#5

「なぁドネーク、聞いたかぁ?」


 人形部屋の飾り棚に戻されて座る私達を気にする事なく騒がしい足音を立てたジャックは、流暢に新聞を広げる腹黒ピエロへと駆け寄ると、頭から出したように上擦った荒々しい声が室内に響く。


「何のことでしょう?」


 半ば呆れた様子のドネークはふうっ……と芝居じみた溜め息を1つ吐き、新聞から目を離さないままゴリラの問いに答える。


「何っ、て……フィリットの爺さんの話だよ!」


 ──パパ?


 彼が口にした懐かしい名前を耳にするのは、もう半年ぶりぐらいになるだろう。もしもフィリットが私を見たら、きっとひっくり返ってしまうだろうに──。


 本当の子供のように一筋の髪先まで愛し、恋人との別れのように旅立ちを惜しんでくれた彼の皺くちゃな顔が頭によぎった私は、パパに合わせる顔がないと悲嘆に暮れる。


「あぁ……そういえば舞台にご招待してましたねぇ〜。確か、約束は今日でしたか……はははっ、僕としたことがすっかり忘れてましたよぉ」


 気になる記事を見つけたのか、直後にうーん……と眉根を絞って喋るドネークの言葉は至って軽く、その仕草ひとつで彼にとってフィリットの存在がどれほど微細なのかがよくわかった。


「んだぁ……そうじゃなくって!瞳の色の事でカンカンなんだよ」

「そうか」


 興奮気味に語るジャックを横目で冷たく一瞥したドネークの声に特別な感情はなく、日曜のミサを聞き流す聴衆みたく簡素な返事を寄越す。


「そうかじゃなくってだなぁ……もしあの爺さんが下手に喚き散らしたら、劇団の評価も悪くなるし、それに」

「金を出して買ったのは僕さ。買い手が商品をどう使おうと、対価を貰った売り手にとやかく言われる筋合いはない」


 さらり。


 いとも簡単に揺らいでは堕ちる言の葉は、その空間にいる全ての否定を受け流すように翻して、取り付く島もなく音を切って響く。


「だいたい僕に文句を言う事すらお門違いなんだよ。何はともあれ売り払ったのはジジィ、本人じゃぁないか!まさか僕がどういう人間か知らない、なんて言わせない……だろう?」


 矢継ぎ早に並べられた台詞のような言い回しには既成の事実がつらつらと垂れ流され、楽しそうな声とは裏腹に何処となく陰湿な圧が押し寄せる。


 さっきまで荒く吐かれていた声を萎ませたゴリラの額につつつ……と静かな汗が伝うと、彼は視線をドネークと天井に往復させて乾いた笑い声を溢す。


「いやぁ……ほら、べ、別にアンタを責めてる訳じゃないんだ……た、ただよ」

「ただ?」

「ただ、あまりにも爺さんが肩を落として帰ったから、その……なんだ、同じ人形職人としても少し気掛かりになって……」


 蛇に睨まれた蛙とは、まさにこの事──逃げ出そうにもピエロの言い知れぬ視線に絡め取られたジャックは、操り人形のように口だけをパクパクと動かして、言い逃れも許さないドネークを前に本心を舌に乗せる。


「……まるでこの世の終わりみたいに泣き叫んでてよ……」


 呟きとも独り言とも取れない彼の同情が、煙のように空気に沈んで溶けた。


「そうか」


 しかしドネークが用意した答えはたった一言で、冷え切った瞳を緩やかに細めては煙草の箱を取り出す。


「ここは世界有数の人形が集まる、最高峰とも名高い『サンモンレフ歌劇団』。……あの老人に拘らずとも、人形キャストのひとつやふたつを手にするのにどれぐらいの労があると言うのかい?」


 ジリリ……と悲痛な音を立てた横車が彼の顔をありありと照らして揺れ、「なぁジャック?」と低く唸るように囁いたソレには、立派な悪魔が堂々と取り憑いていた。

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