第2話

「では、最近ハマっていることを教えてください」

「映画鑑賞です。移動の合間や休憩時間に少しずつ観てます。先月は20本くらい観たかな」

 タビトはボイスレコーダーを意識してゆっくりはきはきと喋り、花が咲いたような笑顔を見せる。涼しげな一重まぶたの双眸は鋭利なきらめきを湛えるも、大きな口で子どものように笑うので非常に愛らしい。健康的な薄桃色の歯茎、そこに磨かれた真珠の粒のような歯が規則正しく並んでいる。

 今日は女性向けファッション雑誌の仕事で、朝早くから神奈川にきていた。タビトはつい先ほど個人撮影が終わり、アキラに続いてインタビューを受けているところだ。スタジオの隅にある簡素な長テーブルを挟んでインタビュアーと向かい合い、座っているのはパイプ椅子なのだが不思議と絵になる男である。

 インタビュアーの脇に置いてあるノートパソコンには、先ほど撮影したばかりの彼の写真が映し出されている。今日の衣装は、ダークグリーンのダブルブレストジャケットと同色のストレートレッグパンツ。身長は180センチにわずかに届かずアキラやユウと並ぶと若干小さく見えるものの、手足が長いため大抵の衣装を着こなしてしまう。

 顔の写りにしてみても、寝起きのむくみが取れきれていないことの多い午前中にしては上々だ。寝不足のため顔は真っ白だったが、不健康なイメージはメイクですべて払拭されている。血色を足したことで疲れの色は巧みに隠されていたし、隈もほとんどわからない。まぶたにはナチュラルなブラウンカラーのアイシャドウがごく薄く施されており、それにより切れ長の瞳の持つ危険な色香が際立っていた。

 撮影時に時たま見せる彼のアンニュイな雰囲気。その姿がどこか儚く見えるのは漆黒の双眸の神秘的な眼差しもさることながら――左の瞳のちょうど真下、涙袋の部分にこぼれている小さなほくろのせいでもあるだろう。それはまるで涙のようで、いつも明るい彼の顔の裏に隠された悲哀をあらわしているようだった。

「これはいろいろなところでされてきた質問だと思うのですが……あえて訊かせてください。好きなタイプは?」

「好きなタイプ……えーと……」

 つい先日、千葉のスタジオで行われた雑誌の取材でも同じようなことを訊かれたばかりである。アイドルとなった以上この手の質問は避けられないとわかってはいるが、あまり答えたくないというのが本音だ。

「すみません。すぐに思いつかなくて……――困ったな」

 苦笑するタビトにインタビュアーもつられて笑う。

「長い髪が好きとか、スリムな子が好きとかあります?」

「そういうこだわりはないです」

「背の高さはどうでしょう?小柄な子の方が好みですか?」

「身長?……んー……特には……」

「子どもっぽい感じよりも、セクシーな人が好き?」

 好みのタイプについて、白黒はっきりした答えをどうしても聞き出したいのだろう――容赦ない質問の嵐を受け、彼は観念したように眉を下げて笑った。

「どちらかと言えば……そうですね」

「タビトさんはまだ22歳とお若いですよね。セクシーだなと感じるのはやはり大人の女性ですか?」

「同年代でも魅力的な女性はいますし……かわいい系でもセクシー系でも、芯が強くて堂々としている人は年齢関係なく素敵だなって感じます」

 頷きつつクリップボードに挟んだ用紙に書き込むと、インタビュアーは満足そうな笑顔を浮かべる。

「ウル・ラドのファーストツアーではオオカミモチーフのグッズが目立ちましたが、自分を動物に喩えるとしたら何だと思います?」

「キツネかな。ファンの皆さんが『笑うとキツネに似てる』とよく言ってくださるので」

「ありがとうございます。では最後に、今後の展望を教えてください」

「先のことはあんまり考えたことないな……」

「今が大事?」

 腕を組んで唸っているタビトに、インタビュアーが食い下がる。

「自分のことでも、グループ全体のことでもいいんですが」

「――そうですね……アイドル人生を全うする日まで、ファンの皆さんの前で歌って踊っていたいなって……いつもそう思っています」

 インタビュー後、インスタントカメラで読者プレゼント用の写真を撮った。サインをし、ようやく一息入れていると、ホズミが足早に近づいてくる。

「機材トラブルでユウの撮影が遅れて、時間が押してる。すぐ出られるように着替えを済ませて車で待機していてくれ」

 口をつけたばかりの紙コップを置くと、ホズミに続きスタジオを出て楽屋へと走る。

 ――慣れたものだ。ホズミの背中を追いながらタビトは思う。こうして駆け足で日々を過ごしているうちに、いつのまにかいろいろなものが体にくっついて、まるで別人のように自分を動かしてくれる。撮影のポージングにしても、インタビューにしても、最初は本当に苦手で嫌だった。不特定多数の人間に心の無防備な部分をさらけ出しているようで、落ち着かなかったものだ。

 忙しなく着替えて楽屋を飛び出し、スタッフに挨拶しながら駐車場まで来ると、ユウが目の前をのんびり歩いている。彼の向こう、すでに車の前に立って待っているホズミが怒鳴った。

