドルームへ続く擦りガラスに目をやった。視線を据えたまま近づき、引き戸を開く。

 ブラインドを上げてもいない薄暗い空間に詰められたゴミ袋、ダンボール箱、まだ袋に入ったままのファンからのプレゼントの山……それらが乱雑に積み重なっているのを、肩を落として眺めた。この光景はあまりにも酷い。

 社長が見積りにOKを出せば契約が成立したも同然である。もし渋られたとしてもホズミのことだ、うまく説得してくれるに違いない。

 ――いよいよだ。

 初日はホズミも立ち会うと言っていた。それまでにこれをなんとかしなければ……

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