「早く乗れ!遅れる!」

 先日もヤヒロに急かされたことを思い出して、タビトは口角に苦い笑みを刻んだ。彼はすれ違いざまにユウの手を掴むと、

「ほら!行こ!」

「やめろ……走れねーって……」

 低い声で抗議してくる。タビトは構わず彼の痩身を引っ張り駐車場を横切った。クラクションが短く鳴らされ、驚いてその方に首を巡らせれば、見慣れたステーションワゴンが目に入る。フロントガラスの向こう、煙草をふかしている女の姿がある。ウル・ラド専属スタイリスト、アコだ。

「おせーぞふたりとも。走れ走れ」

 車窓から野次を飛ばしてくる。まったく、彼女はいつもこの調子だ。

「あ、また席とられた」

 車に乗り込むなり、タビトは唇を尖らせてヤヒロの方を見る。

「早いもん勝ち」ヤヒロは視線をスマホに当てたまま顎先でベンチシートを示した。「アキラのおもりでもしとけ」

 そちらを見れば、長い前髪に目元を隠したアキラがぐったりと座っている。

「全員揃ったな」

 最後に飛び乗ってきたセナが最後の一席――アキラの右側のポジションだ――に尻を落ち着けたのを見たホズミは、運転席から紙の束を差し出した。

「これ、次のミュージックビデオのコンセプト案だから、会社に着くまでに目を通しておけよ」

 受け取ったヤヒロは、ホチキスで閉じられた資料を全員に手渡すと、ペットボトルの水を呷りながらパラパラとめくった。

「今どき紙かよ……データで送ってくれればいいのに」

 ぶつぶつ文句を言いながら背もたれを倒す。すると彼の真後ろに座っていたセナが甲高い声で叫んだ。

「狭いってばー!あんまり倒さないで!」

「下向いてっと車酔いすんの。ゲロ吐かれたくねえだろ」

「今さらなに言ってんの?!いつもスマホ見てんじゃん」

「頭痛いんだからちょっと静かにしてよ~」

 アキラがへろへろの声を出す。雑誌で連載中であるエッセイの執筆作業に追われて、一昨日からほとんど寝ていないらしい。タビトはアキラの頭を抱き寄せて肩を貸し、ブランケットを膝にかけてやる。

「今日のレッスンは全体的な流れの確認。本格的な練習は来週から。自主練したいときは先生から届いてるメールの添付動画を確認すること」

 騒がしいなかでも良く通る声で、ホズミが後部座席に声を投げる。

「わかったら返事」

 はーい、と怠そうな声がぽつぽつと返ってくる。

「ねえ、ホズミさん」

「なんだ?タビト」

「サフェードに家事代行を頼もうと思ってるんだけど……」

「なんだ、忙しくて掃除洗濯まで手が回らないか。それならもっと早く相談してくれたらよかったのに」

 ホズミはハンドルを大きく切りながら言葉を継ぐ。

「ヤヒロは、家事代行スタッフからハウスキーパーとの個人契約に変更するときムナカタ社長に相談したんだよな?うちの経費で落とすことになったんだっけ?」

「うん。家事代行に比べるとかなり高いから、最初は渋られたんだけどさ。サフェードの社長がだいぶ割引してくれたから助かったぜ」

 数日前のアキラとの会話を思い出したのか、思案顔のタビトにホズミが言った。

「ハウスキーパーを頼んでも経費で落とせるけどどうする?家事代行の方でいいのか?」

「大丈夫」

「わかった。俺の方で手配しておく」

「――ありがとうホズミさん」

「嬉しそうな顔しちゃって」セナがタビトの頬を指でつつき、「かわいい子が来るかもなんて期待しない方がいいよ」

 家事のなにを任せるか決めるのはタビト本人だが、コーディネーターが紹介する数人の候補者のなかから担当スタッフを選ぶのはホズミである。

 以前、所属する俳優が若い家事代行スタッフと恋仲になり、それを週刊誌記者に嗅ぎ付けられてすっぱ抜かれたことがあるらしい。それからというもの、マネージャーが人選に介入するようになったのだ。

「来るのはババアか男だぞ」

 ヤヒロが前方を見つめたまま続ける。

「ホズミ兄さんが選んでくれる奴はきっとおまえの想像以上だぜ。ただのババアじゃねえ、くちうるせえババアかもな」

「ヤヒロ。言葉が過ぎるぞ」

 ホズミがぴしゃりと言い放つが、ヤヒロはタビトの耳に唇を寄せ、悪びれもせずにささやく。

「かわいそうなタビト君……。目の保養を紹介してやろうか」

「間に合ってるよ」

 タビトは鼻で笑い、彼の肩を小突く。

 どんな人物が来るかなど考えもしていなかったが、ヤヒロの言う通りの女性――母親くらいの年齢や老女であれば気が楽だ。自分と同じ年代の若い女性にプライベートを見せるというのは気恥ずかしくて落ち着かない。

「できれば男のスタッフさんがいいな」

「探してもらうよ。でもまあ……あまり期待するな」

 ホズミの言葉に頷き、タビトは手の中の資料に再び視線を落とした。

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